今様の年末
07年12月29日
No.660
押し迫ってきた。昨夜から未明にかけ、約100名の名簿を打ち込み宛名印刷を終えた。できれば早い内に投函した方がよいと考え、渋谷郵便局に行こうと思い外出した。師走の冷たい雨がかなり強く降っていた。もう地下鉄はないので、タクシーを拾うとしたのだが、通る車はすべて乗車中である。忘年会で遅くなった若い人たちがタクシーを拾おうとしているのだが、ダメである。これは、無理と思い家に引き返した。
昨夜は職場などの最後の忘年会があったのだろう。そういえば、暮れにタクシーが拾えなくて渋谷から歩いて帰ったことがあった。タクシーの運転手さんに訊くと、相変わらずタクシーは景気が悪いという。せめて年の瀬くらいは、稼げなければ可愛そうである。師走の雨は冷たかった。“氷雨”という言葉を久々に思い出した。東京には多くのホームレスがいるが、寒さに震えているのではないだろうか。ついそんなことを思い付いた。なぜか、わが国には貧しい人が多くなってきた。
帰ってテレビを入れたら、日本テレビで『第九』の演奏を放映していた。私はCDで『第九』はよく聴くが、テレビで観ることは滅多にない。CDで聴くのとはまた違う。最後までこれを観た。200年近くも前に作られたものを、いまでも私たちは新鮮な想いでこれを聴く。ヨーロッパの伝統芸能を聴くという感じではない。古典音楽である。クラシックである。江戸時代の同じころ作られた音楽もあるのだろうが、それは私たちにとっても伝統芸能だ。ましてや外国の人からみたら、紛れもなく伝統芸能であろう。こう思うと、“日本的なるもの”とはなにか?という難しい問題に逢着する。
タクシーは捕まえられなかったのだが、年賀状だけは近くのポストに投函しておいた。私が渋谷郵便局まで行こうとしたのは、Webマスターに急いで届けたいものがあったからである。本と書類である。それをできるだけ早く出すために事務をやっている本局に行きたかったからである。しかし、仕方がないから朝一番で近くの郵便局(無集配特定局)に出すことにした。目覚まし時計を9時ちょっと前にセットしてひと寝入りした。目覚ましが鳴ったので、ガバッと起きて近くの郵便局に行った。昨夜の雨は止んでいた。ところが、郵便局はお休みであった。なんだか拍子抜けしてしまった。
JP(郵便事業株式会社の略)にとっては文字通りの“掴き入れどき”なのに休みとは驚いた。民営化したのに不思議であった。もっとも民間会社でも、もうそういうことはないのかもしれない。昨日の印刷屋もそうであった。“掴き入れどき”であろうがなんだろうが、土日は休むのが今様なのであろう。職種によっては、“掴き入れどき”というのがある。それは社会で特別のニーズがあるからである。消費者の特別のニーズに応えるのは、仕事ならある程度仕方ないのではないだろうか。つい1週間前にも3連休があったばかりだ。土日働くのは、そんなに“悪”なのだろうか。こんなことをいうと“古い奴”といわれそうである。この辺で止める。
仕方がないので業務をやっている渋谷郵便局に行った。タクシーは難なく拾えた。ふたつの郵便小包(最近では、郵パックといわなければならない)を出した。Webマスターは神戸なのだが、明日の午前中には着くという。これでぎりぎり間に合った。Webマスターには大晦日に作業をしてもらうことになる。元旦には元旦に相応しいページを作るために、こちらには土日もなく頑張っているのである。政治には土日も正月もない。政治や選挙にとって、正月は掴き入れどきなのである。
いずれにしても年賀状出しは終わった。今日はこれから古い友人と浅草で忘年会をやることになっている。最近私は東京の下町といわれる所で、飲んだり食べたりするに無上の喜びを覚える。六本木とか赤坂という所には、あまり魅力を感じない。明日からは、部屋の片付けをするつもりだ。丸1日やれば、だいぶ整理されると思う。やることはキチンとやって、清清しい気持ちで新年を迎えたいものである。出かけなければならない時刻となった。
それでは、また。