晩秋の徒然
08年11月03日
No.979
昨日はお休みを頂いた。埼玉県久喜市に住む兄のところに行った。兄は癌と闘病中なので、月に1回は見舞いを兼ねて行くようにしていたのだが、2冊の本の出版で3ヶ月も行けなかったのだ。著書は送っておいたが、久しぶりにいろいろな話をしたいと思っていた。兄はインターネットをみないので、私がコンピュータを持って行ってもWWWに接続することができない。そこでお休みを頂いたのである。
兄は私が衆議院選挙に出た時(昭和50年)から理解者であり支援者であった。兄は元々政治に深い関心をもっているが、インターネットを見られない。従って、私がWWWを通じて行っているこの2年間の政治活動をリアルタイムに知ることができない。私を6回も国会に送って下さった支援者には兄のような方々が多いのである。いやその殆どがそうだといっても過言ではない。私が永田町徒然草の単行本化に執念を燃やす訳はここにある。
兄嫁が作ってくれた野菜料理をたくさん頂いた。兄も私も野菜中心の料理で育てられた。私たちが子供の時代、肉や魚はなかなか食べられなかった。メザシであってもおかずに魚がつく日は、わが家の“ご馳走の日”であった。わが国は本当に貧しかったのだ。わが家には少しばかりの畑があった。洒落た野菜ではないが、野菜だけは豊富にあった。その野菜を使って母はいろいろな料理を作ってくれた。そのころはそんなに美味しいと思わなかった。やはり肉や魚が食べたかった。最近では野菜料理を食べたいと思う。野菜料理中心の食事をすることが健康にはいちばん良いようである。
一晩泊まり、午後2時29分私は湘南新宿ラインに乗った。宇都宮線久喜駅から都心に帰るには、断然これが早い。久喜駅から新宿駅まで40数分であった。大宮駅から新宿駅までの間に止まるのは、赤羽・池袋の2駅だけである。都心をこれだけ早く移動できる交通手段でこの線に勝るものは他にあるまい。渋谷駅で降りても好かったのだが、久しぶりに新宿駅で降りた。新宿の街をぶらつくのは実に久しぶりであった。
新宿駅東口を出て少し歩いた所に“紀伊国屋書店”があった。私の著書がどのように置いてあるのか確かめたくて店に入った。『自公連立解体論』と『政権崩壊』が2冊並んで平積みされていた。頼もしかった。嬉しかった。ジュンク(淳久)堂書店でも平積みされていたと友人から聞いていたので、ジュンク堂も見ておこう思った。しかし、「ジュンク堂は何処ですか」と訊く訳にもいかなので、とにかく外に出た。三越デパートの上だとは聞いていた。紀伊国屋書店の近くに三越はあった。6階のカウンターで訊くと2冊の著書が置いてあるを教えてくれた。ここでも2冊並んで確りと置いてあった。
総選挙が終わるまでこういう状態が続いてくれれば有難いのだが・・・。本の競争は激しく、荷動きが少し鈍ると直ぐに書店から引き上げられるという。大きな書店に立ち寄ったときには、ぜひ『自公連立解体論』や『政権崩壊』をご購入頂きたい。この2冊が書店に並べてあることが自公“合体”政権に打撃を与えるのだ。そのために2冊の著書を出版したのであるから。書名も装丁もその辺を配慮した。『自公連立解体論』も『政権崩壊』も、私が世に放った来るべき総選挙の武器なのである。
昨日は実に爽やかな秋晴れであった。しかし、日の落ちる時間はずいぶん早くなった。午後6時前に帰宅したが、すでに完全な夜であった。『ダーウインが来た!』と『篤姫』を見た。『ダーウインが来た!』では“飛魚”をやっていた。小さいころ飛魚がおかずに出た。安くて美味しい夏の魚だった。近ごろ飛魚を食することは滅多にない。『篤姫』では、大政奉還と坂本竜馬の死があったがずいぶん端折られていた。『篤姫』のテーマからいって仕方ないのであろうが、ちょっと残念であった。いよいよ篤姫の闘いが始まるという。『篤姫』もあと数回で終わりだ。
今日も休みである。連休って凄いんですね。それでは、また。