朝青龍問題とは?
07年09月04日
No.539
安倍首相の党・内閣の改造人事の話と同じようにいま連日報道されているのが、朝青龍のことである。私は大の大相撲ファンであるから、この問題には最初から関心をもっていたが、多くの国民がこんなに大相撲に関心をもっていたとは思わなかった。そもそも朝青龍問題とは、いったい何なであろうか。自分自身の頭の整理を含めてちょっと考えてみたい。
名古屋場所で、朝青龍は見事な逆転優勝をした。朝青龍の存在を改めて示した。問題はその後に起こった。“疲労骨折”を理由に朝青龍は夏の巡業の休むことにした。私は“疲労骨折”というものがどういう病気なのか知らないが、許可を得てモンゴルに帰国するところまでは何の問題もなかった。ところが、休養中のモンゴルでサッカーに興じたことから急に問題が大きくなった。朝青龍は帰国を命ぜられ、攻めたてられることになった。
多くの力士が夏巡業で苦労しているのに、それを休んでおきながらサッカーに興じるとは何事かという声が澎湃として巻き起こった。問題は、疲労骨折にサッカーはそんなにいけないのだろうかという点が私には分からない。問題のサッカーそのものは子供たち相手の軽い運動程度だったような気がする。それが“疲労骨折”という病気に有害なのであろうか。疲労骨折という語感からすると、気晴らし程度の運動は有用なようにも思えるが、医学の専門的知識をもたない私にはなんともいえない。この点についての医学的見地からのコメントはほとんどなかった。
多くの力士が夏巡業で苦労をしているのに、サッカーができる程度の“疲労骨折”でズル休みをしたことが問題なのであろうか。夏巡業というのはそもそも何なのであろうか。日本相撲協会の大きな興行であり、相撲協会から給料をもらっている力士がこれをサボることなどとんでもないということなのであろうか!? 夏巡業が日本相撲協会の興行であることは知ってはいるが、それに協力しない力士はそんなにいけないのであろうか。夏巡業の興行上は、横綱朝青龍がいないということは確かにマイナスであろう。そこは理解できる。しかし、巡業の目的とはいったいな何なであろうか。
大相撲への関心・親しみを深める。大相撲へのファンの理解と距離を縮める大切な協会挙げての行事であるなど、いろいろなことが言われている。しかし、夏巡業の本質はあくまでも力士の鍛錬と私は承知しているし、それ以上のものである必要があるのだろうか。私が小さいころ郷里十日町市にも夏巡業が来た。公園にある土俵で朝早くから力士は稽古していた。竹刀で打ったたかれる力士もいた。子供心にも可愛そうになる程だった。私の記憶では、東京の道場でしている毎日の稽古そのものであった。この夏巡業でシッカリと稽古した者が強くなると相撲通はいっている。
夏巡業に参加し、シッカリと稽古するのは、一人ひとりの力士のためである。ここに夏巡業の基本があるのではないだろうか。もちろん夏巡業でも最後にはデモストレーションとしての横綱同士や役力士同士の取組みがあった。子供心にもそれはデモストレーションにすぎないと思ったものである。それを八百長などと地方の人々は決していわなかった。大相撲とファンとの距離を縮めるということに関していうと、当時力士は個人の家に分宿したものである。まさに力士とファンが肌と肌を接したのである。力士にしてみれば不都合はあったであろうが、そこでいろいろなことを身に付けたのだろう。いまはホテルに泊まる。
夏巡業の本質・目的は、ここにあるのでないだろうか。力士の鍛錬にならないような苦労が多いだけの巡業であるならば、そんなものはやらない方がいい。大相撲ファンが期待しているのは、稽古で鍛え抜かれた力士の相撲を見たいのである。過剰なパフォーマンスは必要ない。そこがプロレスと大相撲の違いである。だから見応えのある相撲が続くと「満員御礼」の垂れ幕が下がるのである。私は子供心に“栃若”の相撲に手に汗を握った者である。“柏鵬”の相撲もそうだった。“輪湖”の相撲にも緊張感はあった。
閑話休題。夏巡業は基本的には力士の鍛錬のためである。夏巡業に参加しないことによりデメリットをいちばん受けるのは力士自身である。“疲労骨折”を理由に夏巡業をサボった場合、そのツケを払わなければならないのは朝青龍自身の筈である。“疲労骨折”という病名では、本来夏巡業を休む理由にならないというならばそもそも不参加を許可したことに問題があったのではないか。
夏巡業は、基本的には力士の鍛錬のためのものであるべきである。大相撲ファンの関心や距離を縮めるなどといった余計なことはあまり考えなくてもいい。おざなりの稽古を見せられても本当の大相撲ファンは嬉しくもなんともない。泥まみれになり、竹刀で打たれながらも必死になって稽古をつけられる姿に私たちは大相撲の厳しさと美しさを垣間見たのである。私の栃錦や若乃花に対する気持ちは、稽古に稽古を重ねて横綱になった男に対する尊敬である。そうした大横綱は、相撲をやめた後でも風格があった。
もうひとつの朝青龍問題は、メンタルヘルスの問題である。私がよく例に出すのであるが、名古屋場所で優勝した朝青龍が本当の骨折をしたとしても誰も驚かない。しかし、“解離性なんとか”や“躁病の直前の状態”などといわれると何となく胡散臭く思うのである。だが精神や神経の病気も“病気”なのである。病気は専門の医師に委ねるしかないのである。多くの日本人がメンタルヘルスと付き合う“術(すべ)”を知らない。
どんなに屈強な人でも癌に罹患するように、先場所優勝した横綱がメンタルな病気になっても少しも不思議ではないのである。どうもここのところが多くの人々が理解できずに対処を誤る。もう一度いう。どんなに屈強な人も癌になるように、メンタルの病気にもなるのである。どちらも病気なのである。病気は医者に委ねるしかしょうがない。それができないということは、精神医学を否定することである。精神医学も最近では非常に進歩していると聞く。私が選挙で敗北するたびに極端に落ち込んだのも、ひとつの病気に陥っていたのかもしれない((笑)。そういう時は、精神科の医者に相談していた方が良かったのかもしれない。その方が立ち直りが早かったと思う。
<つづく>
それでは、また明日。