タイトル画像(小)クリックしてください。HOME | 主張 | 略歴 | 著書 | 永田町徒然草目次 | 論文

前へ画像:永田町徒然草最新の徒然草へ

No.78 | No.79 | No.80

8月25日(金)

No.80透明スペーサー

ニューヨーク、雑感三題

透明スペーサーいま、ニューヨークにいます。アメリカにはこれまで10数回きたことがあり、ニューヨークにも5~6回きた記憶があるのですが、ほとんど一泊か二泊したことしかありませんでしたから、ニューヨークといっても、ほとんど手触り感がありませんでした。ですから、いま地図を片手にできるかぎり歩きながらニューヨークを感じながら探索しています。これまで、領事館の人に行かないで下さいといわれていたハーレムにも、何度も行ってきました。ぜんぜん危険な感じはうけませんでした。とにかくジュリアーニ市長になってから、ニューヨークの治安はみるみる良くなってきたそうです。そのかわり、かなり強引な手法をとってきたことも事実で、若干批判がないわけではないようです。しかし、治安が悪いといわれていたニューヨークを経験した旅行者にとっては、歓迎できます。一人の政治家によって、これだけ現実が変わる様をみると、痛快です。

透明スペーサー体験的な旅行が今回の目的ですから、あまり七面倒くさいことを書くつもりはありません。ニューヨークの街を歩きながら感じたことを、いくつか書きつづります。

透明スペーサーまず第一に感じたことは“みなさんあまり携帯電話を持っていない”ということです。東京の街角に立って道行く人を見渡せば、携帯電話で話をしている人をいたるところで見受けますが、それに比べたら、ほとんどそういう光景に遭遇しないといっても良いのではないでしょうか。全然ないというわけではありませんが、とにかく、格段の違いがあるということです。通信王国アメリカと思っていた私には、これは非常な驚きでした。モバイルホンについては、日本はアメリカより進んでいるということを小耳に挟んだことがありますが、これはどうも事実のようです。

透明スペーサー二つ目。“ほとんどの街角にゴミ箱がちゃんと置かれている”ということです。私はヘビースモーカーでして、街角でも、よくタバコを吸います。しかし、日本ではほとんどゴミ箱がないため、吸殻を捨てるのに苦労します。いまスモーカーは日本でも肩身が狭いのですが、せめて、フィルターの付いた吸殻だけは絶対に捨てないように私はしています。しかし、東京などではほとんどゴミ箱が置いてないため、これってけっこうシンドイことなんです。あのオウムの事件以来特に、それがひどくなりました。私にいわせれば、まるでゴミ箱を敵視しているような感じさえします。ニューヨークでは、もっと爆破事件などの危険があったわけですが、ちゃんとゴミ箱が置いてあることは、立派だと思います。きれいな街を保つということに価値をおいているからだと思います。世界の主だった都市はだいたい、かなりマメにゴミ箱を置いてあるように思います。ニューヨークではいたるところが禁煙ですが、屋外ではもちろん、なんの問題もありません。そして、日本では苦労する吸殻の始末にぜんぜん苦労しないので、あまり禁煙の制限が苦になりません。おもしろいものですね。

透明スペーサー三つ目。タクシーがなかなかつかまりません。昼間はともかく、夜などはタクシーをつかまえるのにけっこう苦労します。以前はこんなことはなく、すぐつかまったそうですが、この1~2年ですっかり様子が違ってきたそうです。やはり、アメリカの好況のためだそうです。景気が良くなると、タクシーが混むようになる。どこでも同じなんですね。今は、銀座でもいつでもタクシーがつかまりますから、日本の景気回復は未だしということですか。それにしても、タクシーが非常にきれいになりました。以前見かけたようなオンボロなタクシーはまだ一回も乗ったことがありません。ちなみに、初乗り料金は2ドルです。また、みなさんが乗っている車も、みなきれいです。以前は、日本に比べるとそうとうにヒドい車が走っていたものですが…

透明スペーサーニューヨークのマンハッタンだけを探索していますが、ニューヨークは間違いなく、世界一の都市に蘇ろうとしています。道行く人々も、自信とゆとりをもって、堂々と歩いているように見うけられます。例年はたいへん暑いんだそうですが、今夏は異常気象といってもいいくらいで、たいへん涼しく、夜などは肌寒い感じすらあります。食事も少しも苦労しません。中華街でタイやベトナム料理を食べたり、コリアン街でビビンバやアワビのお粥をおいしくいただいております。ニューヨークにきて、洋食と日本料理はまだ一度も食べていません。

15:30透明スペーサーニューヨークにて

名前「白川勝彦」毛筆体画像透明スペーサー

ページの先頭へ


8月22日(火)

No.79透明スペーサー

いま、ラスベガスにいます

透明スペーサーロスアンジェルスに3泊したあと、一度はぜひ来たいと思っていたラスベガスに、今、います。ラスベガスというと、ギャンブルの街という印象をお持ちの方が多いと思います。もちろん、ラスベガスはカジノの街です。ほとんどのホテルが、一階はもうカジノ、カジノです。ただ圧倒的に多いのが、スロットマシーンです。おじいちゃんやおばあちゃんも、たんたんとマシーンに向かって遊んでいます。でも、あの姿は見ていてちょっと寂しい気して、私はあまり好きじゃないんです。日本のパチンコの方がにぎやかで、私は好きです。でも、ハウスにとっていちばん儲るのが、このスロットマシーンなんだそうです。カジノというとバカラ・ブラックジャック・ルーレットなどをイメージし、これで損をした人が多いと思います。みな、ハウスは儲かって儲かって濡れ手で泡の商売と思う人が多いと思いますが、人件費が非常にかかるだそうです。そういわれてみれば、バカラのテーブルなんか6~7人が付いていて、20分交代ですから、確かに人件費のかかることはわかります。

透明スペーサー私もギャンブルは嫌いではありませんが、こんどラスベガスにきたのは、それが目的ではありません。リゾートを少し勉強した私は、ラスベガスこそ世界屈指のコンベンション・シティだということを、なんどもなんども聞かされていたからです。また、この10年ちかくの間に作られ、爆発的人気を博したというテーマホテルというものを、ぜひ見たいと思っていたからです。ありました。ありました。ニューヨークをイメージしたホテル。エジプトをイメージしたホテル。パリをイメージしたホテル。「アラジン」ホテルがオープンしたばかりでした。そこにはTHE DESERT PASSAGEとありました。私にいわせれば、ラスベガスのホテル全部が The Desert Palaceだと思うのですが。最近できたなかで評判の BELLAGIOホテルは、イタリアをイメージしたホテルで、このホテルの噴水ショウは実に見事です。30分くらいの間隔でおこなわれる巨大な噴水の水のイリージョンショーとでもいったらよいのでしょうか、あまりこういうものには驚かない私も、思わず拍手をしてしまいました。これ以外にも、いろいろあります。それぞれみな、なかなかのものです。

透明スペーサー視察をかねて、ラスベガスでも炎天下の散歩に毎日挑戦しています。暑いことは暑いのですが、湿気が少ないせいでしょうか、日本ほどつらくありません。肌がベトベトにならないのです。そして、ちょっと日蔭に入ると、汗がひいてくれるのです。それにしても、こちらの人も炎天下の散歩が好きなようです。どこにいっても、スニーカーを履いて歩いている家族ずれであふれています。アメリカはいま、バケーションの真っ只中。ラスベガスは大盛況です。夜は、それぞれのホテルでやっているショーを観ています。みな、何年も続いているロングヒットのショーだそうです。言葉がよく解らないので、本当の楽しさはわからないのですが、それでも観ていて十分楽しめます。

透明スペーサーところで、ホテルの支配人に面会してコンベンションについていろいろと聞いたのですが、やはりこういうシーズンは、コンベンションはほとんどとらないそうです。コンベンションはもともとシーズンオフ対策としてはじまり、やはりいまでも、コンベンションが多くもたれるのは10月とか2月などが中心だそうです。ラスベガスが世界屈指のコンベンション・シティである由縁は、なんといっても圧倒的なホテルの数だそうです。何万人のコンベンションでもOKなところが圧倒的な強みだそうです。それに、やはりもう一つの魅力はカジノだそうです。私もそう思います。カジノはおおいなる大人の遊び場なんです。日本ではカジノという博打場というイメージですが……

透明スペーサー私のカジノ観。カジノで勝てる訳がない。また勝つ必要もない、仕事じゃないんですから。でも、大きく負ける訳にはゆかない、楽しい遊びが、楽しくなくなってしまいますから。自分にとって遊びの範囲として許容できる程度のお金を、確率論に従って賭けていれば楽しく、そして怪我なく遊べます。少々負けて当たり前、それは遊び賃。トントンなら遊んだだけ儲けたということ。もし、勝ったら、 VERY VERY HAPPY、大儲け!!! 遊びながら金が入ってきたんですから。こんな遊びは、他にはありません。バーでも、キャバレーでも、レストランでもショーでも、冗談にも金をくれるところなんてないでしょう。これは、マージャンだってパチンコだって同じことだと思いますよ、ご同輩!

10:30透明スペーサーラスベガスにて

名前「白川勝彦」毛筆体画像透明スペーサー

ページの先頭へ


8月20日(日)

No.78透明スペーサー

いま、アメリカにいます

透明スペーサー今年の4月、アメリカの民間のある調査研究会社から、この8月に日本の政治について講演してほしいと頼まれていました。ああいう結果になりましたから辞退したのですが、そんなことに関係なくきてほしいとのことでしたので、8月16日成田を発って、いまアメリカにいます。この会社が催す、夏期セミナーの一つのセッションでの講演です。私のテーマは、今回の総選挙を中心としたものになりましたが、60人くらいの聴講者は、かなり細かいことまで興味を持っていて、いろいろな質問を受けました。講演の内容は、これまで私のサイトで発表していたものを中心にしたので、あまり準備に時間は必要ありませんでした。

透明スペーサーせっかくアメリカにきたのですから、この機会にちょっとアメリカを旅行しようと思っています。この前アメリカにきたのは、1995(平成7)年1月私の後援会の皆さんとロスアンジェルスとサンフランシスコを旅したときでした。このツアーは全部で250人という大旅行でした。このツアーのフェアウェルパーティを、100万ドルのサンフランシスコの夜景を豪華船で見ながら行っているとき、日本では阪神淡路大震災が起きていました。当時、衆議院の商工常任委員長を務めておりましたので、大至急日本に帰り、災害対策に追われました。ですから、5年ぶりのアメリカ旅行ということになります。この前きたときは、まだ、いまのようにアメリカの経済が絶好調だったという記憶がありませんから、好況のアメリカを現地で実際に観るのは、これがはじめてです。そういう意味では、今回の旅行は私にとっては興味津々のものがあります。

透明スペーサー日本も約7~8年深刻な不況に悩まされておりますが、アメリカも10年以上にわたって深刻な不況に悩まされてきました。私が国会議員になってはじめてアメリカを訪れたのは1980(昭和55)年の1月、カーター政権の末期でした。もう、この時は相当深刻な不況であり、ニューヨークやワシントンの道路を車で走っていると大きな穴が道路のあちこちにあり、これに車がはまり、車の天井にぶつかりそうになったのを、いまでも鮮烈に憶えています。それから4~5回アメリカを訪問する機会がありましたが、不況に悩まされ自信をなくしたアメリカをみて、私は内心寂しい思いをしていました。

透明スペーサーご存知の方も多いと思いますが、私がアメリカを最初に訪れたのは1962(昭和37)年夏でした。私の高校2年生のときでした。このころのアメリカは、文字どおり世界のダントツのチャンピョンでした。当時の日本とアメリカでは、何を比べて問題になりませんでした。ケネディ大統領のもとでアメリカが政治的にも経済的にも、そして文化的にも、いちばん自信を持っているときでした。こうしたアメリカをみた私にとって、国会議員になってから(1979=昭和54年)みるアメリカやアメリカ人は、どうしても本当のアメリカのように思えませんでした。アメリカは、そしてアメリカ人は底抜けに明るく、万事にわたって自信を持っていてこそ、アメリカでありアメリカ人であるというのが、私のアメリカ観です。今度の旅行では、こうしたアメリカをみることができるのではないかと期待しています。そして、どうしてあのどん底から今日の好景気を掴んだのか、いろんな分野で観ていきたいと思っています。

透明スペーサーところで、この旅行中もインターネットを使えるようにアクセスの準備をしてきたのですが、残念ながら、どうしても私のPCがインターネットに接続できないのです。Webマスターとも電話で連絡を取りながら、いろいろと努力をしているのですが、いまのところまだ接続できません。さらに努力はしてみますが、接続できるまで、ちょっと更新やBBSへの書き込みが少なくなるかも知れません。ご容赦のほどお願いします。その代わり、現地でのおもしろい情報を、いっぱい取っておきます。それにしても、わずか半年ちょっとにしかなりませんが、Webサイトを使っての活動は、いまや私の生活の完全な一部となったことを、このことでつくづく感じました。私のサイトをご覧になって下さる多くの方々、そして、BBSに書き込みをいただいてこのサイトを盛り上げて下さっている方々に、心から感謝申し上げます。

透明スペーサーお盆を中心とした夏の休暇も終わり、会社では完全に仕事モードに入ったことと思います。お仕事、頑張って下さい。子供さんたちの夏休みもあと10日となりました。夏もあと僅かです。それぞれの夏を、思い切り楽しみましょう。そして、いい思い出を残して秋を迎えたいものです。

名前「白川勝彦」毛筆体画像透明スペーサー

1999年最初の徒然草(No.1)へ2000年最初の徒然草(No.10)へ前へページの先頭へ最新の徒然草へ
クリックしてください。ページの先頭へ戻る | 永田町徒然草目次


白川勝彦OFFICE
katsuhiko@liberal-shirakawa.net

Copyright© K.Shirakawa Office 1999-2000
Web pages Created by Over Rev Co.,1999-2000