─古文書蔵─
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雑誌『潮』の記事について ─ 壱 ─ 少し想うところあって、しばらく永田町徒然草のupdateを休ませてもらっています。しかし、今朝、新聞を見ましたら雑誌『潮』の広告が目にとまりました。そこには「自壊した"白川新党"の無残」とありました。私のことを心配していてくださる多くの方々にさらに不安を与えることになるのではないかと思い、久々に『潮』を買ってきました。本の目次には『自壊した無残な"白川新党"。」という見出しがありました。そして、本文の見出しは「傍若無人の選挙運動で自壊した無残な"白川新党"」とあります。 そして、小見出しには「選挙で作った借金のために選挙にでる―。」とあるではありませんか。そして、記事の冒頭には、このことがまず書いてあります。 <白川事務所の元関係者は取材に対して次のように述べた。 ─ 弐 ─ 何ともまあ…。私にとっては、唐突にして無礼な批判です。この「白川事務所の元関係者」が誰であるかは不明ですが、白川事務所の「元関係者」というところが、また巧妙です。政治事務所には、無数の関係者がいます。その一人からの取材で「選挙で作った借金のために選挙に出る」と結論づけられたのでは、たまったものではありません。 私は、政治をやりながらお金をためたことはありませんが、選挙で借金を作ったこともありません。私は、政治や選挙はある金の範囲内でやるという考えをもっています。政治や選挙は商売ではないのですから、借金をしてやるものではないと考えています。私の長い政治生活の経験からいって、政治には、世間で思う程おいしい話はありません。 平成12年の衆議院選挙でも、私は落選はしましたが、選挙にかかった費用はすべて支払い、そのことに関する苦情は一切ありませんでした。冗談をいうのもいい加減にしてもらいたいと思います。私が今年の参議院選挙に立候補することを決意していたのは、衆議院選挙の直後からでありました。 その理由は大きくいって二つあります。 ひとつは、私の政教分離の信念に基づくものであります。このことは前回の衆議院選挙でも最大の焦点として私は訴えましたが、これは新潟6区だけの問題でなく、まさに日本全体の問題である訳ですから、参議院比例区で訴えるのにもっともふさわしいと考えたからです。 もうひとつは、政治家としての信義に基づくものであります。私は、平成8年の衆議院選挙で自民党の総務局長として、選挙の責任者の一人でした。この選挙で、自民党は政教分離を強く訴えました。私は亀井静香氏とならんで、そのキャンペーンの指揮をとりました。その自民党が、公明党と連立を組もうというのですから、それは私にとっては、信義に悖(もと)るものとしか考えられませんでした。公明党と連立をするかどうか、党としていろいろと協議しているとき、私は自民党の団体総局長として自民党を支援する各種団体との折衝役をしていました。 私は、多くの団体や支持者から、この信義に悖る連立をなじられました。そして、私自身もこの信義に悖る連立には反対でした。しかし、亀井氏をはじめ、公明党の政権参加に反対していた者が次々と「転向」していく中で、自民党の政治家の中でも一人くらいは信義を貫く者もいるんだということを行動で示すことが必要だと、私は強く確信しました。そうでなければ、自民党は保守政党としての基本を失ってしまうと考えたからです。 ─ 参 ─ 私の参議院選挙に立候補した理由は、以上ふたつの理由に基づくものです。私は政治家として、もっているすべてのものを賭けて、この戦いに臨みました。参議院比例区に立候補するということ自体が、実は大きな戦いでした。六千万円の供託金、十人の候補者の擁立、キャンペーン戦。しかし、多くの方々のご協力を得て、参議院比例区に立候補することが出来ました。 ともかくも、立てなければならない旗は立てることが出来ました。政治家にとって大事なことは、立てるべき旗を立てるということだと思います。この旗に有権者がどのように応じてくださるかは、政治家の力だけではどうにもならないこともあります。しかし、結果を先に考えるのではなく、やるべきことをやるということが、政治家の仕事だと私は考えています。少なくとも、それが政治家としての私の生き方です。 そして、結果はでました。たった一人から始まった戦いに、四十七万余の方々が支持して下さったと評価すべきか、四十七万の支持しかなかったとみるべきかは、人によって評価の分かれることだと思います。ただ、私には立てるべき旗を立てて戦いに挑んだことに、悔いや反省はありません。このことはこれまで一貫して述べてきた通りです。ただ一つだけ確実にいえることがあるとしたら“借金を返済するための戦いなどに四十七万余の方々の支持など絶対に集まらない”ということだと思います。それを、あれこれというのは、有権者への侮辱です。 ─ 四 ─ この他にも論者(私は知りませんが、神輪明見というフリーライターです)は、借金の話と同じように<「新党・自由と希望」関係者、支援者、地元支持者>などという特定しがたい者から取材したという情報に基づいて敗因を分析していてくれますが、あえて一つひとつ反論する必要はないと思います。 私も完璧な人間ではありませんので、いくつかの間違いを犯したとはおもいますが、これまでも述べてきたように今回の戦いの敗北は、些細な戦術上のミスで結果がどうなるというものではなかったと思います。ひとつは、選挙制度自体の問題です。個人の力量や努力では、残念ながらどうすることもできない厚い壁があると思います。それは、三十人もの候補者を擁立した自由連合や東京都知事までやった青島幸男氏の結果をみれば、歴然としていると思います もうひとつは、公明党の政権参加をどうみるかについての、有権者の考えだと思います。憲法上極めて問題があり、国政に必ず大きな禍根を残す公明党の政権参加を、有権者がどう考えるかということです。有権者がそれでいいと考えているとしたら、それはそれで仕方ありません。だからといって、私は私の考えを変えるつもりは全くありませんし、私の考えが間違っているとは毛頭思いません。そして、国民も自民党も、将来必ず大きな「ツケ」を払わなければならないことだけを指摘しておきます。 ─ 五 ─ ところで、この間、ニューヨークのワールドトレード・センターに2機のハイジャックされた旅客機が突入していく映像を何百回も見せつけられました。少なくとも、これまでのテロ史上もっとも残虐かつ大規模なものでした。このテロに何十人、それとも何百人が関与しているのか、まだ捜査情報が発表されていませんので分りませんが、仮に数十人だったとしても、このようなテロを犯すことができたのは、この犯行集団が宗教的な何かで武装されていると、私は直感的に感じました。ですから前号でそのように指摘しました。 私は、数十人が関与する犯罪で最後まで秘密が漏れないなどということは、その犯行集団が思想的か宗教的な何かで武装されていなければできないことだと思っています。どんな人間にも良心というものがあり、複数人で犯罪や謀略を行うことは極めて困難なことだと考えるのです。現在、アフガニスタンのタリバン政権とビン・ラディン率いるアルカイダに対する軍事攻撃が行なわれていますが、これすなわち、アメリカはビン・ラディン率いる集団の犯行との証拠と根拠をもってのことと思います。 ですから、今回のあのいまわしい同時多発テロは、「宗教で武装されたテロ集団」の犯行だと私は考えているのです。 そして、旅客機がワールドトレード・センターに突入していくあのシーンを見せられるたびに、「宗教で武装された選挙集団」に乗っ取られているわが国の現状を、私は思わずにはいられません。まさに信じられないような大惨事を行ったのは、宗教で武装されたテロ集団だからできたことです。それと同じように宗教で武装された選挙集団も、いつ信じられないようなことを行うか分りません。 今回の訳の分らない選挙制度改革案の提起など、そのひとつではないでしょうか。そのあまりの馬鹿らしさに、世論は一斉に拒絶反応を示したために、さすがに公明党は事実上の撤回をせざるを得ませんでしたが、こういうことを平気で行うところに、私は恐ろしさを感じます。そして、着目すべきは、自民党の中にこれと呼応する分子がいたということです。選挙制度は、1億人の参加する国政の基本です。これを自分たち一党の都合によってどうこうできるという発想・思い上がりは、まさに「宗教で武装された選挙集団」にして、はじめてできる行動ではないでしょうか。 わが国の行政や財政は、世界でも最も大きなものの一つといって過言ではありません。その中枢に「宗教で武装された選挙集団」がいることを、私たちは忘れてはなりません。そして、政権の中核である自民党も、この集団に侵されつつあるということです。六千億円ものお金が地域振興券ということでバラまかれたのは、記憶に新しいところですが、よほど注意していないと、このようなことが、また、いつ行われるか分りません。数千人の人命と数千億円の建物を一瞬の内に奪ったあのシーンと、わが国の現状がダブってみえるのは、私の思い過ごしでしょうか。 ─ 六 ─ 私は、今回の参議院選挙に、私のもっているすべてを賭けて戦いました。私は勝利を確信していましたから、当選した暁には、もらえる公費もあてにしていましたため、党と私個人に、その分だけの借金が残ってしまいました。関係者にご迷惑をお掛けしていることを、誠に申し訳なく思っております。これは、私の政治生活の中ではじめての不覚です。 多くの方々から、一日も早い再起を期すようにとの励ましを沢山いただいておりますが、命がけの戦いを行ったものにとって、それは、そう簡単なことではありません。私には、たったひとつの命しかないのですから…。私は、いつもそういう生き方をしてきました。しばらくは、時間をいただくほかありません。ただし、私は私が立てた旗は断じて降ろしませんから、ご安心下さい。 しかし、もし私の意見に賛同される方がおられたら、その方の心の中に、私が立てたと同じ旗を立てて欲しいのです。そして、自分でできるところで結構ですから、全力で戦って欲しいのです。わが国の繁栄と自由のために ─ それが私の切なるお願いです 少々長くなってしまいましたが、お読みいただいたことを感謝申し上げます。 20:10上越市北城町の自宅にて |
アメリカの同時多発テロに思う 昨夜、外出から帰ってテレビのスイッチを入れると、世にも恐ろしい出来事が起きていた。ハイジャックした旅客機で目標の建物に激突する。私は、かつての日本の神風特攻隊を連想した。神風特攻隊の場合は、考えたほどの被害をアメリカ軍に与えなかったというが、今回の自爆特攻隊はアメリカに、いや世界に衝撃的な被害を与えた。 明け方まで、私はテレビにくぎ付けになった。攻撃されたワールドトレードセンターは、昨年アメリカに行ったときその展望台に登った。またワールドトレードセンターが崩壊していく様は、白昼夢の中の出来事としか思われなかった。2〜3回しかニューヨークにいったことのない私にこれだけの大きな衝撃を与えたこの惨事は、アメリカ人にとって計り知れない衝撃であったと思う。ワールドトレードセンターは、エンパイアステートビルとならぶ、ニューヨークのシンボルなのである。 また、世界の軍事の中枢であるペンタゴンが攻撃された。たぶん戦争の場合でも、この建物だけは最後まで攻撃されることはないであろう。ここは、アメリカにとって最後の砦なのである。こちらの方の人的・物的被害は、ワールドトレードセンターのように大きなものではないようだが、アメリカという国の自尊心に打撃を与えたと思われる。ペンタゴンも何度か訪れたことがある。世界を軍事的に制圧する威容を誇るこの建物が攻撃されたことは、軍の関係者に大きなショックは与えたであろう。 悪夢、戦りつ、世界震かん、「人間のやることか」──『読売新聞』。暴挙、悪夢、無残、大惨事──『朝日新聞』。これが今日の新聞の今回のことに対する形容である。喜怒哀楽についての語彙(ごい)の多いアメリカではどのように表現されているのであろうか。新しい世紀が始まったばかりだというのに、こういうことが起きるのは今回で最後にしてほしい。そういう意味を込めて、私は「世紀末的悲劇」と形容したい。21世紀がこんなことが繰り返される世紀であって欲しくない。 今回のテロ攻撃は、相当の組織をもった集団の犯行であることは疑いを得ない。そして、その集団にはおそらく宗教的なものがあるであろう。宗教的なものがない集団にこれだけの犯行ができるはずがないと私は信ずるからである。組織的な謀略など、普通の組織では、そう簡単にできはしない。長い間、自民党という政治組織で戦ってきて、また他陣営を見てきたものとして言えば、組織的な謀略は、口でいうほど簡単なものではないのである。 かつては、共産主義という、個人を超えて組織に対してロイヤリティを誓う政治的イデオロギーがあった。しかし、世界全体の自由化の流れの中で、共産主義的な組織も、そう簡単に組織的謀略を行うことは困難になったものと思われる。もちろん警戒は怠れないが、そのような傾向は否めないと私は思っている。そうした中で、共産主義よりも伝統が長く、またその集団の形成のあり方からいって、組織に対するロイヤリティから組織的謀略を行うことができるのが、カルトと呼ばれる宗教的色彩を帯びた団体なのである。 フランスにおいては、カルトという存在は、もはや「宗教」ではなく、「宗教の仮面を被った全体主義」という認識をしている。そして、カルト問題は、すぐれて世俗の、そして政治の問題であるとされているのである。私はこの考え方は、正しいと思う。今回も当事者がどう思っているかは別にして、その実態はカルトと規定される集団の犯行と思われる。事態の推移を見守りたい。 それにしても、フランスではカルトと認定されている創価学会に事実上支配される公明党が、政権の中枢に入っているにもかかわらず、この問題を真剣に考えようとしない日本という国で、何が起こるか注意を喚起しておきたい。わが国でいま、政治的謀略を行える集団があるとしたら、創価学会・公明党がその筆頭であることだけは認識しておく必要がある。私が政教分離問題にこだわるのは、こうした理由からでもある。 12:00東京・砂防会館の事務所にて |
月も改まり、9月となりました 戦いすんで、暑い夏も過ぎ、月が改まり9月となりました。私の場合は、選挙の残務処理の仕事もあり、長い長い1ヶ月でした。多くの方々がいろいろと心配してくださいますが、選挙に負けるということは、昔でいえば「落城」ですから、どんなことがあっても、それは仕方のないことです。いまは、これに耐えていくしかありません。昔の武将のように、戦いに敗れたら、いっそ命もなくなった方が余程いいのに、と思うこともあります。しかし、こうしたことにも耐えなければならないのが、現在の戦う者の宿命です。 ところで、参議院選挙の直後ころから、株価が下落を始めました。先週末の日経平均株価は、バブル後最安値の10,713円でした。私は経済の専門家ではありませんので、株価下落の専門的論評はいたしませんが、こうなるということは必然だと思います。私は、4月末に出版した本の題名を編集者の発案により、「自民党を倒せば日本は良くなる」としました。しかし、先の参議院選挙で、自民党と自公保体制は圧勝しました。自公保体制が続く限り、私は日本は良くならないと確信しています。その理由は、拙著の中に詳しく書いておきましたので、ここでは繰り返しません。 いま、大多数の国民の関心は、景気回復にあります。景気回復には、日本の経済を立て直すしかありません。そのためには、経済の構造を改革するしか、道はないわけです。わが国の経済構造の最大の問題は、自由主義経済体制であるにもかかわらず、経済活動の自由が非常に制限されていることです。従って、新しい企業や産業が育ってこない構造になってしまっているのです。ここにメスを入れない限り、日本経済の構造改革は進みません。自公保体制の中で、経済活動の自由が始まるはずがありません。なぜならば、自公保体制こそ、自由を圧殺し、これと正面から敵対する体制だからです。 私は、自民党の中を長く見てきた者として、公明党との連立を始めた時から、自民党が変質していくのを肌で感じました。そして、この党は駄目になると思いました。自民党がどんなに駄目になっても構いませんが、こんな政党が政権をとっていたのでは、日本が駄目になってしまうと思いました。なぜそのように思ったか。それは、自民党の命であるはずの「自由」がない政党になったからです。自由を大切にしない政党が政権をとっていたのでは、自由が大切にされるはずはありません。小泉氏が自民党の総裁になっても、このことに少しの変化もありまん。 自公保体制という政治構造の下で、新しい政治の芽が完全に摘(つ)まれてしまったことを、私は、先の参議院選挙を戦って肌で実感しました。新しい政治とは、政治の世界における自由の発露なのです。このような自由を完全に圧殺してしまう体制が、経済や社会の自由を産み出し育てることがないのは、当たり前のことではないでしょうか。自由のない社会の経済が発展することは、決してないでしょう。小泉首相がいくら改革者を装っても、残念ながら、小泉氏は自由に違背している自公保体制の総責任者なのです。しかし、小泉氏のパフォーマンスに幻惑されて、自公保体制を多くの人々が支持したのです。主権者の選択なのですから、仕方ありません。 ところで、私は8月の大半を東京で過ごしたのですが、東京の夏は、例年のようなうだるような暑い日はあまりありませんで、いささか自虐的ともいえるダラダラと汗を流しながらの散歩(?)も、あまりできませんでした。しかし、全国的には猛暑が相当の地域であったようです。ですから、今年も豊かな実りの秋を迎えるでしょう。自然の変化にも異常なものがありますが、それでも、政治や経済に比べれば、はるかにそのリズムと流れは安定しています。そうした自然に身をまかせる生き方がしたいと思わないわけではありません。しかし、政治にも経済にも、長い目でみればちゃんとした流れがあると信じて、生きていくしかしかありません。 07:30上越市北城町の自宅にて |
せめて負けっぷりだけは良くしたい あの、参議院選挙の投票日から1ヶ月が経ちました。大変辛く、苦しい1ヶ月間でした。しかし、この間私が心掛けてきたことが一つあります。戦いに敗れた者は、せめて負けっぷりだけは良くしたいということです。「負けっぷりを良くする」とは、吉田首相がGHQとの交渉や諸外国との外交にあたって、よく周辺にいっていた言葉だそうです。 今回の選挙について、間違いや反省すべきことは沢山あったと思います。それらを一つひとつ明らかにすることも、大切なこととは思います。しかし、それらを全部明きらかにして、また、仮にそのような過ちを犯さなかったとしても、今回の選挙の結果は変わらなかったでしょう。BBSやメールでもいろいろといわれておりますが、反論や弁明や釈明をしないのは、そういう理由からです。 私は最初に「今回の選挙は完敗であった」といい切りました。完敗した者が、あれこれいってみても仕方ありません。人をしていわせしめよ。これしかありません。ただ、私にいまなお悔悟の念が全くないのは、今回の戦いは「進退は天命に従い、栄辱は世人に委ねる」というものだったからだと思います。この気持は、1ヶ月経ったいまも、少しも変わりありません。 この1ヶ月も、多くの方々から励ましと再起を促す温かいお言葉を賜わりましたこと、心から感謝申し上げます。心にシッカリと受け止めさせていただいております。そして、自由を守るという信念と信義を貫くという矜持に基づいて始めた戦いに、多くの方々から大きなご支援をいただいたにもかかわらず、それに応えることができなかった不徳と非力を、改めてお詫び申し上げます。 15:05東京・砂防会館の事務所にて |
残暑お見舞い申し上げます 去る8月11日、新潟6区の上越地区と十日町地区で、今回の選挙の反省会を開催しました。その会に出席するため数日間、久々に上越市の自宅に泊まりました。しばらく放ったらかしにしていた庭も、丸一日かけて、じっくりと手入れしました。今年の新潟県は雨も十分にあったため、庭木もわずか一年で相当伸びました。剪定(せんてい)をした枝木は、一山になるほどでした。 とりあえず、新潟6区での反省会を終えたときから、半年間休みなしでやってきたからでしょうか、疲れがどっと出てしまいました。丁度旧盆であることにかこつけて、しばらく夏期休暇を取らせてもらっています。この半年間は、それこそ超人的なハードスケジュールをこなしてきたものですから、ただ休むだけでは休みになりません。ですから、この際やりたいと思うことを、ガムシャらにやっております。そうしないとくだらないことがあれこれと頭をよぎるだけで、本当の休みにならないのです。 それにしても、この一週間は、小泉首相の靖国神社参拝問題のニュースばかりといっていい程でした。私も、仕方なくこの報道をみていましたが、中国・韓国などの外交問題の側面だけが取り上げられ、憲法の政教分離の視点からこの問題を論じたものは、ほとんどありませんでした。日本のマスコミには、この問題が、一義的には憲法問題であるという認識がないのでしょうか。困ったものです。総理大臣の靖国神社参拝は、憲法20条1項後段の「いかなる宗教団体も、国から特権を受けてはならない」という条文に照らして、問題があるのです。 「いかなる宗教団体も、国から特権を受けてはならない」とは、国はいかなる宗教団体にも特権を与えてはならないということです。小泉氏の主観的意思がどうであれ、小泉首相の今回の靖国神社参拝が、靖国神社を神社のなかでも「特別な神社」にしたことだけは明らかです。国の機関の長である総理大臣が、一宗教団体である靖国神社を特別に扱うことは、靖国神社に特別の位置付けを行い、これが靖国神社に特別の地位を与えることになることに、疑う余地はありません。こうしたことは、一種の特権になるでしょう。 憲法の解釈というのは、このように小難しいことをいうものなのです。このような小難しい議論が、憲法を発展させてきたのです。ましてや、この問題は、国民の自由の中の最も大切な宗教の自由に関するものですから、小難しい議論をするのは当然のことなのです。それを、そんなに小難しい議論をするなといわれたのでは、憲法は死滅します。私が先の参議院選挙で訴えたかったのも、このことだったのです。それに対する結果は出ました。これがいまの国民の憲法認識なのでしょう。それはそれとして受け止めるしかありません。しかし、これは本当は困ったことであるという私の認識に、変化はありません。最後に困るのは、国民だからです。 東京は、参議院選挙の前後くらいから、例年に較べるとそんなに暑くありませんが、全国的には、太平洋高気圧の関係で、猛暑が続いているようです。今週で夏休みが終る方が多いと思いますが、残暑がまだまだ続きそうです。夏は暑いものと覚悟を決めて、心身ともに鍛えましょう。 植物は、この暑さの中で、秋の実りの用意をしているのです。私も、あれこれと思い悩むのを少し止めて、心身を休ませ、充電して他日を期したいと思っています。私は、できるだけ猛暑の中を散歩したいと思っています。これが、私の一番好きな健康法だからです。 09:42東京の寓居にて |
創価学会の社会支配が始まる! 今回の参議院選挙の「新党・自由と希望」のキャッチ・スローガンは、「創価学会の政治支配と戦う唯一の政党です」というものでした。いろいろと考えましたが、私がこれまでいってきたことや、いまの日本の政治の問題点を考えれば、「要すればこれしかない」ということです。このキャッチ・スローガンについて、ご批判もあろうかと、予測はしていました。が、仮に「政教分離を貫く唯一の政党です」とでもしましょうか。創価学会・公明党だって、わが党だって、そうだというに決まっています。現に、昨日の新聞をみると、創価学会は「政教分離の観点から、小泉首相の靖国神社の参拝に反対する」といっています。 せっかくの機会ですから、靖国神社参拝問題に関する私の考えを申し述べます。要するに、政教分離の問題なのです。憲法20条は、「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」と定めています。政教分離の原則は、国民のもっとも大切な自由として憲法が保障している思想・良心とならぶ信教(=信仰)の自由を徹底するために、定められた規定です。 「いかなる宗教団体も、国から特権を受けてはならない」とは、国はいかなる宗教団体にも特権を与えてはならない、と解されています。国が特権を与えるというのに、すべての宗教団体がこれを拒否するとは限りませんから、この規定は、国がいかなる宗教団体にも特権を与えてはならないと解されています。 総理大臣の靖国神社公式参拝が、靖国神社という宗教団体に特別に意味を与えることは、否定し得ない事実でしょう。それが特権となるかどうかは、意見の分かれるところだと思います。政教分離の原則は、憲法が、国民の自由の中でも、もっとも尊重すべき自由として保障している信仰の自由を確保するために設けたものですから、私は、厳格に解釈すべきと考えます。そのような立場からみると、総理大臣の靖国神社公式参拝は、靖国神社に特権を与えることになると解すべきと考えます。 さて、創価学会の『聖教新聞』が、総理大臣の靖国神社参拝問題を大きく扱っていることを一般の新聞が報道する以上、公明党の政権参加というもう一つの政教分離問題に一言も触れないというのは、私はどう考えてもおかしいと思います。創価学会と公明党との関係を考えれば、公明党の政権参加は「いかなる宗教団体も、政治上の権力を行使してはならない」という政教分離の原則からみて問題があるということは、誰の目にも明らかなのではないでしょうか。なぜ、この問題には触れようとしないのでしょうか。 私は、選挙中の政見放送で、「公明党の政権参加以来、創価学会の政治支配やマスコミ支配は、目に余るものがあります」といいました。選挙報道などに、明らかに、そのような意図を感じました。覚悟していましたから、騒ぐようなことはしませんでしたが、今日の新聞をみて、改めて創価学会のマスコミ支配を痛感しました。もう、日本のマスコミに、公平などということを期待すること自体が無理なのかも知れません。 今回の参議院選挙を機に、創価学会の政治支配はますます強まるでしょう。一宗教団体が、野党第一党に迫る得票を確保する。それは、創価学会がすごいというより、空恐ろしいことだと私は思います。こんな空恐ろしい宗教団体と事を構えようなどというのは、「新党・自由と希望」しかないのかもしれません。でも、私は、誰かがこのことと問題にしない限り、この日本全体が空恐ろしいことになると確信しています。 創価学会の社会支配が始まる。このことに、良識ある国民の注意を喚起します。 07:30東京の寓居にて |
ギラギラとした8月の初めに 戦いすんで日が暮れて、という言葉がありますが、ギラギラと日の照りつける8月となりました。この2〜3日、選挙の残務整理に忙殺され、外に出る時間もありませんでした。昨年に続く2回目の落城は、さすがに辛いものがあります。スタッフの皆さんも、悲しみと悔しさに耐えながら、疲れた体で残務整理をしてくれています。本当に申し訳ないと思います。 示された厳然たる結果は、これを受け入れるしかありません。辛いことですが、これが現実だということです。いろいろな原因や過ちや力不足が重なっていると思います。いま、これを急いで分析しても、詮無いことです。時間をかけてじっくりやっていくつもりです。また、少し時間をかけて分析した方がいいと思っています。 戦いを終え満身創痍の私ではありますが、悔悟の念や挫折感は全くありません。私は「一人の政治家として、やらなければならない戦いをやり、全力を尽くして戦い抜いた。進退は天命に従い、栄辱は世人に委ねる」ということです。いまは、少し時間をいただいて、ギラギラと照りつける大好きな太陽の下で心身を回復したい、という願いがあるだけです。 多くの方々から、この選挙戦、大きなお力を賜わりました。また、選挙後、多くの方々から、激励やねぎらいのメールをいただきました。いま、お一人おひとりに、御礼やご返事を出すことがかないません。この場を借りて、厚く御礼申し上げます。 I SHALL RETURN! これが、いまの私の気持です。 11:10東京・砂防会館の事務所にて |
御礼とお詫び 朝遅くまで開票状況を見届けて、それが終るといろいろとやらなければならないことがあり、この文章の Updateが遅くなってしまいました。ご事情賢察の上、お許しください。 結果は、ご案内のとおりです。この厳粛なる事実をいま率直に見つめております。そして、この事実を受け入れるしかありません。2月の決起以来、多くの皆さんに大きなお力添えをいただきました。選挙戦の最中は、特にお世話になりました。ここに心からの御礼とお詫びを申し上げます。 今は、多くを申し上げても詮無いことです。ただ私がやったことは、日本のために誰かがやらなければならなかったことだという確信だけは、いまなお厳としてあります。勝敗は時の運。それにしても、己の非力を嘆いています。 いろいろと総括・反省しなければならないと思っています。少し時間を下さい。 多くの方々からいただいたご激励とお力添えに改めて感謝申し上げ、お詫びといたします。 12:30東京・砂防会館の事務所にて |
18日ぶりのごあいさつです
あらためて、多くの皆様のご支援、ご激励に感謝申し上げ、更新(行進?)開始のあいさつといたします。 20:01東京の寓居にて |
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