─古文書蔵─
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1年半ぶりの更新(その2)
それでは、また。 |
1年半ぶりの更新にあたり
それでは、また。 |
戦いすんで、日は昇る選挙後も五月晴れの爽やかな日が続いています。私は、選挙でお世話になった方々のところを、じっくりとお礼に回っています。ほとんどのお宅で、上がらせていただき、いろいろとお話しします。皆さん、残念だったと言われます。私は、熱心に応援した下さった方々の期待に応えることができず、本当に申し訳ないことをしたと思い、それが残念でなりません。昨年12月12日の出馬表明以来、私は全力で頑張ってきました。でも、私が直面した状況は、きわめて厳しいものでした。それでも、与えられた状況を私は現実として素直に受け止め、これをどう打開していくかだけを考え、行動してきました。そして、4月の中旬ころから、当初期待していた態勢がようやくできたのです。これならば何とか届くのではないかと思ったのですが、あと4〜5日足らなかったと思います。 『財界展望』6月号の原稿を書いたのは、4月10日でした。
と、私は書きました。この時点では、私は、今回の結果が厳しいものとなることを、ある程度覚悟していたのです。私の友人が心配をして、3回、世論調査をかけてくれたのですが、いずれも私の支持率は7%しかありませんでした。客観的にいえば、これでは勝つことはできません。誰にもいえる数字ではありませんでした。私は、世論調査の数字を重く見るほうです。でも、私は30年間にわたり十日町市で活動してきたので、市民の政治マインドを知っていましたし、ある程度の態勢ができれば、挽回することは可能だと考えていたのです。 しかし、私を支えていたものは、そんな戦術的なことではなく、新しく誕生する十日町市の厳しい現実でした。十日町市の地域経済・行政の状況・自然的歴史的政治的環境・政治基盤などは、極めて厳しい状況におかれています。政治基盤とは、地域住民が十日町市を自らの自治体と感じ、これを主権者としてどうコントロールしていくかという意思・態勢・能力など全般を指します。情報化社会ですから、地方のマスコミの果たす役割や質も問われなければなりません。これと関連して、有権者の政治に対する関心や投票にあたっての判断要素や行動様式も含まれます。 私は、人の政治行動を評価する場合、政治に対する問題意識や自主性や独立性などを、もっとも重要な要素として重視します。政治と金の問題だってあります。地方選挙でも、かなりのお金は必要なのです。私は、自らが困難な状況におかれている原因が、己の過去の政治行動に起因することは十分過ぎるほど自覚していました。しかし、一方では日本の社会全般にある政治基盤の荒廃も、大きな理由としてあると考えていたのです。政治家として「自分の生まれ故郷の十日町市くらいは、民主主義が躍動する地域にしたい ─ その責任が私にはある」と考えたのです。 私は、全力でこれらの課題に立ち向かいました。私たちの努力は徐々に実って、わずか半月で7%から19%の支持率までもっていくことができました。私が、あと4〜5日ほしかったというのは、気休めでも強がりでもないのです。十数回も自分の選挙を戦い、他人の選挙を含めれば何十回もこれを経験した者としての実感です。しかし、その4〜5日が足らなかったのも厳然たる現実です。私自身の能力の限界もありました。そのことだけが慙愧にたえません。私を信頼してくれていたサポーターの皆さんに深くお詫び申し上げます。しかし、サポーターの方々も、自らの活動の中で、今回の結果となった原因をそれぞれしっかりと掴んでいるようです。それらを持ち寄って、これからの十日町市のために何をしていかなければならないかを、お互いに色々と話し合っています。選挙は残念な結果に終わりましたが、十日町市における新しい政治の流れは、確実にできてきたと思いますし、これを確かなものにしていくことが、私に与えられた務めだと、肝に銘じています。 それでは、また。 20:10十日町市の事務所にて |
進退は命に従い、栄辱は人に委ねる
12:10十日町市のアパートにて |
今日からまたタスキをかけます!
02:10十日町市のアパートにて |
新十日町市誕生の感慨
それでは、また。 07:10十日町市のアパートにて |
祝・新しい十日町市本日、新しい十日町市が誕生しました。心からお祝い申し上げます。 新しい十日町市の誕生とその前途に対しての感慨は、
今日、十日町市は快晴です。今日から街宣活動を始めます。私も今日から街宣車に乗ります。時間がきましたので出かけます。 08:10十日町市のアパートにて |
暑さ寒さも彼岸まで豪雪の地、十日町市でも彼岸を過ぎましたら、急に春が感じられるようになりました。今週の月曜日(4月21日)、白川勝彦後援会の有志による政策パンフ配りが行われました。上越地区の同志も友情参加して、総勢100名による十日町市街地へのパンフ配りです。当日朝、目を覚ますと雨でした。どうしてこういう日に雨なんか降るんだと天をいささか恨みました。そうこうするうちに雨が雪となってきました。これは、きっと天が私に試練を与えているんだと覚悟しました。ところが時間が経つにつれ、天候が回復してきたのです。9時半に出発式を行ったのですが、このころはすっかり快晴となりました。気温も汗ばむほどでした。同志の皆さんは、絶好の春日和の中、重い政策パンフをたづさえて、十日町市内に散っていきました。天候に恵まれ、十日町市街地の1万戸に3時間くらいで配布し終えました。白川軍団のこの機動力は衰えていませんでした。同志の皆さんに心から感謝申し上げます。 平成になって、はじめての豪雪の冬でした。ですから、市長選そっちのけで私は雪のことを書きました。日々のアルバムも雪の写真ばかりで、Webマスターに怒られてしまいました。でも雪だけは、その時に伝えておかないとなかなか理解してもらうことが困難なのです。地元の人々でさえ、豪雪の時はあんなにクドくのに、雪が消えると豪雪対策の話などしてもあまりのってこないのです。でも、地球温暖化などといっても、豪雪は必ずきます。ですから、ちゃんとした対策をしていないとその時になって困るのです。 「暑さ寒さも彼岸まで」といいます。お彼岸もすんだことですから、これからは雪の心配はないでしょう。市長選の告示も一ヵ月後に迫りました。これからは、雪の話ではなく、市長選のことや十日町市のことをどんどん発信していきます。3日前からPCがウイルスにやられてしまい開くことができず、永田町徒然草を更新することができませんでした。インターネットでWebサイトみなければ生活がどうこうということはありませんが、寝る前に日頃みているWebサイトを開くというのは、もう私の習い性になっています。なんだかおかしな感じがした数日でした。 今日は、選挙戦に向けての書き物をしていました。そのちょっとした間に、これを書きました。それでは、また。 17:30十日町市のアパートにて |
はばたけ!十日町市。
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朋、遠方より来るあり!2月27〜28日静岡県焼津市の黒潮温泉に行って参りました。当日も翌日も天候に恵まれ、富士山も見えました。なぜ忙しいさなか温泉などに出かけたのかというと、2ヶ月以上も前から上越地区の白川勝彦後援会の皆さんから出席するようにいわれ、必ず出席させていただくと約束していたからです。約束は守られなければなりません。十日町地区の同志の皆さんにその理由を話し、快く送り出してもらいました。 午後4時半ころ、投宿先のホテルに着きました。上越地区の皆さんは、すでに到着して、ロビーにも何人かおられました。久々の出会いを、まず喜びあいました。何度もなんども、苦しい選挙戦を戦った方々ばかりです。何もいわなくとも、お互いの心は通じます。話を聞けば、上越を出発するときはすごい雪で、前日にも相当な雪が降ったそうです。大雪の新潟から、快晴の静岡県に来たのです。1日に両極端のところを旅すると、いまでは使われなくなりましたが「表日本」と「裏日本」という言葉を使いたくなります。 少し時間ありましたので、私も温泉に入りました。私は大の温泉好きです。温泉につかると、長旅の疲れが飛んでしまいます。お風呂でも、何人かの懐かしい同志の皆さんに会いました。まさに裸のお付き合いです。衆議院議員だった当時、私の後援会ではよく旅行会をやりました。1年間で3000人くらいが参加しました。その旅行会のほとんどに、私も参加しました。その頃も、時間があれば私も温泉に入っていましたから、こうした裸の付き合いをした方々は、かなり多くおられます。後援会の皆さんと政治家とは、このように実にいろんな形で結びついているのです。選挙になると、一般の方々からみると信じられないようなエネルギーを政治家の後援会が出すのには、こうしたベースがあるのです。 6時半から大宴会が始まりました。ご挨拶で私は、十日町市長選に出馬を決意した経緯、私の志すものをお話しました。複雑な気持ちの方もおられたとは存じますが、それを超えて私が政治的に元気になり、新しい戦いを始めたことを喜んでくださったことと思います。この4年間半の激流の中で、私にも同志の皆さんにもお互い本当にいろんなことがあり過ぎました。だから、それに押しつぶされずになんとか生き抜き、いまこうして元気にいること、そして新しい歩みを始めたことを素直に喜んでくださったのだと思います。そして皆さまから多額の陣中見舞いをいただきました。政治家として感激の至りです。 宴会の間、私はいつものように皆さんの席を回ってお酌をしたり、談笑しました。ほとんどの方々が、私のために選挙になると寝食を忘れて力強い応援をしてくださった方ばかりです。話は尽きないものがありました。皆さん、十日町市に知り合いがいるから応援にいきますといってくださいました。力強い援軍の到来です。2時間近く宴席を回ったので、さすがにしたたかに酔ってしまいました。宴会終了後、女性部の幹部の皆さんと2次会をもちました。上越の女性部は、私の選挙では特に大きな役割を果たしてくれたのです。話は尽きず、お開きになったのは12時少し前でした。 翌日、皆さんとお別れし、私は一路十日町市に帰ってきました。表日本は快晴でしたが、国境の長いトンネルを抜けるとそこは雪国でした。今週中は冬の天気がぶり返すようです。しかし、残る冬は、もう長くありません。 00:40十日町市のアパートにて |
日本一の雪祭り
00:10十日町市のアパートにて |
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