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永田町徒然草

9月3日(月)

No.174

月も改まり、9月となりました

 戦いすんで、暑い夏も過ぎ、月が改まり9月となりました。私の場合は、選挙の残務処理の仕事もあり、長い長い1ヶ月でした。多くの方々がいろいろと心配してくださいますが、選挙に負けるということは、昔でいえば「落城」ですから、どんなことがあっても、それは仕方のないことです。いまは、これに耐えていくしかありません。昔の武将のように、戦いに敗れたら、いっそ命もなくなった方が余程いいのに、と思うこともあります。しかし、こうしたことにも耐えなければならないのが、現在の戦う者の宿命です。

 ところで、参議院選挙の直後ころから、株価が下落を始めました。先週末の日経平均株価は、バブル後最安値の10,713円でした。私は経済の専門家ではありませんので、株価下落の専門的論評はいたしませんが、こうなるということは必然だと思います。私は、4月末に出版した本の題名を編集者の発案により、「自民党を倒せば日本は良くなる」としました。しかし、先の参議院選挙で、自民党と自公保体制は圧勝しました。自公保体制が続く限り、私は日本は良くならないと確信しています。その理由は、拙著の中に詳しく書いておきましたので、ここでは繰り返しません。

 いま、大多数の国民の関心は、景気回復にあります。景気回復には、日本の経済を立て直すしかありません。そのためには、経済の構造を改革するしか、道はないわけです。わが国の経済構造の最大の問題は、自由主義経済体制であるにもかかわらず、経済活動の自由が非常に制限されていることです。従って、新しい企業や産業が育ってこない構造になってしまっているのです。ここにメスを入れない限り、日本経済の構造改革は進みません。自公保体制の中で、経済活動の自由が始まるはずがありません。なぜならば、自公保体制こそ、自由を圧殺し、これと正面から敵対する体制だからです。

 私は、自民党の中を長く見てきた者として、公明党との連立を始めた時から、自民党が変質していくのを肌で感じました。そして、この党は駄目になると思いました。自民党がどんなに駄目になっても構いませんが、こんな政党が政権をとっていたのでは、日本が駄目になってしまうと思いました。なぜそのように思ったか。それは、自民党の命であるはずの「自由」がない政党になったからです。自由を大切にしない政党が政権をとっていたのでは、自由が大切にされるはずはありません。小泉氏が自民党の総裁になっても、このことに少しの変化もありまん。

 自公保体制という政治構造の下で、新しい政治の芽が完全に摘(つ)まれてしまったことを、私は、先の参議院選挙を戦って肌で実感しました。新しい政治とは、政治の世界における自由の発露なのです。このような自由を完全に圧殺してしまう体制が、経済や社会の自由を産み出し育てることがないのは、当たり前のことではないでしょうか。自由のない社会の経済が発展することは、決してないでしょう。小泉首相がいくら改革者を装っても、残念ながら、小泉氏は自由に違背している自公保体制の総責任者なのです。しかし、小泉氏のパフォーマンスに幻惑されて、自公保体制を多くの人々が支持したのです。主権者の選択なのですから、仕方ありません。

 ところで、私は8月の大半を東京で過ごしたのですが、東京の夏は、例年のようなうだるような暑い日はあまりありませんで、いささか自虐的ともいえるダラダラと汗を流しながらの散歩(?)も、あまりできませんでした。しかし、全国的には猛暑が相当の地域であったようです。ですから、今年も豊かな実りの秋を迎えるでしょう。自然の変化にも異常なものがありますが、それでも、政治や経済に比べれば、はるかにそのリズムと流れは安定しています。そうした自然に身をまかせる生き方がしたいと思わないわけではありません。しかし、政治にも経済にも、長い目でみればちゃんとした流れがあると信じて、生きていくしかしかありません。

 皆さんのそれぞれの実りの多い秋を祈念します。

07:30上越市北城町の自宅にて

白川勝彦

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