森田サイトの『森田実の時代を斬る』をみたら、朝日新聞が<道路財源/政権の真価が問われる>と題する11月5日付の社説で道路特定財源の一般財源化を主張していることを激しく批判していた。問題の社説がこれである。
道路特定財源の一般財源化(以下、道路特定財源の一般化という)は、私が昔から付き合ってきた古いテーマである。道路特定財源の一般化を主張する人々は、実は昔からいたのである。旧大蔵省主計局の人間がいつもアッチコッチに火をつけていた問題なのである。そしてこの人たちの意を受けた人々が昔から道路特定財源の一般化を主張していた。大蔵省のいうことが一番正しいという信念(笑)をもっていた小泉純一郎氏などは、その急先鋒であった。問題の社説を丁寧に読んでみたが、従来からの一般財源化賛成の主張に特に新しい論拠を付け加えるものはなかった。
しかし、大蔵省には主税局もあった。主計局がどんなに道路特定財源の一般化を主張しても、税を預かる立場から主税局はこの主張を支持しなかった。別に縄張り争いからではないと思う。税の理屈としてこれを支持しなかった。いや支持できなかったのだと思う。民主主義国家においては、税はもっともシビアに議論されなければならないものである。いい加減な議論では議会を通すことはできない。下手をすれば、内閣がぶっ飛ぶこともままある。だから、主税局としては同じ大蔵省の仲間であっても、いい加減なことには与することはできないのである。
税制を変えるには、もう一つのハードルがあった。自民党の税制調査会である。税を変えるにはこの承認を得なければ絶対にできなかった。政権与党の調査会であるから、その権限は絶対であった。ここには山中貞則・村山達雄などという税の本当の専門家がいた。年末に開かれるこの税制調査会で、年中行事のように大蔵族の小泉氏などが道路特定財源の一般化を主張するのだが、「なに馬鹿なことをいっているんだ」という雰囲気でこの人たちから相手にされなかった。これは、道路族といわれる人たちの反対とは違うのである。税の理屈としての反対なのである。
私は、郵政政務次官などをやった関係で郵政族とみなされていたし、郵政省関係の政策を実現するために活動したことは事実である。だから郵政族といわれても一向に構わない。しかし、私は国会議員となって最初の10年くらいはずーと大蔵委員会に所属していた。もちろん大蔵省が所管する予算・税制・金融などについて勉強したかったからである。
当時の大蔵委員会には、小泉氏もいたが山中氏も村山氏もいた。大蔵委員会というのはメッチャクチャ審議時間が多い委員会なのである。だから小泉氏はもちろんであるが、親子ほど歳の違う山中氏や村山氏とも話す機会が多くあった。大蔵族のボスである山中氏や村山氏からみれば、当時の小泉氏などはまだ小河童という存在であった。そんな関係で、主計局の役人からレクチャーをうける機会が多かった。同時に主税局の役人からもレクチャーをうける機会も多かった。道路特定財源の一般化を主張する主計局の意見に、賛成する気にはどうしてもなれなかった。理屈として通らないからである。議員として世話にならなければならないのは予算を持っている主計局なのであるが…。
そんな関係で、道路特定財源の一般化について、私は自分なりの考えをもっていた。だから、小泉氏が総理大臣になってこの問題に触れたとき、また例の病気がはじまったなぁーと思った。ところがマスコミや世間の反応は私にとっては全く意外なものであった。これを改革として捉え、支持するものが多かったからである。80%を超えるの異常な支持率のなせる業なのであろう。小泉フィバーの熱気に圧され、みな冷静な議論をすることができなかったのである。
そんな中で、私は永田町徒然草でこの問題を取り上げた。No.154と155である。時期は、2001年5月。ここで述べたことはいまもまったく変わらない。ただ、一点だけ付け加えるとすれば、道路整備は現時点ではある程度その目的の水準に達したので、今後の道路整備はそのペースを少し落としても良いだろう。従って、道路特定財源となっているガソリン税などの各税は、その税率を直ちに引き下げるべきと考えているのである。
道路特定財源をどうするかということは、実はひとつの税をどうするという問題にとどまらない議論を含んでいる。税額が5.8兆円と額が大きいこともさることながら、税とは一体何ぞやという問題を含んでいる。道路特定財源となっている各税は、確か、税法上は厳格な意味での目的税ではなかったと記憶している。しかし、この数十年間の運用は、事実上の目的税であった。また、そうでなければ、これだけ高い税率はとうてい維持できなかったと思う。
いまある税だから、せっかく不満もなく貰っている税だから、これを使わしてもらおうというのは、まったく官僚的な発想といわなければならない。税金は、国民が何らのサービスを期待して支払うものなのである。国や地方自治体が納税者の期待に添うサービスをしないのなら、これを払わないという緊張関係が民主主義国家には必要なのである。もちろん、一般の税金 ─ 例えば所得税・法人税・消費税・相続税などは、税とサービスとの関係がきわめて一般的・総体的になるのだが、その緊張関係は選挙の投票行動によって示されるといえる。目的税となると、この緊張関係は、当然のことながらきわめて具体的になる。
こうした緊張関係の強弱というのが、実は民主主義の成熟度合を示すものだと私は思う。消費税などが議論されるときによく引き合いに出されるのが、ヨーロッパなどでは税率が10数%とか、20数%であるということである。だから、日本の消費税の税率は引き上げられて当然といいたいのだろうが、それこそ牽強付会(自分の都合のよいように無理に理屈をこじつけること)というものである。ヨーロッパの国々で10数%から20数%の付加価値税があるのは、国民と政府の間にこれを是認するだけの信頼関係があることを忘れてはならない。わが国では、残念ながらこの信頼関係がない。このことを、消費税率の引き上げを主張する人々は肝に銘じなければならない。
数年前、ある会社がリストラをすると、それだけで株価が上がった。日本の企業はリストラすることによって立ち直ったといわれている。それが日本経済を立ち直させたのだのだとも主張する。こう主張する人々が消費税率の引き上げを当然のことのように主張する。消費税を引き上げたいと思うのならば、わが国の政府のリストラをまずしなければならない。行政機構のリストラをせずに株価(税金)を上げようとしても、それは株主(国民)の納得するものとはならない。
ひとつの税金を上げるかどうかで、内閣がぶっ飛ぶことはままあることである。税金とは本来それだけシビアなものである。所得税であろうが消費税であろうが、5.8兆円もの税金を新たに国民に負担してもらおうとすれば、ひとつの内閣の首を賭けなけばならない重大事なのである。それが怖いからといって、道路特定財源という税金を何とかしようというのは、姑息なことである。フェアーなことではない。こういうことをすれば、国民と政府との信頼関係は崩れる。少なくとも国民と政府と健全な信頼関係は決して構築されない。安倍政権の真価が問われるのは、安倍首相が税に対する正しい認識をもっているかどうかなのである。このような認識をもっていない場合、安倍政権は民主主義的でないという烙印を押されても仕方がないと思う。
朝日新聞は、右翼陣営から左翼的であると目の敵にされている新聞である。左翼的な陣営、リベラルな人々は、朝日新聞にシンパシーをもっている人々が多い。その朝日新聞が道路特定財源を一般化せよ、そこに改革内閣であるかどうかの真価が問われると主張する。この効果は絶大である。だが、そんなことは改革でも何でもない。森田氏が「道路特定財源をそのまま一般財源化するのは、法の精神を踏みにじるものである。国家は納税者を欺いてはならない。もしも、道路整備が完了したというのであれば、道路特定財源そのものを廃止すべきである。横取りは罪である。「朝日新聞は財務省の手先か!? 」と厳しく迫るのは当然である。
安倍首相が道路特定財源の一般化を具体的なテーマとするかどうかは、いまのところ分からない。しかし、その可能性は十分ある。こうした動きが出てきたとき国民が適切な行動をとることができるように、いまあえてこの問題を取り上げたのである。諸兄におかれても、いまからこの問題をいろいろな面から検討していただきたい。
「(公明党が)自民党と連立政権を組んだ時、ちょうどナチス・ヒットラーが出た時の形態と非常によく似て、自民党という政党の中にある右翼ファシズム的要素、公明党の中における狂信的要素、この両者の間に奇妙な癒着関係ができ、保守独裁を安定化する機能を果たしながら、同時にこれをファッショ的傾向にもっていく起爆剤的役割として働く可能性を非常に多く持っている。そうなった時には日本の議会政治、民主政治もまさにアウトになる。そうなってからでは遅い、ということを私は現在の段階において敢えていう。」
創価学会・公明党の出版妨害事件で有名になった藤原弘達氏の著書『創価学会を斬る』にある一節である。「自民党という政党の中にある右翼ファシズム的要素、公明党の中における狂信的要素、この両者の間に奇妙な癒着関係ができ」などいいえて妙な表現であるばかりでなく、まさに現在の政治状況を喝破しているではないか。優れた人の慧眼とは、こういうことを指す言葉なのであろう。かつては、こういう人が政治評論家としてテレビに出演していたのである。藤原氏が定期的に出演していた『時事放談』などは、数少ない政治番組のひとつであった。最近では政治番組が多くなった。それはいいことなのであるが、その質の低下と中身に私はときどき目と耳を覆いたくなる。
「(奇妙な癒着関係ができ)保守独裁を安定化する機能を果たしながら、同時にこれをファッショ的傾向にもっていく起爆剤的役割として働く可能性を非常に多く持っている。そうなった時には日本の議会政治、民主政治もまさにアウトになる」。現在の政治状況は、まさにそのような状態といってもいいだろう。藤原氏が警鐘をならした「アウト」の状況なのである。それにしては、政治家もジャーナリズムもこうした危機感を持っているのだろうか。それとももう屈服してしまったのだろうか。そうでないことを心から期待する。
この永田町徒然草の更新再開を決めたとき、もっとマイルドなものから書き始めようと思っていた。しかし、実際に書き始めてみると、そうノンビリしたことを書いてはいられなくなった。森田実氏ほど激しい言葉こそ使い果せないが、問題意識も危機感もまったく氏と同じである。私は私の立場で、私の意見をどんどん発信していこうと思っている。読者の何がしかの参考になれば幸いである。でも、時々はノンビリしたものも書きたいと思いる。その時はお許しいただきたい。なお、「自薦論文集」なるページを作り、思いあるところを一覧できるようにした。これから論じなければならないテーマは数多くあり、それらを一気に書くことはできないので、これまでに発表した文章の中で、今日でも参考になると思われるものをまとめてみた。興味ある文だけで結構。ご一読願いたい。