経済の建直しと政治・倫理
08年09月01日
No.917
今日から9月である。今年もあと4ヶ月である。昨日の日曜日、私は終日家でブラブラしていた。先週は忙しくて曜日を1日間違えたくらいだ(苦笑)。その疲れもあったのだろう。政治を長い間つづけてきた私にって、日曜日は休みという習性がない。日曜日は普通の日より忙しいというのが政治家の感覚である。
忙しく働く者にとって、お休みというのは貴重である。まず体の疲れをとることは大切なことである。この前、私の友人に会った時、その友人が言っていた。
「土日が楽しみでしょうがない。土曜日はとにかく休みたい」
この友人は焼酎スタンドを最近日本橋に開店した。昼の仕事が終わると夜はほとんど店に出て手伝っている。体がとにかく疲れるのだという。
白川勝彦法律事務所の仕事が忙しいといっても私のすることなど大したことではない。ただ私が事件を受任すると事務方が忙しくなるのである。白川勝彦法律事務所の事務員はいつも残業である。今日から新しく事務員を入れて、事務所体制を強化していくことになっている。
日曜日はキリスト教の教義に由来している。私はキリスト教の国で長く生活したことがない。だから、詳しいことは本当のところ分からないのだが、もしかなり昔から日曜日に国民の多くが休日をとっていたとしたら大したものである。もし日曜日に教会に行って礼拝をしたていたとしたら大したものだと思う。“自省”の日を週に1日もつことは意味がある。私が育った新潟県の田舎町では、昭和20年代後半でも日曜日は必ずしも休みではなかった。マックス・ウエーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』は、昔からぜひ読んでみたい本と思っていたが、いまだ果たしていない。マックス・ウェーバーの本はなんとなく難しそうなのである。
私は昔から経済が苦手であった。経済や金儲けにあまり興味がなかったので、政治の道を選んだといっても過言ではない。だから、国会議員をやっていたときも、経済の勉強会などにはほとんど出なかった。経済は経済の専門家に任せておけばよいと考えていた。私が国会にいたころ、わが国の経済のパフォーマンスは非常に好調だった。門外漢の私が口を挟むことなど意味がないと思っていた。しかし、私は経済の専門家(経済人を含む)に対して尊敬の念をあまり抱くことができなかった。経済の専門家の言うことには、“倫理性”があまり感じられなかったからである。政治を語る場合は、倫理性をまったく無視することなどできない。
アメリカ経済も大変なようである。アメリカ一辺倒できた日本経済がおかしくなるのは当然である。日本だけのことではないであろう。中国を含むアジア経済も同じような傾向があるのだろう。それに比してヨーロッパ経済は比較的堅調のようである。最近の資源高でロシアの鼻息がえらく荒いが、宗教を長年否定してきたソビエト社会を引きずっているのであるから、ロシア経済に“倫理性”を期待することなど難しいと思う。
日本経済を立ち直すためには、政治と倫理の面から問い直すことが不可欠なのではないか。経済も結局は人間のためにあるのだから。今年の秋は、読書の秋にしたいと思っている。なかなか難しいことだが・・・(苦笑)。
それでは、また。