2003年11月12日
第43回衆議院総選挙は、自公連立政権=小泉内閣が民主党・社民党に100議席以上の大差をつけて勝ちました。政権交代を実現すると訴えて戦った民主党などの野党はその目標を達成できませんでした。率直にいって敗北です。民主党は少々の躍進に浮かれることなく、この冷厳な事実を直視し、ここから次の戦いを始めなければなりませんし、これからの国会活動でもこのことを念頭において国民の期待に応えなければなりません。 さて、私についていえば、公明党の推薦を受けた自民党候補の当選を阻むために新潟5区から立候補することを9月24日に声明し、45日間必死に戦いました。そして、自民党王国の新潟5区において、自民党候補は有効投票の31%しか得票できず落選しました。私の所期の第一の目的は果たすことができました。大勝利といっていいでしょう。 私自身の得票は、有効投票の15%という厳しい結果でした。それは、私の出馬表明後、田中真紀子さんが立候補を声明し、最後は「比例は民主党に入れました。政権交代をしなければなりません」などと私と極めて似た主張をしたためです。新潟5区に強い地盤をもち、すべてのマスコミが大きく取り上げる田中さんが私と同じような発言をするのですから、私に票など集まるはずがありません。たった45日間の戦いで、よく3万余の得票ができたものだとさえ思えます。有権者の半数を占める長岡市での私の得票は19.24%で、5人に1人の方から白川勝彦と書いていただけたのです。感激です。 問題は、田中さんが総理大臣指名選挙で誰に投票するかです。本日時点では、菅直人と書く意向のようです。大いに結構なことです。そうすると新潟5区における反自公・政権交代の立場にたつ候補者に投票した有権者は、有効投票の69%に達することになります。自民党王国である新潟5区において、これは革命的な出来事です。 しかし、私が立候補していなければ、田中さんが菅直人氏に投票することもなかったように思います。田中さんは、無所属で立候補して自民党候補を倒して然るべき時期に自民党入りをする他の無所属議員と同じように、自民党に返っていたでしょうし、自民党はよろこんで(?)田中さんを受けいれていたことでしょう。 今後、菅直人と書いた田中さんは、簡単には自民党に返ることができなくなりますし、自民党が安易に受入れることもないでしょう。田中さんがこのような政治的態度を取らざるを得なくなったのは、新潟5区に反自公・政権交代という旗を高く掲げて出馬し、45日間朝から晩まで「いまこそ、政権交代」と私が訴え続けたからではなかったでしょうか。選挙について動物的臭覚をもつ田中さんは、これはヤバイと思って自民党復帰路線から大きく政治スタンスを変えざるを得なくなったのです。だから、私は「政治的には勝利した」というのです。
( つづく )
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