─古文書蔵─
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吉田松陰と高杉晋作 かなり前ですが、吉田松陰が門弟にいったというあることを、懇意の政治評論家から聞いたことがありました。ここで紹介する以上、間違いがあってはいけないと思い、改めて聞きました。こういうことだそうです。
明治維新の志士たちの中で、私は高杉晋作と坂本竜馬が好きで、竜馬ものはけっこう読みましたが、この話は鮮烈で、ずっと記憶にありました。師弟の関係とはこういうものか、と思いました。私が師と仰ぐ政治家は、大平正芳総理です。わが師━大平正芳総理と私がはじめて会ったのは、1979(昭和54)年2月ころだったと思います。官邸の総理執務室でした。そのときのことを、いまでも私は鮮明に覚えています。
時の総理大臣が、一介の政治浪人の33歳の青年に、心を込めてこういったのです。私は感激しました。このときから、私はこの人を師とすることにしました。確かに、政治を志して人生のすべてを捧げるということは、考えてみれば「ご苦労なこと」だと思います。しかし、そういう政治家がいなければ、一国の政治は良くならないのです。大平総理は、このことを理解して下さっている政治家だと思ったからです。 私は、一人の政治家として、改めて新たなる戦いを始めました。いま、私がやらなければならないことが、この国にはあると考えたからです。最初に政治家となるとき温かい手を差し伸べて下さった、大平総理のような師はいまはいません。また、そんな政治家がいたならば、私が今回のようなことをする必要はなかったでしょう。ですから、そんなことを望むつもりはありません。天上の大平総理はきっと私を理解し、励ましていて下さっているということで十分です。 いま私が心から願っていることは、高杉晋作のような「狂気」をもった同志が私の前に現れてくれないかということです。自公保体制という化け物相手のこの戦い、私一人には、いささか荷が重たいところがあります。弱音を吐くつもりはまったくありませんが、同志が欲しいと、心から望んでいます。わが国には1億2600万もの人がいるんだから、必ず、そのような同志は現れると信じています。 わが国は、いま病んでいます。危篤な状態です。祖国がこのようなとき、全てを投げ打って立ち上がるものがいなければ、この国は終わってしまいます。出でよ、平成の高杉晋作。跳べ、平成の坂本竜馬。私は待っています。 01:45投宿先のホテルにて |
結党宣言そして帰郷 前号から少し間をおいてしまいました。2号続けて「野党は直ちに不信任案をだすべし」と訴えてきましたが、少なくとも今週は出ませんでした。まあ、曲がりなりにも野党の党首や幹事長なのですから、それなりの考えがあってのことなのでしょう。もうこれ以上はいいません。 しかし、一つだけ気になるというか、解せないことがあります。それは、「公明党が不信任案に賛成できる状況の中で不信任案を提出したい」ということです。 もう一ついいたいことは、野党には自公保連立から離脱した公明党と一緒になって政権を作ってもよいという考えがあるよう気がしてしょうがありません。本当にそれでいいんでしょうか。自公保連立はダメだが民公連立だか民公自社連立だか知りませんが、どうしてそれは問題ではないのでしょうか。その理屈をハッキリと聞きたいものです。 2月22日(水)に結党宣言を発表しました。これが白川新党の旗です。私の考えることは、すべてここに集約されています。そして、一つの決断でもありました。私の考えを明らかにすることによって、白川新党に期待していた人の中でもそれでは違うといって離れる人もあるでしょう。その代わり、私の考えを確認して仲間になってくる人も現れるでしょう。政治とはそういうものです。 23日には新潟6区の十日町地区で、24日には上越地区で白川勝彦後援会の拡大役員会を開催し、今回の決起と今後の行動について永年の支持者に対して説明とお願いをしました。それぞれ予想をはるかに上回る後援会幹部の方々にお集まりをいただき、温かいご理解と全面的なご賛同をいただくことができました。 期待はしていたことといえ、ありがたく力強い限りです。 この数日間は、さすがクタクタになりました。今日は久しぶりに選挙区の自宅で寝ます。私の自慢(?)の庭は1m余の厚い雪に覆(おお)われています。 23:30上越市北城町の自宅にて |
野党は、不信任案を直ちに提出せよ! 今朝、フジテレビの『報道2001』をみました。連立与党の3幹事長が出ていました。自公保連立の評判が悪いのは、森首相だけが原因ではなくて、こうした顔ぶれもあるという気がしました。それに、何でこの時期に、与党3党の幹事長だけが雁首をそろえて出演し、そこに野党の幹事長がいないのでしょうか。この3人は、野党と同席することを極端に嫌がるのだそうです。今回の番組だって、フジテレビはきっと、与党と野党の幹事長同士のディベートを企画したのだと思いますが、野党と一緒なら出ないといったために、テレビ局としては、与党3党の幹事長だけの番組になったのだと思います。 人の顔のことはいいたくありませんが、こういうことをみても分るとおり、この3人は顔も暗ければ心も陰湿です。しかし、政治家にとって明るいということは、非常に大事なことなのです。自由主義社会の政治にとっていちばん大切なことものは、政権に対する支持・信頼だと、いつもいってきました。古い言葉ですが「信なくば立たず」ということは、自由主義社会の政治にこそ、実はいちばん求められることなのです。社会主義社会や全体主義国家の政治は、その本質が力で押さえつける政治ですから、政権に対する信頼などどうでもいいことであり、現にあまり重視しませんでした。 今日の3人の発言を聞いていると、森首相には基本的に失政はないということで、一致して発言していました。これが第一の大事な点です。番組の冒頭、この番組の世論調査では、森内閣の支持率が8%と紹介されたそうですが、このことこそ政治に対する信頼を失わせたという意味で、森首相の最大の失政だという認識がないのです。国民が信頼していない政権が、いくら金をばら撒こうが、大きな声をだして旗を振ろうが、国民は喜びもしなければ士気もあがないことです。これでどうして景気を回復させたり、改革を進めることができるのでしょうか。政治の根本がまったく分っていない、下衆な政治家です。 次に指摘しておきたいのは、「とにかく予算の年度内成立だ!予算の年度内成立だ!」とバカの一つ覚えのようにくり返していたことです。社会主義国の独裁者が、お前たちが生活していけるのはこの国家があるからなんだといって、どんなことがあっても黙らせるのと同じような体質です。私は「自公保連立政権は、全体主義的な政権である」と最近つくづく思っていますが、これを裏付ける発言でもあります。人はパンのみによって生きるにあらず。それよりも大切なものがあるということが、全然分っていないのです。予算が通らなければ、国民が死んでしまうとでも云わんばかりの発言は、前近代的な感覚です。予算なんて、与野党が本気で成立させる気になれば、10日間もあれば通すことができるのです。 さて、第三の注目すべき発言は、いま野党から森内閣不信任案がでれば、与党3党は結束して断固否決するだけだといっていたことです。これに対して自民党にも、公明党にも、保守党にも異論を唱えるものは一人もいないと、自信をもって発言していました。こういうのを「こけおどし」というんです。だったら、本当にそのようになるのかどうか、やってみるべきだと思います。絶対に、そんなことはありません。公明党や自民党の若手議員などは、悲鳴をあげますから。だから、私は「野党は不信任案で一気に攻めろ!」といっているのです。どうも野党の動きがおかしいと思います。みんなで注視しなくてはなりません。 今日の3人の発言を聞いていれば、予算と引き換えに森首相を変えることを考えていることは明々白々です。それは、野党の追及が厳しいからではなく、森首相ではこの夏の参議院選挙が戦えないと思っているからです。自分たちの都合なのです。そんな森首相の首を予算の成立と引き換えに取った(?)ところで、野党はよくやったなど誰も思いません。野党が参議院選挙で戦わなければならない相手は、森首相ではないのです。いくら森首相に参議院選挙まで頑張ってもらいたいと願っても、与党が変える気なんですから、そんなことはあり得ないのです。新しい首相とどう戦ったらいいかということは、別にのべます。ただ、そのためにも不信任案をいま出すことが絶対に必要だ、とだけいっておきます。 10:10東京の寓居にて |
野党は一気に不信任案で攻めろ! ハワイでのえひめ丸と米原子力潜水艦の衝突事故の報を知りながら、ゴルフを続行したこととゴルフ会員権のことで、ついに自民党の中でも森退陣論が噴出してきました。しかし、森首相に総理大臣の資質が欠けているなんてことは、私たちにいわせれば何をいまさらということです。そんなことは、昨年の11月段階でも明々白々のことだったのです。にもかかわらず、加藤氏の問題提起を無視しておいて、今度は何が何でも変えようとする。要は、参議院選挙に向けて森首相では自民党や公明党が選挙に勝てないと思ってのことです。国家 ・国民の利益という観点からではなく、自分たちの利益からの行動に過ぎません。卑しいことです。 とにかく、自民党や公明党の中で「森おろし」の動きは加速していくでしょう。そして、森首相は早晩退陣せざるを得ないでしょう。しかし、それは国家・国民の利益を守るという動機ではないのですから、野党として後継首相選びを黙ってみているようではダメです。昨年に11月のように、野党共同で森内閣不信任案を一刻も早く提出して、森首相の退陣を迫らなければなりません。これに対して、自民党や公明党や保守党の議員がどのように対応するのか、ぜひ見たいものです。 これと同じように、自民党を批判しながら当選し、加藤騒動のとき自民党に懐柔されて不信任案に反対した、そして自民党に入党した21世紀クラブや無所属の会の議員の行動はもっと興味あります。こうした政治家の一つひとつの具体的行動を暴き出していく。それが政治戦というものです。きっと七転八倒するでしょう。昨年11月に森首相を信任した衆議院議員は、その苦しみを当然受けなければならないのです。戦いは、いったん始めたならば妥協してはならないのです。妥協すると加藤氏のように殲滅され、切り刻まれるだけです。 新聞には「野党、不信任案の提出を早める」などということも報じられていますが、直ちに提出しなければなりません。そうしなければ、野党は自分たちの利益のために森首相を引きずり降ろそうという自民党や公明党の後継首相選びという茶番劇に手を貸すことになります。いま、自民党の国対筋は野党各党に働きかけて、森の首は自分たちでとるから不信任案だけは出せないでくれとあの手この手で働きかけているはずです。こんなものに乗ったり、裏取引をするようでは野党として国民を裏切ることになります。 こういうことです。これからの政局は自民党や公明党の動きだけがポイントなのではなく、野党のこうした動きも見どころなのです。自公保連立打倒という野党が本気なのかどうかのバロメーターなのです。いよいよ、勝負の時がきました。自民党や公明党の後継首相選びの思惑・見通しなどについては後日改めて書きます。 11:30砂防会館の事務所にて |
だから言ったでしょう! 「えひめ丸」とアメリカの原子力潜水艦の衝突という事態を知らされたにもかかわらず、森首相がゴルフを続行していたということが大きな問題になっています。当然のことです。私としては、森首相のこうした感覚というのは、とうてい理解できません。ほんと、この人はこの程度の人なんです。こんなことは分っているのに、この人にやめてもらおうじゃないかという加藤紘一氏の問題提起に、自公保の衆議院議員は「いや、森首相でなくちゃダメなんだ」ということで、森首相を信任したんでしょう。この責任はどう取るんですかなー。 国家公安委員会委員長に就任(平成9年11月~10年9月まで)したときから、毎朝6時のNHKニュースを見ることから、私の1日は始まりました。大きな事件事故がないことを確認すると、とりあえず安心しました。「無事これ大事」ということを、このときほど痛感させられた10ヶ月間はありませんでした。携帯電話は常時もっていましたし、夜寝るときも携帯はいつも傍においていました。大臣秘書官や警察庁長官の方から電話はなくても、ちょっと大きな事故や事件の報道があれば私の方から連絡を入れ、指示をしたり、私がしなければならないことはないか、相談しました。 大臣を辞めたとき、いちばんホッとしたのは、この緊張感から解放されることでした。一国の治安を預かる地位に就くということは、非常な責任感と緊張感を必要とするものです。総理大臣の最大の職務の一つは、日本の秩序と治安に責任をもつことです。そういう自覚が森首相にはないのだと思います。こういうことですから、他の面でも総理大臣としての見識を疑わざるを得ない言動が次々とでてくるのでしょう。いずれにしてもこの人はもうダメです。早晩辞めざるを得なくなるでしょう。 「だから言ったでしょう!」と私はいいたいのです。 ところで、当Webサイトに、<わが平成革命の戦略と戦術>というコーナーを作りました。これまでは、いろいろなメッセージをこの「永田町徒然草」で発信してきましたが、いよいよ本格的な戦いをするためには、これまで以上に情報を発信していかなければならないのですが、永田町徒然草だけでは十分ではありませんし、適切ではないと考えたからです。 第一、平成の「革命」をやろうというのに、「徒然に」ではいけないと思ったからです。戦略的・系統的でなくては、この戦いを勝ち抜くことはできません。いろいろなものを出す関係上、永田町徒然草では形式もやりにくいことが多くなってくるからです。 次に、メールなどでは私の今回の決起を「平成維新」などと呼ぶものがかなりありました。明治維新は私も使いますし、好きなんですが、それ以外の「○○維新」というのは、私はあまり好きになれないのです。どうも右翼的なものが多いからです。また、「平成維新の会」などというのもありました。ですから、私の今回の戦いの名称は、多少どぎつくてもズバリ「平成革命」としました。革命的発明とか革命的変化という言い方をするのですから、私のやろうとすることを「平成革命」といってもいい、と思ったからです。 「平成革命の戦略と戦術」のコーナーでは、戦いを進めるにあたっての情報や理論や同志へのお願いなどを、どんどん発信していきます。どうか、ホームページを開いたときには、必ずクリックして下さい。従って、この永田町徒然草を書く回数は、これまでより少し減るかもしれません。しかし、時局や論評や一般的なものは、引きつづきこの永田町徒然草で発信してゆきたいと考えています。どうか、変らぬご愛読をお願いいたします。 00:10砂防会館の事務所にて |
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