景気と政治
08年10月19日
No.965
昨日は土曜日であった。私はいつものように事務所に出かけたが、午後4時過ぎには退出した。疲労が限界に達し、つらかったからである。振り返ってみると、この2ヶ月間休みの日がまったくなかった。いや土日は却って忙しかった。先週の土日の韓国旅行も精力的に動いた。今日はゆっくりと自宅で過ごすつもりだ。
韓国旅行から帰った後、事務所の仕事は異常なほど忙しかった。世界同時株安の影響が庶民の生活レベルでも起きているような感がする。商売の前線は本当に深刻なのだろう。景況感は人間の心理であるが、それは経済の実態をある程度反映したものである。単なる心理ではない。この景況感が人間の経済活動に影響を及ぼす。景況感を心理・バーチャルなものとして無視することはできない。
政治や選挙にとっても景況感は重要な要素である。不景気になると与党は不利だというのは浅薄な見方である。不景気になると国民は保守的になる。生活防衛の傾向が強くなる。その場合、国民は与党の方が頼りと考える。投票行動は言わずもがなである。しかし、経済の状態が著しく悪く政府が適切な対策を講じていない場合は反与党になる。
経済の実態・現況は深刻である。経済の立て直しは基本的なところを変えないと不可能である。「個人消費を刺激せよ」などという単純な政策ではダメなのである。生活防衛に走り始めた国民には、消費意欲そのものが極端に減退しているのである。真の有効需要とは何か、政府としてその有効需要を財政・税制面から支援することにより国民レベルの有効需要のどう創出・誘導していくかが必要となってくる。
いかなる有効需要を創出・誘導していくかは、価値観を抜きに論じられない。私は麻生首相と国会同期当選であり派閥も同じだった。彼の政治的価値観や人間としての価値観を知っている。彼には論ずるに値するまともな価値観などない。商売人としても半人前な彼にそんなものを期待する方が無理というものだ。彼はセメント屋だ。有効需要を創出するといって、公共事業をもち出すようでは困る。そんな時代錯誤は国民が許さないであろう。麻生首相の時代錯誤(アナクロニズム)は随所にみられる(笑)。
それでは、また。