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No.67 今回の総選挙についての論評(その1)
No.68 今回の総選挙についての論評(その2)
今回の総選挙についての論評(その2) 永田町徒然草No.67からのつづきです。 3自自公は総選挙によって清算される――私の誤算 私は小論において、自自公―自公保は総選挙までと予測していました。しかし、この予測は完全に外れてしまいました。そういう意味では、私の誤算でした。不明といわれても仕方あれません。率直に間違いでした。だが、前提が完全に違ってしまったこともあります。 第一に、小渕首相の病気ー退陣ー森内閣の誕生ということです。自由党の連立離脱ということはありうることと思ってはいましたが、半分以上も保守党ということで連立にとどまるとは思ってもいませんでした。いずれにせよ、小渕内閣のまま総選挙に突入すれば多分私の予測どおりになっていたと思っています。森内閣の誕生により一時的ですが、自公保連立となって、本質は変わらなくともそれに対する批判は散らされたことは事実です。自公保連立は、自自公連立とも自公連立とも違うことは事実ですから。こうしたちょっとしたことでも、選挙という微妙なものを予測するときはけっこう大事なのです。小渕首相の病気・退陣・逝去は、自民党には幸いしたことだけは間違いありません。そういう意味では、小渕首相は自らの死をもって自公保連立の危機を救ったといえます。 第二は、民主党の責め方の拙さです。自公保連立の信任を問う選挙という風に全マスコミがいっているですから、民主党は政教分離問題で与党を責めるのかと思っていましたら、ほとんどしませんでした。民主党の躍進などといっている新聞もありました。前回の総選挙で新進党が156議席とったのですから、127議席では野党第一党としては勝利とはいえないでしょう。選挙の少し前、鳩山党首や菅政調会長が政教分離問題からみて公明党の政権参加は問題があるとの発言をしましたが、内部のブーイングでその後まったく発言しなくなってしまいました。 国民が公明党の政権参加は問題ありと思っているのに、民主党がこれについて何もいわないんですから有権者が白けてくるのは当然です。民主党がこの問題をもっと突いていたら、民主党は150議席くらいは獲得していたと私は思います。なぜなら、自公保連立の最大のウィークポイントなんですから。 もっとも、創価学会=公明党は民主党にこのことをいわせないために全力を注いだと思います。民主党にも票を回したと思います。得意の二股膏薬です。こうしたところに創価学会=公明党の狡猾な体質をみることができます。 第三は、長引く不況が国民の批判精神を奪ったことです。21世紀を目前にして、いまわが国にいちばん必要なものは自由の気風ー批判精神であるにもかかわらず、相当の国民のなかに即事的にこの苦境を救ってくれるものへの依存があったということです。それが、自公保という選択に繋がったのです。このような選択には決して展望や希望がないんだというハッキリという政治的言論があまりにも少なすぎました。国民の批判精神の欠如は、政治的言論人の批判精神の欠如に帰せられます。それも単なる偶然ではなく、創価学会=公明党のマスコミ支配に原因があると思います。自由の気風ー批判精神にもっとも敵対する政治的現象が、自自公連立であったし、自公保連立なのです。私たちは、一日も早くこのことに気が付かなければなりません。 4自公という政治ブロックの命運 自公保という政治的塊は、手練手管の結果271議席という勝利を収めました。しかし、将来展望があるかといえばまったくないといていいのだと思います。まず、保守党ですがこの政党は一日も早く自民党に吸収されたいと思っているのではないでしょうか。いずれにせよ、この政党が日本の政治のなかで独自の役割を果たすと思っている人はないと思います。そういう意味で、これからは自公連立というべきなのかもしれません。いまのところは、総選挙の洗礼を受けた「自公という政治ブロック」といておきましょう。 このブロックに未来はあるか?政治的理念をまったく異にする自民党と公明党が一緒にいても、随所に亀裂は生まれてきても新しいものが生まれてくる可能性はまったくありません。これがこのブロックの悲運です。今後お互いに疑心暗鬼になるだけでしょう。憐れささえ覚えます。 なお、自民党と公明党が一つの政党になる可能性はあるのかどうかですが、野中幹事長はじめ党内の一部にそうした考えはあると思います。また、そうした考えがなければ今回のような乱暴な無茶苦茶な選挙協力・選挙区調整はしなかったと思いますし、できなかったと思います。しかし、自民党と公明党が一緒になってもなんの展望も開けてこないし、その合意は党内では到底できないでしょう。 この政治ブロックに国民の信は集まるのでしょうか?これもほとんど期待することはできないでしょう。自由主義社会の政権というものは、何をするにしても国民の支持がなければできないのです。そういう意味では、政権が仕事をする大前提なのです。ましてや、国民の支持のない政権では改革など不可能なことです。21世紀に向けて誰もがいろいろの分野で改革を果断に実行していくことが不可避だと思っているのに、改革が進められなければ国民の支持をますます失っていくでしょう。自公という政治ブロックは、政治的には蟻地獄の状況にその発足の段階からいるのです。いったい271議席の勝利とは何だったのかといわざるをえません。 自公という政治ブロックにとって未来や展望のない勝利であるとしたならば、自民党にとってあるいは公明党にとって今回の勝利はどういう意味があったのかと見てみましょう。 まず自民党にとってはどうだったのでしょうか。 今後、保守党からの合流や保守系無所属議員の参加を見込めば、結果として250前後の議席を確保したことになります。保守党を食い公明党を利用して過半数を確保したことは立派ともいえます。これでは手練手管というものであり、戦って取ったという充実感がまったくありません。それは、これからの党勢拡大に大きく影響するでしょう。独立自尊の精神で戦って取った勝利ではありませんから、自信というものが生まれてきません。 選挙協力・選挙区調整で候補の擁立を見送った選挙区・公認を与えなかった選挙区では、修復不可能な信用失墜をしました。こういう選挙区が20前後あります。そして、こういうことをする政党なのかという信用失墜は他の選挙区にも及んでおります。東京都をはじめとする首都圏における惨敗はこのことによると私は思っています。 創価学会=公明党の協力をえて辛うじて勝った選挙区では、今後選挙の度に創価学会=公明党に依存することになるでしょう。もし、自公というブロックがなくなった場合、極めて選挙に弱い選挙区となります。一度失ってしまった失地というのは、そう簡単に回復できるものではないのです。創価学会=公明党の推薦をうけた自民党候補者に反発して離れていったグループや有権者はそう簡単に戻ってはきません。 いっぽう公明党にとってはどうだったのでしょうか。 酷ないい方をするようですが、創価学会=公明党は自民党に協力することはできても、自民党は公明党に対して公明党が期待するような協力することが、もともとできないのです。これは自民党という政党をよく知っているものならば、実はごく当たり前のことなのです。自民党支持者と創価学会=公明党は、実は体質的にまったく対極にいるからです。また自民党には、創価学会=公明党のような指令はまったくといっていいほど通用しないのです。このことは平成11年の都知事選を見てもらえれば分かってもらえるはずです。 民主党とならば、公明党が考えていた選挙協力は成功していたかも知れません。いや、成功していた可能性は十分あります。民主党のなかには、まだまだ組織の指令に忠実に従う部分がかなりあるからです。 しかし、今回の選挙で小選挙区では勝てないということを実証してしまった公明党に小選挙区を譲るという政党は今後なかなか現れないでしょう。公明党は、小選挙区では勝負できない政党というレッテルをはられてしまったのです。公明党は、比例区でしか生きられない政党というイメージを与えてしまったのです。これは公明党にとって計り知れないダメージとなるでしょう。 森総理や野中幹事長は、自公保という基盤の上でその地位を得、権勢を振るっていますから自公という政治ブロックに拘泥するでしょう。しかし、自公という政治ブロックに未来も展望もない以上、このブロックの頂点にいない人はいつこのブロックから逃げ出すか考え、半身で構えるでしょう。公明党にあっても同じことがいえるでしょう。これらを見越して、いつ「大指令」が出てくるかもしれません。いや、きっと出るでしょう。それを見越して党内は疑心暗鬼になるでしょう。いや、なっていると聞いています。いずれにせよ、自公という政治ブロックの内実はその数の割には、極めて不安定なのです。 ("つづく"かもしれません) 23:30 上越市北城の自宅にて
今回の総選挙についての論評(その1) まず,私がこの2月に発表した「自自公連立の政治論的批判」という小論に基づいて,自公保連立およびその信を問う総選挙を総括してみたいと思います。 1自民党はなぜ戦勝気分になれないのか? 私はこの小論において自自公連立の罪と罰として、自民党が自由民主党でなくなったことを第一に指摘しました。このことは、もう国民の認識として定着してしまいました。自自公連立が終わり、自公保連立となった4月 日に野中幹事長名で出されたいわゆる「幹事長通達」はあまりに有名で、自由民主党を「不自由非民主党」と公然と揶揄する自民党議員がおおくなりました。 それから、総選挙を目前にした5月から6月にかけて行われた与党選挙協力における野中幹事長が行った調整は、自民党の歴史上いまだかつてみることができない強引かつ無茶苦茶なものした。小選挙区制になった場合,自民党といえどもある程度は党本部が調整や決定にイニシヤティブを発揮しなければならないことは確かです。しかし、ものには限度というものがあります。野中幹事長が行った調整は自由主義政党のそれとは程遠いものでした。私は,彼の選挙区調整をみていて共産党か公明党のそれと全く同じ類と見ました。これにより多くの人々が、これまでの自民党といまの自民党が質的に変化したことを感じ,強い違和感をもったのです。そして、自民党に失望を感じ見限ってしまたのです。 首都圏における自民党の惨敗はこうしたことが直接の原因でしょう。この認識は全国的なものとなりつつあります。 保守党が早晩自民党と一緒になることは誰もが思っている。この保守党を含めて自民党は240議席を確保しました。無所属で当選した人で自民党に入る人も7~9人くらいはいるでしょう。したがって自民党は過半数を確保したことになります。本来ならば万万歳なのです。しかし、そんな雰囲気は自民党の中にはまったくありません。また自民党支持者の中にもありません。なぜでしょうか。それは、今回の選挙を自民党が主体性をもって戦い、単独で過半数を獲得するという目標をもって戦わなかったからです。しょせんは,結果としての過半数の確保でありタナボタに過ぎないからです。政治は結果責任といわれますが、政治活動は結果だけでなくその手続きも重要なのです。 2自民=公明ブロックは決して選挙に強くない。 私はこの小論のなかで「自自公三党の選挙協力は、三党の縮小再生産となる」と指摘しておきました。自公保三党の選挙協力が強引になされましたが、それが強引であっただけに私が指摘した通りの縮小再生産となってしまいました。自公保三党の解散前の議席は331議席でした。それが271議席となりました。実に19パーセント弱の減です。定数削減分の60パーセントを与党三党で被ったとしても15パーセント減です。戦闘では兵力の10パーセントを失うと惨敗というのだそうですが、大惨敗といっていいでしょう。 大惨敗なのに自公保三党のどの党からも責任論がでないのが不思議です。それは,自公保連立が権力保持だけを目的にした連立だからです。私は、「自自公連立の第二の罪と罰は、理念なき政治の横行」と指摘しておきましたが、それは自公保となって一層その傾向を強めました。ですから、要は政権を引き続き保持できればそれでいいのであって、それ以外は何も望まないという堕落が与党三党を支配しているのです。堕落した政党に国民が魅力を感じるはずがありません。与党三党の縮小再生産は、これで終わりではありません。まだ、第1段階の縮小でしかありません。第2段階の、第三段階の縮小再生産の波に襲われるでしょう。 ここは大事なことですから、もう少し具体的にいいましょう。今回の選挙で公明党という政党は、小選挙区ではどのようの手を使ってみてもしょせん勝てないということが実証されました。今回の選挙で公明党は絞りに絞って18の小選挙区から立候補しましたが、勝ったのはわずか7選挙区だけでした。それも自民党の全面的な選挙協力を受けた上でのことです。それも非常に公明党のベースの厚い大阪府と兵庫県の6つの選挙区だけでした。あとは、沖縄一区です。首都圏と東海は全滅でした。この次は近畿でもそうなるでしょう。これを要すれば、自公の選挙協力をいくらやっても公明党は小選挙区では勝てないことが判かったのです。 一方、自民党にとってはどうであったか。一見したところ、自公の選挙協力は成功したかに見えますが、実はそうでないことが分かります。東京都の25の小選挙区の内、自民党公認候補が勝ったのは8選挙区あります。しかし、このうち、創価学会=公明党の全面的応援を得て戦って勝ったのは6選挙区しかないのです。前回は創価学会=公明党と全面的に対決するなかで、15選挙区で勝ったのです 大阪府では19の小選挙区の内、前回は3選挙区しか自民党は勝てませんでしたが、今回は8選挙区で勝ちました。自民=公明ブロックで13の小選挙区を制したことになります(保守党の1を含む)。しかし、ここでは民主党のベースが弱いとみた民主党は3選挙区で候補の擁立を見送りました。選挙の直前に立てた候補者でもかなり善戦しています。自公が縮小再生産をしている内に、民主党は確実に力をつけてこの次は首都圏と同じようになると思います。自公連立の国民の評価がよくない以上、いくら自民=公明ブロックが結束して選挙に臨んでも自民=公明ブロックは選挙では勝てないということです。自公連立の評価が高くなるということはほとんど考えられないことですから、自民=公明ブロックは大阪府でも地盤沈下することは必定です。 (つづく) 15:05 議員会館にて |
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