泰然自若として、冷静かつ知性的に
16年12月29日
No.1886
押し迫ってきた。この永田町徒然草の読者にも、年末年始の休日を利用して旅行を楽しんでおられる方も、結構おられるのではないか。どうぞ、休日を思い切り楽しんで頂きたい。私の方は、仕事の関係上どうしても、銀行が閉まるまで休む訳にはゆかないのだ。何時からか知らないが、大晦日(12月31日)、銀行は休みである。他の国では、どうなっているのだろうか。一度、調べてみる必要があるようだ。
こう言うのには、理由がある。最近の年末は、昔と違って、どうも“締まり”とか“緊張感”がなくなったような気がしてならないからである。私は、商売をしている家で育った。大晦日は、まさに戦争であった。井原西鶴の物語にも、江戸時代の大晦日の切迫した光景が、生々しく描かれている。そういうことが分からないと、書き出しの「押し迫ってきた」という表現が理解できないのではないだろうか。
私は、債務整理という仕事をしている。その仕事を通じて感じるのだが、多くの国民にとって、年を越すというのは、けっこう大変な事なのではないだろうか。アベノミクスなどと言って浮かれているのは、安倍首相とこれとツルんでいる一部の人々だけではないのか。もうそろそろ、アベノミクスなる幻想に、国民は気が付かなければならない。
この永田町徒然草を書くに当たって、昨年12月26日にupdateした永田町徒然草No.1802「いまこそ冷静さと知性が必要」を読み返してみた。その中で私は、「世の中全体が異常なのについては、大方の人々が同意してくれるだろう。しかし、私の政治的感覚が普通の人より過敏なのだか何だか、この異常な現象が私には“狂”と映って仕方がないのである。」と述べている。
今年は、多くの人々が“これは狂っている”と感じた出来事が、多く起こった。私の政治的感覚が過敏すぎる、という非難は当たらないと言っても良いのではないか。2017年は、多くの人々が、“狂ったようなことがたくさん起こる”と予感している。多分、そういうことが多く起こるだろう。それは、覚悟しておく必要がある。
しかし、臆することはない。「“異常”であろうが“狂”であろうが、こういうものに対するときに必要なのは、“冷静”と“知性”である」と私は書いた。もちろん、これは間違ってはいないが、私は今、これに、“泰然自若”ということを付け加えたい。日本という国も、日本国民も、自分たちが思うより多くの力があることに、自信を持って良い。私は、そう考えている。どうぞ、良いお年を。
それでは、また。