祝・天皇誕生日
06年12月23日
No.285
「侍立」ということをご存知だろうか。じりつ【侍立】――貴人のそばにつき従って立つこと(広辞苑)。私は2回侍立というものをしたことがある。自治大臣・国家公安委員長のときである。侍立と聞いたとき、私はこのことを知らなかった。宮内庁の役人が来て説明してくれた。天皇が外国の大使および公使を接受するとき、国務大臣がそばに立つことになっているというのだ。私は正装をして侍立という大役に臨んだ。
皇居松の間で天皇陛下が外国から新たに着任した大使を接受するのである。私は天皇陛下からみて左斜め前に立つのである。外国の大使から見たら天皇陛下の右斜め前に立っていることになる。最初の侍立は、ネパール大使の接受であった。ネパール大使は民族衣装を着て謁見に臨んだ。皇室とネパール王室が親密な関係を持っていることは広く知られている。天皇陛下も皇太子殿下のときネパール国を訪問したことがあり、大使に対して国王陛下のご様子や宮殿の○○の木などについていろんなお話を親しくされてた。
時間にして30分以上もお話をされていた。広い広間には天皇陛下とネパール大使とその付き人と私だけである。椅子などはなく天皇陛下も大使も付き人も立ったまま話をされるのである。もちろん私も立ったままである。国会の開会式や戦没者慰霊式典などで天皇陛下のお言葉を親しく聴いたことがあるが、それはキチッと型にはまったものだ。大使の接受の場合は、そのようなものは一切なかった。最初から最後まで、天皇陛下が大使に直接話しかけられるのである。天皇陛下のこうしたお言葉を聴くのは初めてであった。ネパール大使だったので、思い出がたくさんありいろいろなお話をされた。天皇陛下のこうしたお言葉を拝聴するのは初めてのことであり、私にとっては驚きでありかつ新鮮だった。私は天皇陛下のお人柄に深い親しみを感じた。
大使や公使の接受は、憲法7条9号で定められた天皇の国事行為である。大切な国事行為であるから、国務大臣が侍立することになっているのだろう。ネパール大使の接受のほかに、アイスランド大使の接受にも私は侍立した。それが同じ日であったか、別の日であったか記憶が定かではない。いずれにしても天皇陛下の形式的でないお言葉が拝聴できるので侍立の番が来るのを楽しみにしていた。天皇陛下の会話には、深い教養とお人柄が滲み出ていた。普通の行事ではこうはいかない。用意したお言葉を読み上げられる。こんなことから多くの国民が天皇陛下にちょっと親しみをもてないところもあるのかもしれない。
しかし、これには深い訳があるのだと私は思っている。敗戦のとき、天皇制の廃止や天皇の戦争責任を主張する国もあった。昭和憲法で天皇制の存続は決まったが、明治憲法の天皇の地位と権能とは大きく違ったものとなった。昭和憲法下において天皇は何ができ、何をしなければならず、また禁じられることは何かをもっとも真剣に考えたのは天皇家であり、宮内庁だったと私は思っている。宮内庁は天皇が憲法に違背するようなことがないように徹底的かつ真剣に勉強していたと思う。昭和天皇にも今上天皇にもその言動が憲法に照らして問題になったことはない。
憲法99条は「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と定める。憲法尊重擁護義務といわれている。この憲法尊重擁護義務をもっとも忠実に果たされたのが昭和天皇であり、今上天皇である。憲法改正を主張することは言論の自由として許そう。しかし、憲法が改正されるその日まで、現在の憲法が唯一無二のわが国の憲法なのである。首相や大臣や国会議員や裁判官などは憲法を尊重擁護する義務があるのである。天皇陛下にはその決意がいつも感じられるが、その他の輩にはこうした気迫を少しも感じられないようになってきた。何かにつけ皇室や伝統をもちだす右翼反動の輩は、天皇陛下の憲法尊重擁護の姿勢を肝に銘じなければならない。
天皇陛下のご健康とご長命を心からお祈り申し上ます。