“無駄だった”と思われなければよい。
08年04月11日
No.769
温かくなったと思うと急に寒くなる。東京では1日おきに雨が降っている。ちょっと厚手のレインコートなので、そろそろクリーニングに出したいのだがまだ出せないでいる。厚手の裏地を付けてオバーコートとして使っていたので、率直にいってちょっと汚れている。心置きなく早くクリーニングに出したいものである。このままでは刑事コロンボのようである(笑)・・・・・。
昨日の昼ころ、急に胃の具合がおかしくなった。午前の法廷は終わっていたので、ガスター10(テン)を買って家に帰った。1日おきに温かい日と肌寒い日が続いたのが堪えた様である。それに日曜日の樋口後援会長の叙勲祝賀会で、珍しく気持ちよくお酒を飲んだ後遺症が出てきたようだ。二次会を含めると相当に飲んだのだ。そういえば二次会が終わった時、腰が抜けて立てなかった。やっと立たしてもらったのだが、こんどは真っ直ぐ歩けなかった。こんなに酔っ払ったのは、数年ぶりである。こうなる前に私はふつう気分が悪くなって寝てしまうのだが・・・・。久しぶりに懐かしい面々と会い、いろいろな話をしながら楽しく飲んだからなのだろう。
先週の木曜日の夜9時から『渡る世間は鬼ばかり』の新シリーズが始まった。昨日は第二週目であった。昨年終了した時点から1年間が経過したという設定で話は始まる。それぞれの家庭で大きな出来事が起こる。どうしてそのような出来事が起こったのかは、1年間の空白があるので不明である。これから徐々に明らかになっていくのであろう。果たして収拾がつくのかという不安はあるが、橋田壽賀子さんのことだからきっと面白い展開になるのだろう。毎週木曜日の夜は家に帰って、『渡る世間は鬼ばかり』を観ることにしたいと思っている。
ニュース報道番組を除いて、この番組を観ようと思ってみることは滅多にない。良い番組がないなどというつもりはない。しかし、せっかくわざわざ観てみても、“これは観て良かった”と思える物は本当に少なくなった。どんな作家でも監督でも“これは良い”と思える物をいつも制作することは難しいのだろう。天才といわれるイチロウーだって、3割バッターなのだ。ヒットを飛ばせるのは3本に1本なのである。だから私はある番組をみるとき、“これは良かった”と思われなかったとしても責めるつもりはない。“良かった”と思われなくても、“観たことは無駄ではなかった”と思えれば、それでよいと考えている。
そのような諦観をもっている私だが、それでも“観たことは無駄ではなかった”と思える番組が本当に少なくなり過ぎた。午前0時以降の番組はそういう物が多い。民放テレビにはチャンネルを留める気も起きない物がほとんどである。NHKの深夜番組も下らない物がこのところ多くなった。次にみるのがNHK教育テレビである。深夜のNHK教育テレビで“無駄ではなかった”と思える番組は、高校講座の世界史・日本史・地理である。生物や地学や家庭総合をみることもある。語学ものはみない。ところがこれらが毎日ある訳ではない。しかも午前3時にNHK教育テレビは終了する。そうすると最後はNHKラジオの“ラジオ深夜便”だ。最近これを良く聴く。
なぜかその後も永田町徒然草を毎日書いている。そのほとんどが厭きもせずガソリン税の暫定税率についてである。それなのに、このところアクセスが確実に増えている。私のサイトは、政治サイトである。税の問題は政治そのものであるのだから、それでよいと思って続けてきた。読者の理解が徐々に得られつつあるのだろうか。ヒットでなくてもアクセスしてくれた方にとって“無駄ではなかった”と思っていただければ幸いなのであるが・・・・。私の主張していることはきわめて単純直裁なのであるが、いろいろな動きが次々と出てくる。こんどは「道路政策協議入りで一致 一般財源化へ自民・民主」だってさ。体調があまり良くないので、今日はこれに触れない。
それでは、また。