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「自民党は真の自由主義政党ではなかった」
なぜ、自民党は自由主義的経済政策に舵を切ることができなかったのか─。
その理由は、自民党の政党としての目的が、ただ単に社会主義陣営に行かせないということだけだったからです。つまり、自民党という政党は、自由主義陣営に属するツールとしての政党ではあったけれども、本当の意味での自由主義政党ではなかったということです。
そのため、自民党にとっては、その構成員たる所属議員は自由主義陣営にいようという人であれば誰でもよく、別に真の自由主義者でなくてもよかったのです。現に自民党には自由主義者でない人、例えば単なる反共主義者や国粋主義的な右翼全体主義者がたくさん入っていました。
したがって、自民党には本当に自由主義で国を治めるということが、どういうことなのかがわかる人がいなかったのです。
こうしたことは、自民党だけに限ったことではありません。当時の民社党や公明党もだいたい似たようなものだったわけで、そういう意味では日本には真の自由主義政党は育っていなかったのです。
同時に、当時の社会党も、真の社会主義政党かというとそうでもありませんでした。社会党は労働組合政党だったわけで、労働組合政党イコール社会主義政党ではないのです。
だから、戦後の日本には、真の自由主義政党もなければ、真の社会主義政党もなかったといえます。ただ、世界中が東西に分かれて冷戦をしていたために、それぞれ存在価値があったものですから、政党としての体をなしてきたということだろうと思います。
逆に言えば、これが日本の政党の限界だったのかもしれませんし、当時の日本人の政治のレベルだったといえるでしょう。
「政権担当能力があるのは自民党だけです」
─これも自民党の議員たちが、選挙の時によく口にするフレーズです。しかし、本当にそうでしょうか?
私に言わせれば、自民党の国会議員というのは、官僚が書いた筋書きの上で、ただ単に演技をするのに慣れているだけのことです。例えて言うなら、歌舞伎役者の家庭に育った子供が歌舞伎役者になるのと同じようなものなのです。
歌舞伎役者という職業は、あまり一般的ではありません。だから、歌舞伎役者の所作を一般の人が見る機会というのは、それほど多くはありません。ところが、歌舞伎役者の子供というのは、父親がやっていることをいつも側で見ているため、歌舞伎役者の所作が自然と身についていくのです。自民党の議員たちも、この歌舞伎役者の子供と同じで、身近にいる先輩が首相や大臣、政務次官をやっている姿を、戦後ずっと見続けてきました。
だから、だいたいこういうふうにすれば務まるんだということを、肌で覚えることができる環境にあったために、大臣になっても、それなりに振る舞うことができただけのことなのです。
実体は、官僚が書いた筋書きどおりに演技しているだけのことで、その演技が自民党の議員は、身近で先輩たちの姿を見てきた分だけ、野党の議員よりも多少上手いということにすぎないのです。
ところが、これが政権担当能力かというと、決してそうではありません。
(つづく)
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