戦いすんで、日が暮れて
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加藤騒動が鎮圧されて、この数日間続いた痛烈な加藤バッシングもこの週末でおさまるでしょう。そして、自民党政治は、また同じように進んでいくことでしょう。
それにしても、今回の行動で加藤氏が払った犠牲はあまりにも大きなものでした。20数年間、加藤氏と政治行動を共にしてきた者として、また加藤氏の政治的な考えを誰よりも理解してきた者として、加藤氏のためというより日本のために、今回の犠牲を私は惜しむものです。
加藤氏が、野中氏をはじめとする自民党執行部─自民党主流派の旧時代的体質におしつぶされてしまったことにより、これから自民党の内部における改革を期待する人は、ほとんどいなくなるでしょう。加藤氏をもってしても、あの自民党の旧時代的な体質を変えることができなかったという事実は、これから若い人たちがいくら自民党の改革を叫んでみたところで、多くの国民が聞く耳をもたなくなるでしょう。
これは、自民党にとってかなり致命的なことを意味します。保守政党である自民党は、内部における自己改革を期待する人たちによって、かろうじてその命脈を保ってきたのです。自民党のなかで活動してきた私には、そのことが皮膚感覚として分かるのです。
少しでも政治的に鋭い感覚をもっている自民党の国会議員なら、このことは十分に分かっていたはずです。しかし、この人たちは、加藤氏を理解はしても、支持しませんでした。これが加藤氏を敗北させました。そして、このことにより実は、自分たちも敗北することになるのだということに気がついている人は、まだ少ないようです。でも、それはほとんど間違いないことだと、確信をもって、私にはいう自信があります。
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一方、加藤氏も、自分のしていることの政治的意味を正しく理解していない面があったことも指摘せざるを得ません。BBSにも書いておきましたが、言葉のもつ客観性に対する認識が甘かったのではないか、ということです。
『今回の加藤政局を総括するとき、加藤氏の行動がもっていた意味をもう一度ふり返る必要だと思います。加藤氏が「不信任案に賛成する」といったときから、加藤氏がどう思うが、それは自民党の枠を超えた行動であることを意味していたのです。自民党の枠を超えたときから、国民の関心や期待が加藤氏に集まるのは当然のことですし、これを非難することはできなかったと考えます。しかし、この時点で一つの矛盾というか、今日の事態を予想するに足りる、気になることがありました。それは、自民党を離党しないと加藤氏がいい続けたことです。
多くの人たちは、これを戦術的な言葉と受け止めていました。しかし、加藤氏や加藤氏と行動をともにした人たちは、最後の最後まで意外に本心だったのではないか、ということです。このことは、テレビなどでも司会者などが指摘していましたが、加藤氏は最後まで自らの離党を否定していました。
野党の不信任案に賛成するということは、常識的に、自らの離党はなくとも除名されることを意味します。それでも賛成するということで、自民党を離れるということを覚悟しての行動、との期待は高まります。加藤氏が主観的にどう思っていようが、「不信任案に賛成する」ということは、客観的にはそういうことを意味します。言葉がもっている魔力というものでしょう。
この落差が、加藤政局を総括するときのいちばんのキーのような気がします。私は、加藤氏が不信任案に欠席するといったときから、加藤氏の言葉のもつ客観的な意味を前提にして、加藤政局を論じ、かつ予測しました。私の予測がはずれた理由も、ここにあります。加藤氏を20数年間もいちばん身近でみてきて、加藤氏をいちばん理解していると自負する私が読み違いてしまったのですから、多くの国民が読み違えてしまったのは当然だと思います。私の場合は、私の不明を恥じればすむことですが、多くの国民が加藤氏の今回の行動を責めるのは、止むを得ないことと思います。加藤氏も、この人たちに対する責任だけは免れることはできないとでしょう。』
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政治は、言葉によって戦うものです。言葉が武器でないというのなら、昔のように、弓でも鉄砲でも持ってやればいいのです。でも、そうはいかないでしょう。だとしたら、政治家にとって言葉は最大の武器なのです。言葉を武器として使えない政治家は、現代においては武器をもたない士(さむらい)ということになってしまうのです。武器をもたない士(さむらい)は、戦いの世界で生きのびていくことはできません。
私自身、このことを、これまでの政治生活のなかでいやというほど知らされてきました。田中角栄元首相の金権体質への批判発言、憲法に対する発言、政教分離問題に関する発言などによって、党内でどれだけつらい立場に立たされたか分かりません。でも私は、自分が政治家としてひとたび口にしたことは、絶対に理由もなく撤回しないと心に銘じてきました。
それは、政治家としての信用を損なうだけではなく、政治家としての武器を失うことを意味すると考えるからです。これは、政治の世界だけのことではないとは思いますが、政治の世界では、これがいちばんの基本だということです。今回の不信任案に欠席をした議員も、反対票を投じた議員も、このことをいやでも身をもって知らされることになるでしょう。
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最後に一つだけ言いたいことがあります。加藤氏の行動も、森内閣に対する国民の支持がないということが、最初の出発点でした。これに対する意見は、党内のほぼ全員の認識のようですが、森内閣に対する支持が少ないということの原因に、公明党との連立があるということをいう人が皆無だったことです。このことは、「自民党の明日を創る会」の人たちにも共通することです。
しかし、あらゆる世論調査で自公保連立に対する国民の支持が20パーセント前後に過ぎず、公明党が連立に参加して一年以上になるのに、反対がいまなお50パーセントを超えているのです。このような事実にみれば、公明党との連立を問題にしない主張は、事態の本質から目を背けていると、私には思えてしょうがありません。公明党との連立は、自民党の国会議員が考えるよりはるかに、自民党に対する国民の認識と評価をさげているのです。
このことに気がつかないなんてよほどの○○か、気がついていてもこれをいうことができないような自民党の国会議員は、よほどの○○○でしかありません。もう、○○としか表現できないような状態の現在の自民党は、国民の心をつかむこともできなければ、期待も集めることもできないでしょう。
こんな政治状況のなかで、わが国は21世紀を迎えようとしているのです。暗澹たる気持にならざるを得ません。
01:30 東京の寓居にて
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