─古文書蔵─
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Webサイトを開いて満5年(その3)
00:30十日町市のアパートにて |
Webサイトを開いて満5年(その2)
07:10十日町市のアパートにて |
雪国の小正月「小正月」は、ある程度全国的な行事だったと思うのですが、1月15日の 「成人の日」を移動休日にしたため、小正月の行事などに相当混乱が起きています。これは、立法当時も相当に議論されたことですが、現実となっているようです。 私たちの地域では、1月14日の夜が「鳥追い」と「ほんやら洞(かまくら)」でした。雪が降らないとほんやら洞は作れませんが、そのくらいの雪は降っていました。私が子供だったころは、子供たちが自分たちでほんやら洞を作ったものですが、当節は、大人が子供たちのために作るという風になっています。ほんやら洞の中にこたつを作り、夜遅くまで遊んだ記憶があります。 1月15日は「もぐら追い」と「どんどん焼(賽の神)」がありました。もぐら追いは、木の槌ををわらの縄で引きずって、集落中を回る行事です。もぐらが農作物を荒らすので、それを退治したいという願望からの行事だったのでしょう。どんどん焼きは、締め縄・門松・神社などのお札・だるまなどを高く積みあげて燃やす行事です。集落中のお札などが全部集められ、相当高く積みあげられました。これに火が放たれると、雪が降る中であっても、強い炎が天高く上ったものです。雪国の人々は、こうした行事で、一日も早い春の到来と、その年の豊作を願ったのです。 小正月は、大正月(1日〜3日)とそんなに遜色のないごちそうがありました。でも、大正月の年取り魚は新巻鮭でしたが、小正月の魚は塩鱒などでした。いまの子供たちには、こうした微妙な違いなど無縁なのでしょう。 私たちの地域では、伝統行事をなんとか残そうとして、大人たちが一生懸命に努力していますが、伝統行事の底にある意味や願いを子供たちに教えないと、奇異な習俗をただおしつけられていると思われてしまうのかも知れません。ある長老から聞いた話ですが、私たちの地域の「鳥追い」の鳥とは、実はトキだったのだそうです。トキは、農作物を荒らす害鳥だったからですが、これを追いすぎてしまって、いまでは、懸命になって保護しています。 今年は、15日が土曜日、16日が日曜日なので、1日ずれた感じで、それなりの小正月をそれぞれが楽しみました。写真は、15日の節季市の写真とその夜の友人宅での新築祝いを兼ねた小正月の宴会のスナップです。 節季市は、かなりにぎわっていました。雪の季節だけではなく、十日町市なのですから「十日市」をぜひやるべきだと私は思っています。やり方によっては、十日町市の中心商店街の活性化を起爆することになると考えます。
友人宅では、奥さんの心づくしの郷土料理がたくさん出されました。ほんとうにおいしく頂戴しました。また、十日町市でとれたイノシシで、ぼたん鍋がふるまわれました。一同、感激しました。私は、ぼたん鍋をはじめて食しました。その味は…うーん、なかなか微妙なお味でした。 何はともあれ、よんだり、よばれたり──地方の人は、欧米風にいえばホームパーティーをこうして楽しんでいます。東京ではなかなかやれないことです。こんな風に生活を楽しむ──これは、私のいう「偉大なる郷土」のひとつの側面だと、言えると思います。 さて、今週はもう休日はありません。正月気分から脱して、仕事に本格的に取り組もうではありませんか。ご健闘をお祈りします。 12:00十日町市の事務所にて |
当地、豪雪となりました
22:30十日町市のアパートにて |
Webサイトを開いて満5年(その1)
(つづく) ★最初に書いたとおり、使い慣れていないPCのため、少し疲れました。あまり夜遅くまで起きていると明日の仕事に差しつかえますので、以下は次号にさせていただきます。 00:30十日町市の事務所にて |
新年のごあいさつスマトラ島沖大地震と、それに伴うインド洋沿岸の巨大津波により亡くなられた方々のご冥福を、心からお祈り申し上げます。また、巨大地震と津波により被災された多くの皆さまに、衷心よりお見舞い申し上げます。私たちの地域では、2ヶ月あまり前に大きな地震にみまわれました。いまなお多くの面で、その被害とたたかっております。それだけに、今回の地震と津波で被災された皆さまの悲しみと難儀は、人ごととは思えません。多くの国々と国際機関の努力により、第二次被害の発生を最小限にくいとめ、一日もはやく復興されますことを、祈らずにはおられません。 謹んで新年のごあいさつを申し上げます。久しぶりに凛としたとした心境で、新年を迎えることができました。私が暗中で模索しているときにも、多くの方々から力強い激励をたまわり、また、あたたかいご指導をいただいた結果です。心から、厚く御礼申し上げます。とはいえ、新潟県中越地震で被災された皆さまや度重なる台風や水害の被害にあわれた方々のご苦労、また年末に発生したインドネシア・スマトラ島沖の地震と津波で被災された皆さまの悲しみに想いをいたすとき、例年のように素直に新年を祝うわけにはゆきません。私たちは、想像をこえる被害にあったとき、人間は自然の力の大きさに驚くとともに、おのれの存在の小ささを思い知らされます。私たちは、地球という星の小さな存在にすぎないのであり、人間は地球の恵みの恩恵にあずかることはできても、地球を支配することなどできないのだということを、改めて思い知らされます。 国際政治の面でも、同じようなことがいえるのではないでしょうか。アメリカは、世界一のスーパー・パワーをもった巨大な国です。しかし、2億4千万人のアメリカが60億の人々が住む世界を支配することはできないし、また、すべきでもないということです。いまの日本の政治は、アメリカの世界支配を当然のこととし、これに追従することに必死になっていますが、事の根本に思いをいたせば、それがいかに危ういものであり、愚かなことであるか、わかるはずです。アメリカが世界とどう向き合うかは、アメリカという国の問題です。日本は、わが国なりの戦略とポリシーをもって、世界各国と向かい合い付き合っていくべきです。「日米同盟」などということが安易に使われておりますが、「同盟関係」などという表現は、そもそも軍事的な用語でした。あまり軽々に政治や経済の問題で使うべきではないと、私はいつも考えています。 さて、昨年12月12日、ことし春に行われる新しい十日町市の市長選に立候補することを正式に発表して以来、私は毎日を殺人的スケジュールで過ごしています。しかし、選挙にはなれておりますので、忙しさそのものは、なんともありません。これまでは、国政がテーマでした。いくら具体的に話しても、テーマそのものは抽象的なことでした。こんどは市政がテーマです。私たちが住む地域をどうするかという具体的な問題です。もちろん、なかには抽象的なこともありますが、多くが、きわめて具体的なテーマが多く、かつ執行権のある市長になるかどうかですから、これらの問題を具体的にどうするかということを話さなければなりませんし、また話せます。責任と緊張がありますが、一方ではやりがいもあります。なんといっても、30年ちかくおつきあいした方々とこういうテーマについて親しくお話しできることが、うれしくて仕方ありません。毎日を元気に、充実してすごしております。いろいろと心配してくださる方が多いのですが、ご安堵ください。 これまで、私はいつも全国区の政治家でありたいと思って努力してきました。十日町市という小さなまちの市長選に臨んでも、また、市民の皆さまの支持をえて市長となった暁にも、全国的にみても価値ある市政を、しっかりと担う決意です。新しい十日町市は、全国に自慢できる「10の日本一」をもった市にしたいと私は考えておりますが“政治的には日本一の先進な市である”ことなど、少しの予算もかけないでつくることができます。こんどの市長選は、その第一歩でなければならないと思っております。ですから、私はもてる力のすべてを出しつくして、立派な選挙をやる決意です。年末年始も休みなしでいるのは、そのような決意からです。幸いにも、このWebサイトを充実させるために私をフォローしてくださる若いボランティアにめぐり会うことができました。これにより「日々のアルバム」などが、かなり充実できると思っております。どうか、本年も白川サイトを可愛がってください。 新しい年が、皆さまにとりまして素晴らしいお年となりますことを祈念して、新年のごあいさつといたします。 00:00しんしんと雪の降りつもる十日町市から |
PCの緊急入院押し迫ってまいりました。今日からお休みという方が多いのではないでしょうか。羨むつもりはまったくありませんが、政治家の事務所は基本的に年中無休ですから、御用おさめなどまったく関係ありません。また私たちの地域では、30日くらいまで仕事をしている会社も多くあります。建設関係の会社などは、地震の関係でほとんどが30日まで仕事です。10月23日の地震発生から、建設関係の方々は満足な休みをとっていません。それだけ忙しいのに、儲かっているかというと、そうではないようです。被災者に対して、通常の代金を請求する訳にはいかないそうです。 記者会見の日から半月が経ちました。忙しい毎日でした。でも、これはありがたいことです。候補者がヒマのようでしたら、困ったことなのです。この間だけでも、実にいろいろなことがありました。それを皆さんにお伝えしたいのですが、私の愛用のノート型PCが、ついにおかしくなってしまって、使えなくなりました。また事務所のPCの接続ができなかったために、インターネットも使えませんでした。私のPCはいま、Webマスターのところに緊急入院しています。事務所のPCは、インターネットに接続できるようにはなったのですが、4年間使いなれたPCと勝手が違うため、この原稿も思うように打てません。こんな事情で、なかなかupdateできなかったことをお許しください。はたしてこの原稿がWebマスターのところに無事届くかも、自信がありません。届くことをただ祈るだけです。(Webマスター補記: ちゃんと届きました。先生のノートはLet's Note CF-A77という、メモリさえ増設すれば現行のWindows XP Home Editionのインストールさえ可能な機種ですが、基礎体力が足りないところへ、これまでのウィルス性疾患や蓄積疲労などが災いしたのでしょう。様々な症状を呈していて、今、治療に難儀しています。) さて、私がWebサイトを開設してから、満5年が経ちました。実に波乱にみちた歳月でした。この中で、私のWebサイトは大きな役割を果たしてくれました。いささかの感慨があります。これからも、このWebサイトを皆さまの期待にそえるようなものにするために、努力していきます。私が写真をメールで送ることができないために「日々のアルバム」を立ち上げることができません。インターネットに強い人もおりますので、そのうちupdateできるようになると思います。 「始めはすべて困難である」 マルクスの『資本論』の冒頭の言葉です。戦いを始めると、いろいろと難しいことがあります。しかし、私はこの言葉を知っておりますから、悲観も落胆もしません。それらをすべて克服することが私の修練だと、胆に命じております。使い慣れていないPCと向きあっていると、肩がこります。5年前、はじめてPCに触った時を思い出します。明日の仕事に差し支えになりますので、このへんで止めさせていただきます。良いお年をお迎えください。 00:45十日町市の事務所にて |
爽快な朝十日町市長選への出馬を表明して、ちょうど1週間が経ちました。当然のことながら、無茶苦茶に忙しく、永田町徒然草の更新ができませんでした。お許し下さい。多くの方々からメールをいただきました。ほとんどが、今回の私の行動を支持する、評価するというものでした。なかには、やはり国政で頑張って欲しいというものもありました。皆さまからのメールは、私を元気付けます。ありがとうございました。 私の十日町市長選への出馬は、地元のテレビ・新聞などで大きく報道されたために、十日町地域では、ほとんどの方々がもうご存知です。十日町地域は衆議院の選挙で私が7割の得票をしていたところですから、私のことは、皆さん知っておられます。ですから、どこにいっても、多くの方々から「白川さん、頑張って下さい」と声をかけられます。ありがたいことです。勇気百倍になります。私は参議院選挙と昨年の衆議院選挙で財産の全てを失いましたが、これが30年の政治生活で残った最大の財産です。政治家は、地元の皆さまの信頼さえあれば、あとは何もいらないのです。 この間に、事務所もアパートも決まりました。昨日は、同志の皆さまと引越しをしました。東京、上越、十日町、長岡の事務所にあった備品・事務機器などが倉庫に詰まっているのですが、今度の事務所はそんなに広くないので、その一部だけをもってきました。「もう引越しは最後にしましょう」と、同志の皆さんは苦笑しながら作業をしました。一つひとつに、思い出があります。思い起こせば、私の29年の政治生活は、まさに戦いの連続でした。ちょっぴりほろ苦さを私も覚えました。 新しい事務所は地震でやられ、大至急で修復してもらったのですが、今日やっと電気が入ります。電話も、今日午後からつながります。このように、地震の爪痕はいたるところにあります。事務所は城です。梁山泊です。スタッフも順次決まっていきます。「偉大なる郷土づくり」が、いよいよ本格的に始動します。私は、毎日が楽しくて仕方がありません。夜12時過ぎには寝るようにしているのですが、朝早く爽快に目覚めます。 ちょっと困っているのは、いま住んでいるアパートからでは、思うようにインターネットに接続できないこと。私は長らく、PHSを使って接続してきたのですが、公衆電話が少なくなったせいか、電波が弱く、繋がる時もあれば繋がらない時もありますが、どちらかといえば、繋がらないことの方が多いのです。1時間近くやっても、結局ダメな時もあります。こんなところにも、都市と地方の格差があります。今度は全国を飛び回るわけではないので、有線に変えます。これからは、もっとマメに更新します。それでは、また。 06:40十日町市の新しいアパートにて |
帰りなん、いざ。田園将に蕪せんとす。本日16時、私は十日町市で記者会見をしました。その場で、大合併をして来年4月1日誕生する十日町市の市長選に出馬することを表明しました。記者会見に先だち、14時から十日町地区白川勝彦後援会緊急会議を開き、出馬に至る経緯と決意を明らかにし、ご賛同をいただきました。 新潟5区から衆議院選に出馬するにあたり、昨年9月、その経緯をご理解をいただくために同じような会議を開きました。1年ぶりに多くの同志の方々にお会いした訳ですが、あの時は、どんなお話をしても後援会の皆さまにご理解をいただくことはできませんでした。涙、涙の会合となりました。今回は熱い激励をいただき、新しい出発を決意する会議でした。30年にわたり私を支えて下さった後援会の皆さまこそ、政治家である私のすべてであることを、改めて思い知らされました。
中国の詩人・陶淵明(365〜427)の「帰去来の辞」の冒頭の詩句が、この数ヶ月いつも私の心をとらえていました。「田園将に蕪せんとす」── 地方の現状は、まさにこのとおりなのです。新潟県中越大震災は、甚大な被害を私たちの郷土にもたらしました。「胡ぞ帰らざる」── そうです。帰らなければならないのです。陶淵明は自然と親しむ人生をいそしもうとして帰郷し、美しい多くの詩を残しました。私の場合は、これから、郷里の人々と共に美しい「偉大なる郷土」を創るためです。帰心矢の如しでした。 出馬にいたる経緯や心境は、「市長選出馬にあたっての決意」としてアップいたしました。また、「新十日町市の行政についての基本的な考え方」として、行政運営の基本理念について、私の考えを具体的に述べています。少々長いものになりましたが、お読みいただければ幸いです。平成の大合併の結果、3300の地方自治体は2000くらいになります。うち市は、720くらいです。すべての日本国民は、どこかの地方自治体に属しています。その首長は選挙で選ばれます。政治家たる首長が、住民の代表として行政をどのように運営するか。それがいま問われています。 官僚の書いたペーパーを棒読みし、官僚の敷いたレールに素直に乗る。官僚(役人)支配は、中央だけではなく地方も同じです。多くの国民は、このことにフラストレーションを感じています。本当の政治家ならば、このところを変えなければならないのです。また、政治家には、変えることができるのです。私は、政務次官を2回、大臣を1回務める中で、それを経験しました。今、30年間政治家としての厳しい修行をしてきた者として、これに挑戦します。それは、一地方自治体の問題にとどまらず、全国的な価値をもっていると信じます。乞う、新しい十日町市への注目! 17:30十日町市にて |
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