4 「有象無象派が支配する自民党」 自民党は難攻不落の城か? 世間では、自民党という政党は、そう簡単には倒れないだろうと思われているようです。しかし、本当にそうでしょうか? 私はそうは思いません。体制というものは、倒れるまでは、どこの国でも、いつの時代でも、難攻不落の城に見えるものなのです。それが国家権力というものです。ましてや日本はGDPで世界第二位の国です。その政権政党である自民党が、難攻不落の城に見えてしまうのは、当然といえば当然でしょう。 一つの体制が崩壊したとき、人々はなぜこんなものに縛られ、恐れおののいていたのかということに気がつきます。それは、宴の後にも似ています。 日本でも、徳川幕府をはじめ、戦争を指導した軍部・国粋主義者など、近くでは平成5年の自民党の野党転落などがその好例といえるでしょう。結局、難攻不落の城といっても、そんなものなのです。 しかも、長年、自民党に籍を置いてきた私の目から見れば、今の自民党はもはや自壊スパイラルに突入していて、放っておいてもそう遠くないうちに崩壊することは間違いありません。 だからといって、何もしなくていいというのではなく、いずれ崩壊するものであればなおさらのこと、できるだけ早く、きれいに崩壊させることが世の中のためになるのです。その方が、早く次の建設に取りかかることができるわけですから。 そのために、今、私は立ち上がったのであり、自民党に引導を渡すのが私の仕事だと思っています。自民党を倒せば、日本は良くなると確信しています。 自民党の第一義的な役割は、自由主義陣営にとどまることだったということは、以前にも述べました。この道を選択したのは、当時の吉田茂首相であり、その選択自体は正しかったと思います。 実際、自民党の中には、単なる反共主義者もいれば、右翼全体主義者もいたわけで、彼らが自由主義者であるという保障はどこにもなかったのです。 そんな中で、党内のバトルに勝ち残った自由主義者は、石橋湛山、三木武夫、大平正芳くらいなものです。彼らが勝ち残れたのは、非常にたくましかったからであって、その他の自由主義者は有象無象派の連中の手によって、次第に殲滅され、追放されていったのです。 だから、そういう先輩たちの姿を見てきた私は、最初から「戦うハト派」「戦うリベラリスト」であることを宣言し、理念のない自民党を真の自由主義政党に改革すべく戦ってきたのです。 公明党と連立が組める自民党とは? 1999年10月、自民党は公明党と連立を組んでしまいました。この一事によって、これまでなんとか自由主義政党の体裁だけは整えようとしてきた自民党も、とうとう馬脚を現してしまったのです。 公明党は、創価学会が事実上支配する政党です。ところが、私自身、その本質を理解するのにずいぶん苦労しました。と、いうのは、創価学会は700~800万人もの信者抱える宗教団体なのだから、基本的にはまともな団体が一時的な気の迷いで間違いを起こしているのだろうという気持ちが、どうしても拭えなかったからです。 しかし、古川利明氏の『カルトとしての創価学会=池田大作』(第三書館刊)を読んで、私は目から鱗が落ちました。つまり、創価学会も公明党も、池田大作氏が率いるカルトであるところに、その本質があったわけです。 そう理解すると、全てのことが解決しました。一見、公明党は中道政党と言われていることから、政策的には自民党とそんなに隔たりはないように思われがちです。しかし、政党にとって政策と同じくらい大切な理念や体質という面からみれば公明党は、共産党と同じくらい自民党の対極にある政党なのです。 公明党の実体は、池田大作氏を最高権威・最高実力者とする全体主義的な私党です。それは本来、自由主義とは相容れないもののはずです。ところが、そんな公明党と自民党は平気で連立を組んだ。これによって、自民党はついに馬脚を現すとともに、その本質が自由主義政党ではないことを露呈してしまったのです。 |
白川勝彦OFFICE
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