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鴎外と雑事

06年12月18日

No.280

「森鴎外の娘のアンヌが、鴎外が雑事を楽しそうにやっているのを見て不思議に思い、理由を尋ねると、『なんでもないことを楽しんでやるようにしなければならない』と鴎外は答えたそうです。軍医に作家という二束の草鞋を履いてどちらも頂点をきわめた鴎外ですが、なんでもない日常の雑事を楽しむ、達意の人であったことがわかります。白川さんも鴎外のように、なんでもない雑事を楽しむ人生を送ってください。一読者より」とのメールをY・Tさんからいただいた。Y・Tさんへの私の返信は。

「メール、ありがたく拝受しました。このところちょっと忙しくて返信が遅れたことお許し下さい。森鴎外は好きな作家ですが、高瀬川などほんの少ししか読んでいません。その鴎外が『なんでもないことを楽しんでやるようにしなければならない』と娘さんにいったことを教えていただきありがとうございます。今後『雑事を楽しむ』ということを口にする時、ぜひ紹介させていただきたいと思います。そうするともっと説得力があるでしょう。もし出典をご存知でしたら、教えていただけませんか。年末、何かと気ぜわしいですが風邪などを引かないようにしましょう。白川拝」 Y・Tさんからさっそくメールが帰ってきた。

「お返事ありがとうございます。森鴎外の件ですが、たしか鴎外の次女の小掘杏奴が書いた『晩年の父』(岩波文庫)の中にあった文章だったと思います。かなり以前に読んだものなので、間違っているといけないと思い、確認しようと思ってさがしてみたのですが手元にありませんでした。本屋にも行ってみたのですが、在庫がなかったので、自分で書いておきながら(たぶん、まちがってはいないと思うのですが)、出典を正確にお伝えすることができず、申し訳ございません。もし確認できたら、またご連絡させていただきます。

私はこの話が好きで、なにか、たとえば、それほど重要でない、けれども生活をする上でやらなければならいことなどをしているとき、よく思い出し、なんでもないことでもつまらないと思わず、楽しんでやるようにすれば、そこに意味を見い出すことができて、ほんのちょっとですが気分が晴れて元気が出てきます。鴎外も同じような気持ちで生きていたのだと思うと、親しみを感じると同時に、鴎外という人がとても孤独な人だったということに思いいたります。白川さんの文章を読み、鴎外のことを思い出したのでメールを送らせていただいたのですが、気にとめていただければ幸いです。Y・T」

Y・Tさんがいう私の文章とは、永田町徒然草No.273の「雑事を楽しむ」であることはいうまでもない。Y・Tさんのメールを拝見して、わが意を得た思いであった。私は学生時代から政治的文献はかなり読んだ方だが、文学書はあまり読まなかった。文学書が嫌いな訳ではないが要するに読書をする時間があまりなく、読書をするならば日々の活動に必要な政治的文献になってしまうのである。たまに文学的古典を読むとあまりにも感動しすぎて、それまでの生き方をガラリと変えてしまうことが何度かあったため、文学的古典を気軽に読むことは私にはとてもできなかった。

明治の文豪といえば、なんといっても夏目漱石と森鴎外だ。漱石のものは「我輩は猫である」「三四郎」「坊ちゃん」など数冊読んだことはある。鴎外のものは短編集を買って読んだ記憶があるが、これといったものは読んでいない。しかし、鴎外が文豪であると同時に軍医の最高位に就いたたいへんな人物であることは知っていた。そんなことから、きわめて理知的で合理的な人物とばかり思っていたので、Y・Tさんから教えてもらったことは私にとって意外であり新鮮であった。私は嬉しくなった。そういえば夏目漱石というと胃弱の神経質そうなインテリ肌の作家というイメージを持っている人が多いと思うが、イギリスに留学した近代的才人であることはもちろんだが、漢籍にも造詣が深い第一級の知識人であった。こういう天才たちが澎湃(ほうはい)として出現したのが、明治という時代なのだろう。

鴎外や漱石の時代に比べれば、外国留学の機会は学者にも官僚にも山ほどある。そして現に多くの人たちが留学しているのであるが、たいした人物は生まれていない。まあ一流の外国の大学に留学したのかという程度の人物が多い。またそれだけではないかという学者も多い。小泉改革を理論面で担当したといわれている竹中平蔵などその典型的人物ではないか。彼が世界的な学者でないことだけは確かである。鴎外や漱石を歴史に残る大文豪にしたのは、彼らの祖国に対する熱い思いなのではないか。鴎外はドイツに漱石はイギリスに留学したが、そこで見聞したことと当時のわが国のギャップをどう埋めたらよいのか、真剣に悩んだのだろう。近代的な日本をどうやって作ればいいのかという問題意識を彼らはいつも抱いていたと私は思う。

門外漢が自信のないことを書くのはこのくらいにしよう。私は人生のどん底の中で、雑事を楽しむことを自然とあるいは必要に迫られて気が付いた。天下の浪人である私のいうことなど無視されても仕方ないが、鴎外が同じようなことをいっているとなれば話は別だ。Y・Tさんも調べて下さるそうだが、私としても出典を調べなければならない。2、3日中に国会図書館に行って調べてもらうつもりである。こういうとき国会図書館は便利なのである。多分文学書でも優秀な司書が探しあててくれるであろう。

それでは、また。


  • 06年12月18日 12時33分PM 掲載
  • 分類: 1.徒然

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