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4月17日

No.43透明スペーサー

「元秘書のタレコミ報道」の真相判明

1. 起訴についての私のコメント

透明スペーサー4月16日午後、私の私設秘書藤巻昭男(旧姓西袋)君が、「公電磁的記録毀棄・公電磁的記録不正作出・同供用罪」で起訴されました。私は、これを受けて次のような談話を発表しました。

透明スペーサー私の秘書が起訴されたことは誠に遺憾である。

透明スペーサー私の秘書は、ニ十ニ日間の逮捕・勾留を受けた現時点においても、私は、大沢交通機動隊長に鴨井氏が免許停止処分になるかどうか問い合わせの電話をしただけだ。といっていると弁護人を通じて聞いている。

透明スペーサー事の真否が、裁判によってすみやかに明らかにされることを願っている。

衆議院議員透明スペーサー白川勝彦透明スペーサー

2.タレコミ電話をしたのは誰か?

透明スペーサー前号(No.42)の「何か不可解な『元秘書のタレコミ報道』」におきまして、川住君がこの事件のタレコミを自分がやったというのはおかしいと疑問を呈し、「川住君は高速バスで移動中ということでしたので、このことだけを確認して電話を切りました。もちろん、このことは彼と直接会って確認しなければならないと思っています。」と書きました。

透明スペーサー4月15日(土)の午後、私は上越市において川住君と会い、事実関係を詳しく聞きました。そしてそのエッセンスを陳述書にしてもらいました。

《川住君の陳述書》

(時間のない方は、下に活字でおこしてありますから、それをお読みください。)

川住陳述書1

川住陳述書2

川住陳述書3

陳 述 書

一.鴨井晃さんのスピード違反の件を、私が西袋さんに頼んだことが大きな事件になり、鴨井さんも西袋さんも私も逮捕されました。そして、私は三十万円の罰金刑に処せられました。
二.四月十二日午後五時ころ私は釈放され、その日の新潟日報夕刊の一面に、この事件の告発電話を警察にしたのは私であるとの記事がかなり大きくのっているのを見ておどろきました。
私は、この事件の告発電話を県警監察官室や上越北署に絶対にしていません。また新潟日報社などにも告発電話など一切していません。これは、天地神明に誓って申し上げます。
三.確かに、前日の四月十一日、和久本検事の取調べを受けたとき、告発電話をしたのは私であるとの調書をつくられ、これに署名捺印をしたことは事実です。
透明スペーサーその内容は、私が告発をしたのは、ひとつは正義感から、もうひとつは、仕事のフラストレーションがたまってそのはけ口にやったなどというものでした。
透明スペーサーこの事件で取調べを受けた最初のころ(三月十八日)と四月三日以降から和久本検事の先の調書をつくられる前日まで、警察から告発電話したのはお前ではないかと執拗に聞かれました。私がいくら否定しても「こんな電話をしたのはお前しか考えられないんだ」と責めたてられました。
透明スペーサー一方、刑事から告発の電話をしたことを仮に私が認めたとしても、これは何の罪にもならないし、絶対に外に出ることはないからともいわれました。
私はあきらめ恐ろしさから、四月八日ころ、「じゃあ、もういいです。そういうことにして下さい。」といいました。
透明スペーサー和久本検事の最後の取調べを受けた四月十一日は、逮捕されてすでに十六日目で連日の厳しい取調べで心身ともにボロボロになっており、一日も早くここから出たいという気持で、もう何もいわずに署名しました。
しかし、前にのべたように釈放されたその日、告発電話をしたのは私だとの新聞記事をみて、びっくりして弁護士さんに警察に抗議してほしいと依頼しました。以上が私が告発電話をしたかどうかについての真実です。

平成十二年四月十五日

川住和弘

白川勝彦 殿

透明スペーサーこのほかにも、相当ヒドい取調べの様子を聞きましたが、それは必要に応じて明らかにします。

透明スペーサー刑事に対し川住君がどう供述したか、検事に対して川住君がどう供述したか、ちょっと違うようです。しかし、それはそれでよいでしょう。一方、川住君は私に対しては陳述書に書いてあるような供述をしました。

透明スペーサー問題の本質は、タレコミの電話をしたのは本当に川住君なのかどうかということです。

透明スペーサー私は、前号でも書いたように以下の理由で、川住君が私にした供述のほうが真実であると思います。

透明スペーサーまず第1に、自分が直接関係し、もし、その件が本格的に捜査されれば自分も必ず捜査の対象になり、何らかの罪に問われることが容易に予想できることにつき、人はそもそもタレコミなどするかという単純な疑問です。その動機がまたふるっています。

透明スペーサー「もみ消しが発覚すれば、藤巻容疑者が秘書の座を追われると思った。川住容疑者は、藤巻容疑者の後がまの秘書になりたいとの思惑だったとみられる。」 というものです。

透明スペーサー私の事務所は、役所ではありませんから別に定員法にしばられる訳ではありません。これなヤバイことをしなくても、秘書になりたければなれます。あまり給料は高くはありませんし、勤務条件は相当キツイですが…。

透明スペーサー第2は、捜査当局が最初から認めているとおり、本件のタレコミは次のようなものであった。

透明スペーサー「知り合いが違反キップを切られたが、国会議員の秘書を介して警察に頼んで勘弁してもらった。10万円前後の商品券を渡した。大沢と分けたのだろう」

透明スペーサー川住君は、藤巻秘書に3万円の商品券しか渡っていないことを誰よりも知っている当事者です。その彼が「10万円前後の商品券を渡した」などと果してタレコミをするだろうかという疑問です。

透明スペーサー川住君がタレコミを自分でしたという供述はこの二つの疑問からどうしても不自然です

透明スペーサーあなたはどう思いますか?

3.一体なんのための「元秘書のタレコミ報道」か?

透明スペーサー誰が考えても不自然な、にわかに信じがたい川住君の「タレコミは私がやった」などということを一体誰が何のために流し、マスコミがこれを報道する結果となったのだろうか。

 その前に、捜査当局は4月3日以降、なぜ川住君に執拗に「タレコミはお前がやったんだろう」と責めたてたのだろうか?何で本件のタレコミが川住君でなければならなかったのだろう。そうしないと何か困った事情でもあったのだろうか。ちなみに、『聖教新聞』がコラム「寸鉄」に

透明スペーサー「陰険なる学会批判の某代議士秘書逮捕。

透明スペーサー新潟の大勝利。

透明スペーサー全同志が大拍手。」

という誤解を生じさせる記事を載せたのが3月29日です。これと何か関係でもあるのでしょうか。異常なる執念をもって「川住、タレ込んだのはお前だろう。お前しか考えられないんだ!」と責めたてたといいます。

 4月11日、検事が川住君から「タレコミをしたのは自分だ」という調書をとるや否やこれが誰によって時事通信の記者をはじめとする報道に流されたのでしょうか。また、何の目的のために?

 いずれにせよ時事通信のニュース配信に触発されて、各社は一斉にこのニュースを追い、早いところでは夕刊で「元秘書が告発電話」と大きな記事で流しました。12日の正午ころには、川住君がその日釈放されることは報道関係者には周知の事実でした。川住君にその日のうちに確認することはできるのに、なぜ先を争って誰もが不自然な記事を流さなければならないのか私には解りません。現に、川住君の釈放されるのを待って川住君に直接取材したいくつかの社は、報道しませんでした。

毎日新聞紙面 私は、秘書を通じて4月16日(日)午後6時30分ころ私の事務所に集まっていたほとんどのマスコミに川住君の陳述書があること、そしてその内容を明らかにしました。しかし、本日の新聞を見る限り『毎日新聞』が新潟版で報道しているだけです(午前10時現在)。

透明スペーサー警察や検察の発表やリークは、無批判にタレ流すのに、一市井人の発言や発表は記事にもしないというこの報道ぶり。かって大本営発表を鵜呑みにし、国民を戦争へ戦争へと煽ったといわれる大新聞の姿さえほうふつとさせる今日この頃です。マスコミの良心というものがどのようなものであるか、見守りたいものです。


4.これは一体何なんだ──『新潟日報』の記事

新潟日報透明スペーサー例によって、地元で圧倒的なシェアを誇る『新潟日報』は、「白川代議士秘書を起訴」と大きく報道しています。その中にこんな見逃せない一文があります。

透明スペーサー「大沢被告(逮捕された前交通機動隊長―筆者注)については藤巻被告以外からも依頼があったことや、今回と同様に曽根原容疑者に指示した多くの余罪があることが分かっているが、膨大な記録の洗い出しと裏付け捜査は困難となっている。新潟地検は、藤巻―大沢―曽根原の三被告のラインで実行された余罪を二、三件に絞って追起訴する見通しだ」

透明スペーサー冗談は、いい加減にしてほしいものです。この記者は、あるいはこのことをこの記者にしゃべった捜査官は何を理由に「多くの余罪があることが分っているが、膨大な記録の洗い出しと裏付け捜査は困難」だといっているのでしょうか。

透明スペーサー川住君に対する埒もない取調べに時間を費やすくらいなら、このことに全精力を投入すべきであります。「洗い出しと裏付捜査が困難」というのならば私がその捜査の方法を教えてやってもいい。いずれにしても、一連の警察の不祥事で共通の「事実を隠蔽し組織をかばおうとする体質」が透けてみえます。マスコミは、なぜこのことを追及しようとしないのでしょうか。不思議でなりません。

透明スペーサーこのことは、後日事態の推移を見てじっくりと論じます。

11:00           議員会館にて

名前「白川勝彦」毛筆体画像透明スペーサー

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