白川勝彦Web 日々の政治的戦いアルバム 2003年10月15日 晴れてはればれ、街頭演説 ─ 立ち話しも弾んで…
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2003年10月15日 晴れてはればれ、街頭演説 ─ 立ち話しも弾んで…

写真:街頭演説から一日の活動がスタート街頭演説から一日の活動がスタート。上田町、蓮潟の二ヶ所で演説を行いました。さらに白川はあいさつ回りへ出掛け、長岡大和デパート前で、再び街宣車と合流して演説を行いました。

写真:挨拶回り─談笑中の候補

写真:五十の市で、皆さんからご声援を頂戴する候補隣接地でちょうど開催中の「五十の市」で賑わう路地をスタッフと共に練り歩き、買い物途中の皆さんから「頑張って下さいね。応援してますから」という多くの激励をいただきました。あたたかく力強い励ましに、白川も一層の力が湧いたようでした。

写真:午後もまた街頭演説午後は北魚沼、南魚沼で20箇所の街頭演説を行いました。白川は18時10分浦佐駅発の新幹線で事務所に戻り、19時からの長岡秀央会拡大役員会に出席という、大忙しの一日でありました。


写真:蓮潟での演説<拉致被害者帰国から一年> *蓮潟での演説の一部

北朝鮮の拉致被害者である蓮池さん、曽我さんが日本に念願の帰国を果たしてから今日で一年になりました。

いま、北朝鮮の総書記と直接話が出来るのは小泉さんしかいないはずであり、小泉さん本人も「拉致問題を解決したのは歴代総理でも私しかいない」と言っておりますが、まだ解決はしておりません。仕事というものは手掛けたら最後までやり遂げることが大事です。確かに5人の被害者の方々は帰国しましたが、まだ大勢の被害者と残された家族は帰ってきておりません。

この問題の解決のために小泉さんはもう一度平壌に行くべきです。それをしないでダラダラと先延ばしした結果、反北朝鮮感情が高まっているのではないですか。これは小泉さんの仕事の「中途半端さ」いわゆる「丸投げ」という事の象徴であります。


長岡秀央会拡大役員会 (19時〜白川事務所にて)

写真:檄を飛ばす渡辺秀央先生お仕事でお疲れの中、また雨で足元の悪い中ではありましたが、100名を超える皆様が事務所にお集まりくださり、長岡総決起集会へ向けての打ち合わせと、決たるべき選挙への体制について、熱心にご討議いただきました。

渡辺秀央先生から「新潟5区有権者の良識と良心を白川氏に求める以外にない。私の息子たちも今週末から応援に張りつけます。当選のためにお力をお貸しください。」とご自身の後援会幹部の皆様に、檄を飛ばしてくださいました。

写真:長岡秀央会拡大役員会

渡辺先生は、この、白川のために開かれた拡大役員会に、公務ご多忙の中、東京での大事な会議をキャンセルされてまでのご出席でした。本当にありがとうございました。


写真:大勢のお手伝いの皆さんによる宛名書きと発送作業事務所内では大勢のお手伝いの皆さんによる宛名書きと発送作業が夜9時過ぎまで続きました。この作業と同時に、ボランティアの皆さんのお力で配布されたリーフレットの後援会入会申込書も毎日たくさん届きはじめました。このどれにも力強いメッセージが添えられており、白川に寄せる期待の大きさをあらためて感じさせられております。

一方、スタッフの対応が間に合わないほどの電話が次々と掛かり、政権交代を望む確かな風がこの5区でも吹き始めたと、肌で感じるようになりました。

この忙しさは「うれしい悲鳴」といえます。しかしその半面、来所された皆様にお待ちいただいたり、何かと不手際があるかも知れませんが、スタッフも一生懸命頑張って参ります。至らぬところは、何卒、ご容赦くださいませ。

(文責・岩元)


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