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このコーナーでは、わが戦い─名付けて「平成革命」の理論や戦略などについて、私の考えや参考資料などを適時取り上げて、同志の皆さまの戦いの参考に供したいと考えております。ときどきご覧下さい。

白川 勝彦透明スペーサー


第1号

2001/2/14

「自民党消滅論」について

1文字アキ岩見隆夫さんをご存知の方は多いのではないでしょうか。毎日新聞出身の政治評論家で、マスコミによく登場しておられます。岩見さんが、毎日新聞に連載の政治コラム「近聞遠見」で私の「自民党消滅論」を展開しました。
1文字アキまずは、岩見論文を一読して下さい。


「近聞遠見」── 白川の「自民党消滅論」

(岩見隆夫 2.10.2001 毎日新聞)

「近聞遠見」── 白川の「自民党消滅論」(岩見隆夫  2.10.2001 毎日新聞)1文字アキ忘れかけたのもあるが、この四半世紀、自民党に見切りをつけて生まれた政党は、新自由クラブ、日本新党、新生党、新党さきがけ、新党みらいなどだ。それぞれリーダーは、河野洋平、細川護煕、羽田孜、小沢一郎、武村正義、鹿野道彦ら。自民党に取って代わる新保守勢力の結集を企図したが、挫折したり、道なかばである。顔ぶれをみると、細川、武村を除き、新党の旗を振る血の気の多い政治家が東日本に目立つのに気づく。それに意味があるのかどうか。

1文字アキ今回、やはり東日本の新潟出身、白川勝彦元自治相が新党に動いた。昨年の衆院選(新潟 6区)で民主党候補に惜敗し、落選中の身だが、離党の弁が、これまでの保守新党リーダーたちと違う。白川は、

「『不自由非民主党』になった自民党は、一日も早く消えてなくなったほうが国民のためだ」

と語った。はじめて聞く自民党消滅論だ。河野以下、見限った時でも、そこまでは言い及んでいない。 消滅論を言わせる背景に、客観情勢の変化がある。結党から45年余、自民党にたそがれどきが訪れた、と多くの人が感じはじめた。ここ数年のことだ。外部だけでなく、自民党の某長老も先日、

「(7月の参院選で、自民党が)負けるなら、それもいいかもしれない。政界再編はいずれやってくる。やるなら早いほうがいいし、負ければはずみになる」

ともらした。勝敗をかけて力み返る雰囲気が少しずつ薄れている。落選の悲哀のなかで、白川はそんな変化を敏感に察知したと思われる。

1文字アキ1979年の初当選の時から、白川は護憲・リベラル派の旗手を標榜し、戦闘的なケンカ男を貫いてきた。

「弁護士出身にしては、無鉄砲なところがある」

と言われながら、ロッキード裁判で田中角栄元首相に一審実刑判決がでると(83年)、一人で田中の議員辞職を要求。リクルート疑獄(89年)では、けじめを求めて亀井静香(現政調会長)らと〈自由革新連盟〉を結成した。93年、自民党が野党に転落したあとは、社会党議員と謀議をこらし、自社連立による村山(富市)擁立の下ごしらえをしている。さらに自自公連立に反対して公明党と対決、これが離党理由にもなった。自民党の総裁選になれば、宏池会に身を置きながら、派の意向に従わず、ポスト竹下では山下元利、ポスト橋本では小泉純一郎を担いだりした。多血質で過激、従って敵も多い。

1文字アキ35歳の新人議員の時、将来リーダーになれそうか、と問われて、

「そう難しいこともないんじゃないかなあ。国会を見渡しても、本当に日本をどうしようとか、党をどうしようとか、国民的立場で考えている人は少ないもんね」

とうそぶいている。強心臓というほかない。そのころ、『新憲法代議士』という本参考・著書紹介ページへも出した。東大法学部時代の恩師、篠原一教授(当時)が序文がわりに〈ロイド・ジョージと白川勝彦〉と題する一文を寄せている。 20世紀のイギリスが生んだ大宰相と駆け出しの白川を並べたのは、ともに幼少の時父を失い辛酸をなめたこと、過疎の地から出て弁護士になり政治家に転じたこと、最高権力者を志しながら、〈弱者への共感〉という信念を持っていること、などの類似点があったからだった。

1文字アキ〈憲法改正と軍拡のほうに路線転換をはじめそうな自民党の方向を、もう一度、正道にもどすために、白川君の果たすべき役割は少なくない〉
とハト派学者の篠原は注文している。

1文字アキ20年近くが過ぎ、白川は党内改革の道を捨て、離党した。リベラル派結集といっても、理念、展望ともまだ不確かで、白川が尊敬する人物と繰り返してきた、〈坂本竜馬〉に風体だけは似てきた。現職議員を抱えない新党だから、当然、前途多難、いまはロイド・ジョージと比べるべくもない。
1文字アキだが、政治行動をともにしてきた加藤紘一元幹事長の〈乱〉とは、離党の一点で決定的に異なる。白川の決意は、次の呼び水になるかもしれない。


1文字アキ私は、離党・新党旗揚げ宣言をした後の一連の発言で、

「自民党は、功罪半ばあるものの20世紀にはそれなりの役割を果たしたが、いまやその役割を終えた。不自由非民主党となってしまった自民党は、21世紀の新しい政治を作る上でその存在自体が百害あって一利もない。自民党をいま歴史の舞台から引きずり降ろさなければ、新しい時代は始まらない」

と確かに主張しました。こうした私の発言を、岩見さんは“白川の「自民党消滅論」”と命名してくださいました。非常に分り易くていいネーミングだと思いますので、以後私も「自民党消滅論」といういい方を使いたいと思っています。戦いに際しては分りやすい言葉が大事だからです。

1文字アキ岩見隆夫さんとは、政治家のパーティーの席でご挨拶したことはありますがそんなに親しい間柄ではありません。にもかかわらず、私の20年間の国会議員活動をウォッチングして下さっていとことに驚いております。新聞記者を長くやってこられた方の評論とはこのようなものかと深く感じ入った次第です。政治家の行動というのは、このようにいつも誰かが見ているのだということを肝に銘じて精進していかなければならないと思っています。

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