魂の自由を思う
13時間の時差があるアメリカでも、今日から9月となりました。夏ももうほんのわずかとなりました。ここワシントンDCでは、昼は蝉がないていますが、夜になると秋の虫がかまびすしく鳴いています。
 一昨日、アーリントン国立墓地にいってきました。リンカーン・メモリアルからポトマック川をわたるとすぐそこがアーリントン墓地でした。ここはワシントンDCではなく、ヴァージニア州だそうです。私は、VISITER
CENTERから真っ直ぐにJ・Fケネディの墓を目指しました。案内の表示もなぜか
J・F・Kの墓 と THE UNKNOWN SOLDIER
の墓のものしかなく、また、人の列もそこに向かってできていますから、少しの苦労もなく私はケネディの墓に着きました。前にも1度はきていましたので、墓標と永遠の灯は見覚えがありましたが、ケネディの墓がたいへん大きなスペースの中にあることに気が付いたのは、今度がはじめてでした。
私にいつも大きな感動と勇気と希望を与えてくれたケネディ大統領を想い、私は、あらためて長い黙祷を捧げました。ケネディ大統領の墓の右には、ジャックリーン夫人の墓がありました。左には、同じく暗殺されたロバート・ケネディの墓がありました。ロバート・ケネディにも私は親しみをもっていましたので、感慨がありました。しかし、いまハッと気が付いたのですが、あの墓はロバート・ケネディのものではなく、つい最近飛行機事故でなくなった息子のJ・F・Kジュニアーのものだったかもしれません。ついそのことを忘れていたものですから、私は、ロバート・ケネディの墓とばかり思っていました。調べればすぐ判ることですが、それはいいでしょう。いずれにせよ、ケネディ大統領は悲劇の大統領でしたが、ケネディ家の人々にはいつも悲劇があったということです。しかし、それだけにケネディ大統領は、いつまでも私たちの心に生きているのでしょう。
 他の大統領の墓も必ずここにあるのでしょうが、いったいどこにあるのか、目立つ物もありませんでしたし、お参りをするつもりもありませんので、ここを去り
THE UNKNOWN SOLDIER
の墓に向かいました。無名戦士の墓ということになるのでしょうが、墓というより記念碑といったほうがいいものでした。儀丈兵もいてときどきセレモニーがあります。丁度、そのセレモニーを運良くみることができました。70~80人くらいいた参拝者は、儀丈兵の指示に従って無名戦士にRespectしていました。私も彼らにならいRespectさせてもらいました。
 それから、国立墓地を小1時間ほどとりとめもなく散策しました。明治神宮の何倍かある広さでしょう。ちょっとしたスポットの大きな木の木陰のベンチに横たわり、しばし、ここに埋葬されているアメリカの偉人たちに想いを廻らしました。日本で靖国問題を議論するとき、必ずといっていいほどこのアーリントン墓地のことが引き合いにだされます。そんなことを考えていた私に、一つの疑問がでてきました。誰がどのようにして、この国立墓地に埋葬することを決定するのかということです。まさか、希望者なら誰でもここに埋葬されるとは思いません。そうするとこれは形こそ変われ、一種の叙位叙勲的(じょいじょくん)な要素はないのだろうか。しかし、私のたどたどしい英語ではこのことの正確な説明を受けることは無理と思い、これは日本に帰ってから調べることにします。
ワシントンDCでいろいろなものを見ましたが、やはり私は、リンカーンとケネディという二人の大統領を改めて実感しました。この二人の大統領は、私たち日本人にとっても、非常に親近感をもたれている大統領ではないでしょうか。そして、二人とも黒人の地位向上のために戦い、そして凶弾に倒れました。リンカーンは奴隷制度をなくし、ケネディは黒人の公民権を確立しました。国内の一部にはこれに対して強い反対がありました。それと戦って、凶弾に倒れました。進歩のために戦うということは、こういうことをいうんだと思います。私が1962年最初にアメリカを訪ねたときから、アメリカに、人種問題─とりわけ黒人問題が大きな問題としてあることは、いつも感じていました。いまもあるのだと思います。しかし、今回の旅行で私が感じたことは、黒人の地位の著しい向上でした。こんなにファショナブルで自信に満ちて歩いている黒人の姿をみていると、30数年前に比べ、隔世の感があります。これも、命を懸けた多くの戦いの結果だと思うと、感無量です。
これにひきかえ、いまの日本の政治はいったい何なのだろうかと、改めて思います。一つの狂信的宗教団体に屈して、魂の自由を失うことをなんとも思わない風潮。私は、どうしてもそういう生き方はしたくありません。私にとっていちばん大切なのは、心の自由、魂の自由です。これと引換えに権力や地位を得たとしても、そんなものはいったい何だというのでしょうか。魂の自由を失った人間に、本当の勇気を期待することはできません。本当の勇気がない人間に、進歩のための戦いを期待することもできません。どうしてこんな単純なことが分からないのだろうか、と不思議でなりません。日本人の悪い癖で、一部がこれに従いだすと、みながこれになだれをうってついてゆくという傾向がありますが、いまそういう状況になり始めているのではないでしょうか。少なくとも国会の中は。
そうだとしたならば、あえてその中からはじき出され、あえてダラダラと血を流しながら、祖国の苦痛を自らの苦痛としなければならないのだと、私は思っています。「我が祖国に自由を」と切望すること一入(ひとしお)です。
14:30 ワシントンD.C.にて

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