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全国民がその無事を祈った皆川さん親子3人は、レスキュー隊の必死の救出活動にもかかわらず、無事だったのは長男の優太ちゃん(2才)だけでした。お母さんの貴子さんも、長女の真優ちゃん(3才)も、土砂崩れの下敷きになった瞬間にその命を奪われてしまったとのことです。あの現場をみれば、それは容易に
頷
けます。あの現場は、土砂崩れというより「崖崩れ」といった方がいいでしょう。あの大きな岩石の下敷きになったのでは、ひとたまりもないないと思います。優太君があの大惨事の中で4日間も生きていたことが、奇跡だったのです。
ご遺族に、衷心からお悔やみ申し上げます。貴子さん、真優ちゃんのご冥福を、心からお祈りいたします。また第二次災害の危険のある中、文字通り必死の救出活動を行なったレスキュー隊の皆さんに、敬意を表します。
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さて、私はこれまで「十日町市では、幸いにもビルや家屋の倒壊などは比較的少なかった」と書いてきましたが、これは全くの素人目の報告でした。確かに見た目には、倒壊したビルや家屋は少ないのですが、専門家の目からみたらビルや家屋の根幹部分がやられ、そのため危険で使うことができないビルや、家屋が非常に多くあるのです。例えば、十日町市にある大きなビルの状態は次のようなものです。
[県立十日町病院] 外見は、ほとんどなんともないのですが、骨格部分がやられてしまい、危険で立ち入り禁止となっています。また医療機器等も大きな被害にあい、使えなくなっています。ですから、軽い患者さんは家に帰され、重症の患者さんは他の病院に搬送されています。近くの小千谷市や長岡市の病院は満杯なので、遠くの病院に行かなければなりません。
[新潟厚生連JA中条病院]第二病棟は危険建物となったために、立ち入り禁止となりました。第一病棟も危険なために、近くの病院などに患者さんを移送しています。
[商工会議所の入っていたビル] 十日町市街地のど真ん中にある十日町商工会議所の入っているビルは、崩壊が激しく、取り壊さなければならないとのことです。
このほかにも、1955〜1965(昭和30、昭和40)年代に建てられたビルの被害は大きく、今後、取り壊わさなければならない建物が、かなりあると予想されます。それ以前に建てられたビルは、十日町市にはありません。
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地震直後に倒壊した木造の家屋が、かなりありました。危険なために既に取り壊された家屋も、相当数あります。山間部の集落の被害には、やはり大きいものがあります。
素人目には一見なんともなく見えた家屋も、建築の専門家が診ると危険と判断され、「赤紙」が貼られた家屋が多数ありました。特に、十日町市や信濃川を挟んでその対岸にある中魚沼郡川西町では、そうした家屋・店舗が多数あります。
赤紙の貼られた建物は、現在でも損壊が激しく危険であり、また事実上使用することもできません。しかし、厄介なのは、「黄色の紙」を貼られた建物です。現在は一見大丈夫そうに見えても、詳細に調査する必要があり、また今後の余震などによっては、倒壊や危険な建物となる可能性があるので、要注意の建物という判定なのです。この黄色い紙を貼られた建物は、それこそ無数にあります。
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私は「余震など」と書きました。それは「余震だけでない」という意味です。そして、余震がどうなるかは気象庁でも確かなことはいえないようですが、この「など」は、近い将来に必ずくるのです。それは、間違いなく到来する、最低でも2メートル前後の積雪となる雪です。
前に、今回大きな被害を受けた被災地は、例外なく日本一の豪雪地帯だといいました。十日町市は、その中でも一番の豪雪地域なのです。2メートル前後の積雪といいましたが、このくらいでは、十日町市ではまだ豪雪ではないのです。1984・1985(昭和59・昭和60)年の豪雪の時には、十日町市の市街地で積雪が4メートルを超えました。街全体が、雪に押し潰されるのではないかという恐怖をおぼえました。
間違いなく到来する2メートル前後の積雪は、他の地域では間違いなく豪雪です。積雪2メートルというのは、毎日降った雪が地上でどのくらい積もっているかということです。毎日降る雪を累積したものを降雪量といいますが、2メートルの積雪というのは、降雪量でいうと10メートルの前後の雪が降った場合にそうなるのです。1日に1メートルくらいの雪がふるのは、十日町市では本当にめずらしいことではないのです。こうした降雪が3〜4日間続けば屋根には2メートルくらいの雪が積もります。その重量は大変なものです。
これを屋根から降ろすのが、「雪降ろし」です。しかし、十日町市では「雪降ろし」とはいわず、「雪掘り」といいます。私も昔よくやらせられましたが、雪降ろしをする人にとっては、すっぽりと自分の身が埋もれる雪の中での作業です。だから、雪堀りと呼ぶのだと思います。1メートルくらいの雪を屋根から落とすのならば雪降ろしなのでしょうが、2メートルくらいの屋根の雪を降ろす作業は、本当に雪を掘る仕事なのです。
十日町市だけではなく、今回の地震で大きな被害を受けた地域は、みな同じです。こうした雪(他の地域でいえば文句のない豪雪)が、あと1ヶ月もしない内に確実にやってきます。黄色い紙を貼られた建物にとって、それは地震と同じくらい危険なのです。このことを考えると、他の地域であれば補修したりすれば大丈夫の家も、私たちの地域では、結局は取り壊さなければならないというケースが多くなるでしょう。
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昨日、十日町市や川西町を回った後、私は、午後から長岡市と小千谷市に足を運ぶことにしました。普段ならば小千谷市には20〜30分もあれば行けるのですが、十日町市と小千谷市を結ぶ国道117号線も、主要地方道小千谷・十日町・津南線もJR飯山線も多少遠回りになりますが、国道17号線も交通止めのため、十日町市から東頚城郡松代町(国道253号線)、松代町から刈羽郡高柳町(県道)、高柳町から柏崎市(国道252号線)、柏崎市から長岡市(北陸高速道)、長岡市から刈羽郡越路町を通って小千谷市に行きました。所要時間は2時間半でした。
小千谷市に入ると、十日町市とも、途中通った長岡市や越路町とも、全然違った様相でした。まず第一に、道路の損壊はひどいものです。仮復旧は既になされているのですが、市街地に向かう平地の道路もいたる所で陥没し、車の腹を打ってしまいます。電線こそ切れていませんが 、電柱が大きく傾いています。倒壊した家屋がいたるところにあります。
私は先ず、いとこの嫁ぎ先に行きました。昨年の選挙では、必死になって私を応援してくれました。私のいとこといっても、かなり歳が離れているので、お孫さんがいます。要するにおばあちゃんです。彼女が冒頭に発した言葉。
「勝っちゃん。よォーくきてくれたのォー。勝ちゃん、これ見てくんねェー。今日もこれを食えというんだって」
彼女が私に見せた紙袋には、カップヌードルが6個入っていました。彼女は少し半狂乱の様子でした。私はこう答えました。
「文ちゃん。大丈夫。ちゃんとした弁当を買ってきたから。それより、ちょっと小千谷の街の中を案内してよ」
私は彼女(文ちゃん)に小千谷の街の中を案内してもらいました。中央商店街はもうもう夕暮れだというのにほとんど明かりが点っていません。この街では、3分の1くらいが赤紙でした。
暗い街中に医院がありました。めずらしく電気が点いていました。昨年の選挙でたいへんお世話になった先生です。文ちゃんがズカズカと入っていったので、私もついていきました。先生は治療に忙しくてお会いできませんでしたが、婦長さんがいいました。
「私の家は、まだ電気が来てないのよ」
JR小千谷駅の近くにお住まいだそうです。小千谷市の市街地です。
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小千谷市の市街地を小一時間近く案内をしてもらい、彼女の家に入りました。彼女の家は、青紙でした。大丈夫だったのです。でも、家の前の車庫で生活し、夜は2台の車の中で一家6人が寝ているそうです。
午後6時半ころ、私が高柳町で買ってきた弁当を食べました。田舎のお弁当屋さんが売っていた弁当です。1週間ぶりに食べた、ちゃんとした食事だそうです。彼女は涙を浮かべていました。私は、彼女からくだんのカップヌードルを貰って、それを頂きました。いっぱいあったパンも頂きました。
2時間くらい、車庫の中でありったけの話を聴き、私は同道した長岡の友人と長岡市に帰ってきました。長岡市に入るとスーパーやコンビニが開いていたので、そこに寄って商品を観ました。肉や魚屋やお惣菜が陳列されていました。小千谷市や十日町市では、まだこうなっていません。だから、彼女のようになるのです。
夜の長岡市を車で一巡しました。食堂に電気が点いていました。営業もしていました。しかし、住宅地に行くとやけに暗いのです。電気の点いている家の方が少ないのです。人口18万の長岡市で、避難生活をしておられる方が4万人だというのですから、これも頷けます。
視察がてらスーパーで買ってきた魚とお惣菜で、遅い夕食を食べました。友人も1週間ぶりのちゃんとした食事だと感
一入
のようでした。私の定宿のホテルは満室でした。仕方ない、今日は私も車で寝なければならないかと覚悟をしたのですが、諦める前に挑戦することにしました。私の長年の知恵で、こういう時はモーテル(いわゆるラブホテル)が穴場だということを知っていたので、これに挑戦することにしたのです。友人は1週間風呂に入っていないというので誘いました。
最初に挑戦したモーテルは、案の上ガラガラでした。私は直ぐ休みました。さすがに私の疲労もだいぶ溜まってきたのです。友人は、長い間風呂に入っていたようです。午後6時頃目覚め、この文を打ち始めました。友人はイビキをかいて寝ておりました。
これを書き終え、いつまでも熟睡している友人を起こして、これから長岡市の街を改めて観てきます。山の中のモーテルのため、DDIポケットではインターネットに繋がりません。こんな調子ですから、乱文の程、ご容赦下さい。