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書込交流広場(BBS)の書込み 総選挙後に新しくなった書込交流広場(以下、BBSといいます)の「政教分離関係分科会」の書込み件数は、かなり前に 1000件を超えていました。数日前に「政治関係分科会」と「雑談室」の書込みも、それぞれ 1000件を超えました。白川サイトがお陰さまでにぎわっているのも、このBBSがあるからです。そして、BBSは多くの書込みをして下さる人がいるから成り立つのです。白川BBSは怖いといわれていますが、この「怖いBBS」に多くの方々から書き込みをしていただきました。私はこのBBSの責任者として、心から感謝と敬意を表します。 ところで、過日ある週刊誌の記者さんとお会いしてきました。取材です。インターネットに関する特集をするのだそうですが、政治家とインターネットについて話を聞きたいということでしたので、この1年の私の経験談や考えを話しました。どういう記事になるのか判りません。こういう取材というのは、2~3時間も私としてはかなり興味深いこと・意味深長なことを話しても、実際の記事を見てみるとほんの数行、しかも私から見たらどうでもいいことしか載っていないことがほとんどです。ときどきバカらしくなります。今回もどういうことになるのか判りませんが、それなりの記事になったら改めてご紹介します。 その話のなかでも、政治家のWebサイトにBBSがほとんどないのは私はどうしても理解できないといういつもの主張をいっておきました。たとえば、加藤騒動のとき加藤サイトには11万のアクセスがあり、1万5000のメールが加藤氏のもとに寄せられたそうです。それがどのようなものだったのか、みなさんは興味ありませんか。もしBBSがあれば、その様子が私たちにも分かることになります。11月20日以前と以降のメールは私にもだいたい想像できます。しかし、それが公開されるということに意味があるのではないでしょうか。この役割を果たすのがBBSです。 インターネットに非常に詳しい人から教えてもらったことですが、「白川さん。書き込もうと思っても、実際に書き込みをする人は100人に1人ですからね」ということです。きっとそうでしょう。しかも白川BBSは「怖いBBS」ですから、これが200人に1人くらいなのかもしれません。それだけに一つひとつの書込みを私は感謝の気持をもって、じっくりと読まさせていただいております。また、私だけでなくこのサイトを訪れる方々も興味深く読んでいてくださっております。このBBSを訪れる方が、1週間で約5600人、1回のアクセスにつき平均して28ヒットしています。ですから、このBBSにこられた方はほとんどの書込みをみていることになります。 政治家がBBSを敬遠する気持ちは、分からないわけではありません。エールをおくられるのは構わないが、悪口を書かれたのではたまらないということだと思います。しかし、そんなことはあたり前のことではないでしょうか。世の中、そう自分の都合のいいようには回らないものです。私も、いやというほど体験しました。でも、これが双方向性ということではないでしょうか。インターネットは双方向の情報伝達ツールだということを知らない政治家はいません。だとしたら、BBSのないWebサイトは、野立看板と同じだと私は考えています。この辺にも、知識としては分かっているものの、実践が伴わない政治家の体質が窺われます。 どうか、これからも自由闊達な書込みをよろしくお願いいたします。また、多くの方々からBBSに参加していただき、いろいろなことに関して気軽に書込みをして下さることを、心からお願いいたします。それが日本の政治を変えることになると思うからです。政治家を責めたり、政治家だけに期待していたのでは、政治は良くなりません。自立した自覚の高い国民が現れなくては、21世紀の日本の政治は変わりません。 21世紀は、日一日と近づいています。 09:10東京の事務所にて |
悪貨が良貨を駆逐する自民党 野中幹事長が辞任をして、その後任の幹事長は古賀誠氏とのこと。このニュースを聞いて私が感じたことは、悪貨が良貨を駆逐する自民党になったということです。「良貨で悪貨を駆逐せよ」とは、白川BBSが例の勢力によって荒らされていたとき、私が好んで使った檄でした。もともとの由来は「悪貨は良貨を駆逐する」ですが、そのようなことでは自由主義の市場経済は成り立ちませんし、発展もしません。だから、私は「良貨で悪貨を駆逐せよ」といったのです。そして、多くのみなさんのお力添えで白川BBSでは、みごとに悪貨を駆逐しました。 今回の自民党の人事は、非常に大事だと思います。ただでさえ人心は、自民党を離れています。まがりなりにも政治の改革を主張した加藤氏を血祭りにあげて狂喜している自民党には、もう誰も期待も信頼もよせていないのです。それだけに、今回の人事は非常にむつかしいとはいえ、このことを払拭する思い切った人事をしなければならないのですが、それが加藤騒動の論功行賞では、もうどうにもなりません。自民党の幹事長は、事実上党を代表する人です。しかも、総裁である森氏には国民の信頼はまったくありません。だとしら、ここで起死回生の幹事長を選任しなければならないのですが、古賀誠なる人物は、国民の誰も知らない人です。総裁もダメ、事実上党を代表する幹事長もダメとなったら、自民党はもうダメになってしまいます。 古賀誠氏の1980(昭和55)年の初当選のときから、私は同じ派閥ですから、よく知っています。残念ながら、21世紀の自民党を代表する人物でもなければ、そのために勉強してきた人でもありません。理念や政策などは、まったくない政治家です。彼は、国会対策とか選挙などの、いわゆる裏方の仕事をやってきました。国会対策も、公明党と連立することで数を確保して乗り切ってきただけですし、選挙についていうならば、平成5年の総選挙と平成10年の参議院通常選挙のときに総務局長を務めました。このふたつの選挙とも大惨敗でした。選挙にはゲンというものが必要なのですが、それがないのだと思っています。 加藤氏が敗北した原因は、古賀氏が中心になって反加藤のグループを立ち上げたことが致命的でした。宮沢蔵相、池田前総務会長、瓦元防衛庁長官などの反加藤グループの仕掛人が古賀氏です。今回の「抜擢」は、その論功行賞としか考えられません。しかも、笑えないことに、加藤騒動のきっかけとなった11月9日夜の政治評論家の会に加藤氏を出席させる段取りをつけたのが古賀氏であり、そこに同席したというのですから、これはもう漫画ではないでしょうか。私はこういうのは好みません。自民党の中だって、これを良いように思う人は少ないと思いますよ。でも、こういう人が出世していくのですから、悪貨が良貨を駆逐する自民党になった、と私はいうのです。こんな自民党は、もう本当に終わりになるかもしれませんね。 今週は、内閣改造劇のニュースでいっぱいでしょうが、こんなことはもう、どうでもいいんじゃないですか。どんなことをしても、森内閣の支持率がそう大幅に回復するとは思いません。しょせん、ダメなものはダメなんです。日一日と20世紀は暮れていきます。 00:30東京の寓居にて |
サイト開設から満一年 いつも白川サイトをご訪問いただきありがとうございます。今日で、このWebサイトも開設満一年を迎えました。顧みれば、パソコンなど触ったこともない私がサイトを開設してどういうことになるかなど、一年前にはまったく想像もできないことでした。しかし、必要に迫られてまず始めることにしました。案ずるより産むはやすしというほどではありませんが、必要に迫られてやれることをやっているうちに、わがサイトもなんとなく格好がついてきたように思います。お陰さまで、政治家のサイトとしては5本の指に入るアクセス数を誇っているのですから、それなりの意味のあるサイトなのではないかと思っています。 これも、多くのみなさまが私のサイトをご覧になってくださることがなかったならば、私をはじめスタッフもどうしても力が入らないわけですから、このサイトを育ててくださったのはご訪問いただいた多くのみなさまの賜物と、心から感謝申し上げる次第です。また、私のサイトを牽引してくれたのが書込交流広場(BBS)でした。旧BBSで15、000件、新BBSになってからでも3,300件もの書込みをいただきました。これらが、このサイトを訪れる方々の興味を増してくれました。この機会にBBSに書込みをしてくださった方々に、心から厚く御礼申し上げます。これからも、21世紀の日本の政治をよいものにするために、気軽におおいに書き込んでいただくことをお願い申し上げます。みなさんの書込みを必ず私の政治活動に生かすことをお誓い申し上げます。 もうひとつ、このサイトがそれなりに多くのみなさんにご愛読いただいてきたのは、公明党の政権参加について根源的な議論をしてきたからだと、私は思っています。公明党が政権に参加してから一年以上が経つわけですが、これに対する国民の違和感・拒否感は少しも和らぎません。にもかかわらず、公明党が政権に参加することの問題点を、真正面から誰も論じようとしません。加藤騒動は森内閣の不支持がきわめて高いということがそもそもの出発点でしたが、加藤氏自身の口からもその仲間の人たちからも、自公保連立の問題点は一言もありませんでした。小淵首相が自自公連立をしてからその支持率は急速に低下したことを考えれば、また総選挙での自民党の敗北や森内閣の支持率が低いのも、そのベースには自民党が公明党と連立を組んでいることにあるのは誰の目にも明らかなことなのに、これに触れようともしない。これは、公明党という政党がいかに問題の多い政党かを端的に物語るものではないでしょうか。 そうです。創価学会=公明党はこわい存在なのです。少しでも創価学会=公明党について批判的なことをいうと、創価学会=公明党は肉食獣のごとく批判者に対して襲いかかってくるのです。だから、公明党の政権参加を問題にすることは、いまや永田町ではタブーとなっているのです。これは、野党にもいえることです。公明党が与党にいるために自公保連立反対とはいいますが、そのどこに問題があるのかはっきりとはいいません。自公保連立は反対だが、民公連立なら問題はないんだとさえ受けとられてもしょうがないようないいぶりです。そんなバカな話はないでしょう。でも、ほんらい敵対しているはずの野党でさえ、公明党に対してはこのように及び腰なのです。これが永田町の現実です。私は、こうした現実に対していちばんの恐怖をもっっています。この日本にタブーなどあってはなりません。このような思いをもっておられる方が、きっとこのサイトを訪ねてきてくださるのだと思います。 これからも、このサイトを開設した初心を忘れずに、できるかぎりいいサイトにしてゆきたいと思っていますので、変わらぬご支援・ご愛読のほど心からお願い申し上げます。 09:00東京の事務所にて |
高揚の後の虚脱感 加藤騒動の終結から丸一週間が過ぎても、私の虚脱感はなかなか治まりません。私が加藤氏に期待していたものが大きすぎたのかもしれません。しかし、加藤氏と20数年間いっしょにいろいろなことをやってきたのですから、これは仕方ないと思っています。また、自民党に対する認識や責任も、部外の人より多くの思いをもっているものですから、加藤氏の政治行動が鎮圧されたことに対する危機感が人一倍大きいのも止むを得ないと考えます。いま私が加藤氏に望むことは、たいへん厳しいことにはなりましたが、加藤氏が今回の政治行動に至った原点だけは忘れないで、これからも努力してほしいということです。どんなにあしざまにいわれようが、政治家にとって大切なことは、最後に勝つことですから。 今回の件で、私にバッチがなかったことが残念だったとのメールをたくさんいただきました。確かに、私にとっても、このようなときにバッチがなかったことはつらいことでしたし、もし私が加藤氏の側にいたら、こんな結果には絶対にさせなかったであろうとの、いささかの自信はあります。しかし、これも天の配剤でしょう。私はすべてをありのままに受け止めて、これからの私の生き方を、改めて考えてみるつもりです。自民党という政党は、多くの人々がいうとおり、また私が最近のべたとおり、もう末期的な症状を露呈しはじめています。こんな自民党に21世紀の日本の政治を担うことなどできないことはハッキリしていますが、21世紀の日本の政治の道付けをどうちゃんとするかということです。その展望がまったく見えてこないところに、私の深い危機感があります。 ヴィジョンということがよくいわれますが、歴史は何らかのヴィジョンに向かって進むのか、ということです。何らかの絶対的なヴィジョンに向かって将来を考える生き方というものもありますが、現実の政治はそういうもので動くものではないと、私はつねづね考えています。現実に政治を動かし、社会を変えるのは、現実にある矛盾や弊害をどのように認識し、これをどう取り除くかということだと思っています。これならば、かなり多くの人々のコンセンサスが得られるということです。地方政治とはいえ、長野県知事選や栃木県知事選で、これまで考えられないようなことが起きたのは、新しいヴィジョンに対する共鳴より、何も生み出さない政党談合政治に対する拒否反応だったと私は思います。 平成7年の統一地方選挙のとき、「談合、天下り知事反対」というスローガンで、青島東京都知事や横山大阪府知事が誕生しました。この二人の知事はいまはもういませんが、全国の国民がもっている思いは、このときと少しも変わっていません。国民は、なんだかんだとはいいますが、それでも政治に期待しているのです。政党はこれに応える義務があるのです。その義務を果たしていないから、政党不信が増えてくるのです。 政党がなすべきことは、そんなに難しいことでもなんでもないんです。それぞれの選挙に国民が求めている候補者をちゃんと擁立して、国民とともに夢を追いながら、いっしょに汗を流して戦うことなのです。しかし、汗を流して戦うということは決して楽なことではありません。それが嫌なものですから、談合して誰か適当に選んで、それぞれが与党なろうとしているんですが、それは政党の都合であって、国民や県民の都合ではありません。このことを見透かされてしまったのです。 いまの日本で、これはいけないという国民的合意があるものとはいったいなんでしょうか。政党談合政治は、いまやそのひとつとなりました。それ以外にもかなりあります。これからは、少しこの問題を考えてみたいと思っています。明るい21世紀は、まずこうしたことをこの日本から取り除くことから始まるからです。みなさまのご意見もぜひ聴かせて下さい。みなさんが日ごろ思っていること考えていることをBBSに思いきり書き込んで下さい。支障のある方は、直接私あてのメールを下さい。私の方でご迷惑のかからないようにしてBBSに紹介させていただきます。 09:10東京の事務所にて |
戦いすんで、日が暮れて 1 加藤騒動が鎮圧されて、この数日間続いた痛烈な加藤バッシングもこの週末でおさまるでしょう。そして、自民党政治は、また同じように進んでいくことでしょう。 それにしても、今回の行動で加藤氏が払った犠牲はあまりにも大きなものでした。20数年間、加藤氏と政治行動を共にしてきた者として、また加藤氏の政治的な考えを誰よりも理解してきた者として、加藤氏のためというより日本のために、今回の犠牲を私は惜しむものです。 加藤氏が、野中氏をはじめとする自民党執行部─自民党主流派の旧時代的体質におしつぶされてしまったことにより、これから自民党の内部における改革を期待する人は、ほとんどいなくなるでしょう。加藤氏をもってしても、あの自民党の旧時代的な体質を変えることができなかったという事実は、これから若い人たちがいくら自民党の改革を叫んでみたところで、多くの国民が聞く耳をもたなくなるでしょう。 これは、自民党にとってかなり致命的なことを意味します。保守政党である自民党は、内部における自己改革を期待する人たちによって、かろうじてその命脈を保ってきたのです。自民党のなかで活動してきた私には、そのことが皮膚感覚として分かるのです。 少しでも政治的に鋭い感覚をもっている自民党の国会議員なら、このことは十分に分かっていたはずです。しかし、この人たちは、加藤氏を理解はしても、支持しませんでした。これが加藤氏を敗北させました。そして、このことにより実は、自分たちも敗北することになるのだということに気がついている人は、まだ少ないようです。でも、それはほとんど間違いないことだと、確信をもって、私にはいう自信があります。 2 一方、加藤氏も、自分のしていることの政治的意味を正しく理解していない面があったことも指摘せざるを得ません。BBSにも書いておきましたが、言葉のもつ客観性に対する認識が甘かったのではないか、ということです。 『今回の加藤政局を総括するとき、加藤氏の行動がもっていた意味をもう一度ふり返る必要だと思います。加藤氏が「不信任案に賛成する」といったときから、加藤氏がどう思うが、それは自民党の枠を超えた行動であることを意味していたのです。自民党の枠を超えたときから、国民の関心や期待が加藤氏に集まるのは当然のことですし、これを非難することはできなかったと考えます。しかし、この時点で一つの矛盾というか、今日の事態を予想するに足りる、気になることがありました。それは、自民党を離党しないと加藤氏がいい続けたことです。 多くの人たちは、これを戦術的な言葉と受け止めていました。しかし、加藤氏や加藤氏と行動をともにした人たちは、最後の最後まで意外に本心だったのではないか、ということです。このことは、テレビなどでも司会者などが指摘していましたが、加藤氏は最後まで自らの離党を否定していました。 野党の不信任案に賛成するということは、常識的に、自らの離党はなくとも除名されることを意味します。それでも賛成するということで、自民党を離れるということを覚悟しての行動、との期待は高まります。加藤氏が主観的にどう思っていようが、「不信任案に賛成する」ということは、客観的にはそういうことを意味します。言葉がもっている魔力というものでしょう。 この落差が、加藤政局を総括するときのいちばんのキーのような気がします。私は、加藤氏が不信任案に欠席するといったときから、加藤氏の言葉のもつ客観的な意味を前提にして、加藤政局を論じ、かつ予測しました。私の予測がはずれた理由も、ここにあります。加藤氏を20数年間もいちばん身近でみてきて、加藤氏をいちばん理解していると自負する私が読み違いてしまったのですから、多くの国民が読み違えてしまったのは当然だと思います。私の場合は、私の不明を恥じればすむことですが、多くの国民が加藤氏の今回の行動を責めるのは、止むを得ないことと思います。加藤氏も、この人たちに対する責任だけは免れることはできないとでしょう。』 3 政治は、言葉によって戦うものです。言葉が武器でないというのなら、昔のように、弓でも鉄砲でも持ってやればいいのです。でも、そうはいかないでしょう。だとしたら、政治家にとって言葉は最大の武器なのです。言葉を武器として使えない政治家は、現代においては武器をもたない士(さむらい)ということになってしまうのです。武器をもたない士(さむらい)は、戦いの世界で生きのびていくことはできません。 私自身、このことを、これまでの政治生活のなかでいやというほど知らされてきました。田中角栄元首相の金権体質への批判発言、憲法に対する発言、政教分離問題に関する発言などによって、党内でどれだけつらい立場に立たされたか分かりません。でも私は、自分が政治家としてひとたび口にしたことは、絶対に理由もなく撤回しないと心に銘じてきました。 それは、政治家としての信用を損なうだけではなく、政治家としての武器を失うことを意味すると考えるからです。これは、政治の世界だけのことではないとは思いますが、政治の世界では、これがいちばんの基本だということです。今回の不信任案に欠席をした議員も、反対票を投じた議員も、このことをいやでも身をもって知らされることになるでしょう。 4 最後に一つだけ言いたいことがあります。加藤氏の行動も、森内閣に対する国民の支持がないということが、最初の出発点でした。これに対する意見は、党内のほぼ全員の認識のようですが、森内閣に対する支持が少ないということの原因に、公明党との連立があるということをいう人が皆無だったことです。このことは、「自民党の明日を創る会」の人たちにも共通することです。 しかし、あらゆる世論調査で自公保連立に対する国民の支持が20パーセント前後に過ぎず、公明党が連立に参加して一年以上になるのに、反対がいまなお50パーセントを超えているのです。このような事実にみれば、公明党との連立を問題にしない主張は、事態の本質から目を背けていると、私には思えてしょうがありません。公明党との連立は、自民党の国会議員が考えるよりはるかに、自民党に対する国民の認識と評価をさげているのです。 このことに気がつかないなんてよほどの○○か、気がついていてもこれをいうことができないような自民党の国会議員は、よほどの○○○でしかありません。もう、○○としか表現できないような状態の現在の自民党は、国民の心をつかむこともできなければ、期待も集めることもできないでしょう。 こんな政治状況のなかで、わが国は21世紀を迎えようとしているのです。暗澹たる気持にならざるを得ません。 01:30東京の寓居にて |
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