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前へボタン第43回衆議院総選挙における私の戦い(その2)次へボタン

私たちの陣営は、武装解除しない

2003年11月15日

その1で述べたことを裏付けるために、新潟5区における各党の比例票を詳しく分析してみる必要があります。選挙を考える際、私たちは常に数値を注意深く分析する能力を持たなければなりません。

<新潟5区の各党の比例票>
自民党
72,082票
民主党
70,849票
公明党
16,975票
社民党
16,582票
共産党
12,904票
合計
189,392票

どうです。スゴイでしょう。民主党公認候補がいなくても民主党の比例票がこれだけでているのですら、公認候補がいれば民主党票はさらに1万票近く増えていたでしょう。新潟5区においても政権交代という嵐が吹いていたのです。45日間ではありましたが、朝から晩まで「今こそ、政権交代!」と高い旗を掲げ、声を大にして訴え続けた私の政治活動が、この嵐を呼び起こす大きな原動力になったことだけは間違いありません。

もし、私が民主党公認候補となっていたならば、私の得票は大雑把にいって次のようになっていたでしょう。

[70,849票(現実にでた民主党票)+10,000票(公認による民主上乗せ票)]×65%=52,551票 (a)
16,582票(現実にでた社民党票)×70%=11,607票 (b)
合計(a)+(b) 64,158票

すなわち、ズバリ当選ということです。最悪でも、比例で復活当選はしていたでしょう。信越北陸では、民主党の重複立候補者は惜敗率67.37%で当選ですから。

写真:選挙戦中の白川白川、それはちょっと甘いのではないかという反論が出てきそうですが、後に述べるように、今回の選挙における民主党の風圧はすごいものがありました。そして、自民党か、民主党かというまさに二者択一の投票行動が大きな特徴でした。もし、私に民主党公認という大きな旗と、それに付随する政見放送・大きなポスターというツールが与えられていれば、いくら大きな知名度をもつ田中さんといえども、この狭間(はざま)に立たされ主張も曖昧(あいまい)になり、今回のような得票は決してできなかったことだけは確かです。それが小選挙区における選挙の恐ろしさなのです。

それでは、なぜ、民主党は私を公認しなかったのか。多くの人が疑問に思うでしょう。私もいまもってなぜ民主党本部が公認をくれなかったのか分りません。私以上に今回の民主党本部の態度に怒りをおぼえているのは、私の選挙対策本部長を務めて下さった民主党の渡辺秀央参議院議員ですし、民主党新潟県連代表で新潟6区で当選した筒井信隆代議士です。

田中さんは、新潟6区の自民党公認もれの無所属候補や新潟2区の無所属候補(当選したら自民党に入ると明言する候補)の応援に行きました。福井1区の無所属候補の応援にも行きました。これらの選挙区には、いずれも民主党公認候補がいるのです。これでも、田中さんとの友好関係を大切にしたいとしているのであれば、民主党本部というのは選挙について一体どういう判断基準をもっているのか、私は首を傾げたくなります。

しかし、いいじゃないですか。もう済んだことです。恨みや泣き言をいうつもりは、私にはまったくありません。それどころか、私は田中さんが私たちの陣営に参加することを心から歓迎します。でも、今回の田中さんの行動が選挙に勝つための方便としての政治的パフォーマンスなのか、それとも本物の反自公・政権交代という立場なのか、もう少しの間、私たちは注意深く見守っていく必要があると思っています。武装解除する訳にはいきません。

いずれにしても、真正な反自公・政権交代の旗の下に集まって今回の選挙を戦った私たちの陣営は、新潟5区の宝であります。この陣営の結束・拡大なくして次の選挙における政権交代はありえません。ですから、私はこの陣営の結束・伸張のために、今後ともその先頭に立って全力で戦う決意です。

選挙は、都道府県単位の団体戦

話はガラッと変わります。現在の小選挙区比例代表並立制というのは、都道府県単位の団体戦なのです。だから、民主党躍進といわれる今回の総選挙でも、青森、山形、栃木、群馬、富山、福井、岐阜、岡山、島根、和歌山、香川、愛媛、高知県などでは自民党(新保守党を含む)が議席を独占しました。

現在の制度で初めて行なわれた平成8年の総選挙では、新潟県では6つの小選挙区の議席をすべて自民党で独占しました。その時の自民党新潟県連の会長が私です。今回の総選挙では、自民党は2つの小選挙区で勝っただけです。しかもその1つは、旧自由党の現職(衆議院比例の九州ブロック選出)が野党統一候補になることを拒否したために、民主党が9月になって急遽候補を擁立し、自民党現職に対して分裂して選挙を戦わざるを得ませんでした。この選挙区でも候補を一本化していれば、反自民・政権交代の候補者が勝っていたはずです。

少なくとも新潟県では、自公連合軍は惨敗しました。比例票でも自公の合計が569、518票であるのに対し、民主・社民連合軍の合計は584,765票でした。自民党王国といわれた新潟県では、まさに革命的出来事です。今回の勝利に浮かれないでさらに地力をつけることに専念すれば、次の選挙では反自公・政権交代の陣営が県内6つの小選挙区で議席を独占することができると私は確信します。

そのためにも、来年行なわれる参議院選挙(新潟選挙区は定数2)、新潟県知事選挙を私たちの陣営はしっかりとした目標を定めて全力で戦い切らなければなりません。私はこの戦いの先頭に立つ決意です。新潟県を政治の最先端の県とする覚悟です。

自民党に議席を独占されている県では、どんなことをしてでも風穴を開けなければ政権交代など不可能です。民主党の本部と地元組織がいまから徹底した準備をしなければなりません。必死の努力があれば、必ず風穴を開けることができるはずです。その時、かつては自民党独占県であった新潟県における私たちの活動はおおいに参考になるはずです。

( つづく )

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