再び、道路特定財源について
昨日の『サンデー・プロジェクト』に与野党の政治家がでて、道路特定財源について論じていました。基本的には、前号で述べたことに付け加えることはありません。もし、道路特定財源を一般財源化することが、改革だとか革命だとかいうのであれば、小泉内閣や民主党のそれは、相当いい加減なものだといわざるをえません。このことに関する私の意見に対して、かなり多くの方から、批判的なご意見もいただきました。それにいちいちお答えをすることもかないませんので、ここに私の考えを補足します。
 まず、世界一高いといわれているガソリン税などを払っている国民の意識は、どうなんでしょうか。当然のこととして甘受しているのか、それとも負担感を持っているのかということです。一向に構わないよといっている人は、そんなにいないと思います。海外に行く機会が多くなり、どうしてわが国のガソリンはこんなに高いのだろうかと感じている人が多いのではないかと思っています。若い人などは、車のローンとガソリン代で、給料の大半を使っている人もかなりいます。
5月24日に行われた「インターネットを使った政治と選挙について」の意見交換会に出席された高橋さんが、いみじくもいっておられました。「私たちは、高いガソリン税を払っているのではなくて、取られているのだ!」 まさに、こういうことなのです。世界一高いガソリン税を払っている国民にしてみれば、これを変えてほしいということが、第一の要望だと思います。そして、それは正しいことなのです。そのかわり、道路整備のペースはこれまでよりも若干スローダウンすることを国民は甘受しなければなりません。でも、私はこの点に関しては、ほぼ合意はできていると思います。
環境税に使わせてもらいたいという主張に関しては、一部は賛成できるところがあります。自動車が環境にかける負荷を取り除くために、税金を取ることは理由もあるし、このことは国民も理解すると思います。従って、ガソリン税などを軽減する際、このことを新たに目的に付け加えることは、税の理屈に十分かなうことです。でも、環境対策ならば何でもいいというものではないでしょう。私は、自動車の排気ガスや道路や廃棄自動車の処分が、環境にかける負荷に対する施策に関連するものとすべきだと思います。そのために当面必要とされる金額は、道路特定財源に比べれば、ケタがひとつ少ないものではないでしょうか。
ガソリンを安くしたら、みんなが排気量の大きい車に乗りまた車を多く利用するために、環境が破壊されるというご意見もけっこうありました。しかし、それは税の問題ではありません。また、ガソリン税を高くしているのも環境を守るためにそうしているわけではないのですから、それはぜんぜん別な議論です。現在の環境に対する意識は、そんなに捨てたものではないと私は考えています。この点は、国民を信頼するしかないと思います。仮にそうなったら、別に対策を立てればいいのであって、それが筋というものでしょう。
財政再建のためには、仕方がないじゃないかというご意見もけっこうありました。私も財政再建は絶対に必要だと思っています。しかし、それはそのことを正面からちゃんと訴えて、財政再建税というようなものを作るしかないと思います。そうしなければ、これだけふくれあがった財政赤字を整理することはできないでしょうし、今回と同じような過ちを将来しないためにも、ちゃんと理解と協力を得て、そのようなものを創設すべきでしょう。このことを国民は必ず分かってくれると私は信じています。
もともと理屈っぽい私ですが、道路特定財源について特にこだわるのは、“税は政治のもっとも大切なテーマ”だからです。議会制度が誕生したルーツは、税でした。税のことをないがしろにするということは、議会制度をないがしろにすることにつながるでしょう。冷静になって、この問題を考えてほしいのです。
「カエサルのものは、カエサルに返せ」
道路整備を急ぐために特別に設けられた税なのですから、その必要性がなくなったのならば、またそのペースをスローダウンしてもよくなったのならば(私はこの立場に立ちます)、「世界一高いガソリンを安くするために、道路特定財源を半分に軽減すべき」と、もともと考えていたものですから、この問題が噴出してきたのを好機にあえて主張し、これを実現したいと考えているのです。
00:30 東京の寓居にて

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