ヘッダバイパス[j]ump
liberal-shirakawa.net 白川勝彦 Webサイト (HOMEへ)
白川勝彦へメールを送る
永田町徒然草を閲覧しています
自薦論文を閲覧します
白川文庫を閲覧します
フォトエッセイ即写一言を閲覧します
永田町徒然草
自薦論文
白川文庫
フォトエッセイ 即写一言
プロフィル
リンク

 

温首相来日考(その2)

07年04月15日

No.396

今日、統一地方選挙後半戦の幕開けとなる96市長選、310市議選、東京都の13区長選、21の区議選が告示される。全国779市の40%に当たる市議選と東京23区のうち21区で区議選が行われる。これは思っていたよりもけっこう多い気がする。市長選や特別区長選となるともう“統一”地方選とはいえないのではないか。自治大臣の時に、統一度が少なくなった地方選挙をもういちど一緒にすることを考えたが、反対が多くてダメだった。さて昨日に続いて温家宝首相の来日について考えてみよう。

(永田町徒然草No.395からつづく)昭和47年(1972年)の日中国交回復以降、わが国と中国との関係はきわめて友好的であったと私は考える。日中国交回復がなされた昭和47年は、まだ文化大革命が必ずしも収束していなかったのであるが、日中友好ムードは非常に高かった。文化大革命が中国社会に与えていた大きな混乱を考えるとこれは不思議でさえある。昭和30年に国交を回復したソ連・ロシアとの関係と比較すると、わが国と中国双方にとって両国の関係がいかに重要であるかが判る。私が衆議院議員になったのは昭和54年であったが、国会の中は日中友好一色であった。私が日中友好の議員活動にあまり熱心になれなかったのも、そうした事情からだった。私ごときがわざわざ出る幕はなかった。

私が初めて中国を訪れたのは、平成3年だったと思う。当時落選中だったが、鯨岡兵輔代議士(故人)から声をかけられて一緒に訪中した。もう毛沢東も周恩来もいなかった。鄧小平が実権をもっていた時代だったと思うが、偉い人には会わなかった。私は北京と南京と上海に行った。少しは会談等も行われたが、中国側から日本の積極的な投資を期待するという発言が多かったのが意外だった。日中友好のムードの割にはそんなものかと私は驚いた。よく聴いてみると、日中国交回復直後は日本企業は中国に殺到したが、実際には上手くいかないので撤退がかなりあったようである。中国経済が成長しているので、現在は経済的には非常な中国ブームである。

温首相は“氷を溶かす旅”といったが、誰がどのような氷を張ってしまったのだろうか。それは、小泉首相の靖国神社参拝だった。小泉氏が靖国神社参拝にこだわったのは、総裁選挙の際に遺族会の票欲しさに“終戦記念日にいかなる困難があろうとも参拝する”と発言したからである。私は橋本龍太郎氏の総裁選挙の事務局長をしたことがあるので、党員票の分布について詳しく知っている。橋本氏は遺族会の会長をしたこともあるので、遺族会票は橋本氏が圧倒的に強かったのである。しかし、3回目の立候補で後がない小泉氏は橋本氏の胸元に手を突っ込むためにそのような発言をしたとしか思えない。そんなことをしなくても小泉氏は十分に勝てる情勢だったのであるが、後がないと思い詰めていた小泉氏は何でもありだったのである。

小泉氏は安倍首相のような右翼反動的な政治思想の持ち主ではなかった。小泉氏は政治的イデオロギーにほとんど興味のない政治家だった。小泉氏の“思想”なるものは、大蔵省・財務省のいうことは絶対に正しいというだけだったのである。 だから靖国神社参拝以外には、右翼的な発言をあまりしていない筈である。いくつかの頓珍漢な発言は、右翼的な傾向に基づくというより政治的勉強不足からくるものであった。総裁選挙で切羽詰って発言したことが日中交流の大きな障害=氷となったことは、日中友好の歴史に対する無知からくるものであった。それだけになんとも情けない。しかし、安倍首相の場合はちょっと違う。安倍氏の歴史認識や靖国認識は、中国側とは確信的に違う考えなのである。それだけにいつ本音が出て爆発するか不安である。安倍首相の今回のパフォーマンスをみていると私には空々しくて仕方がなかった

それを端的に感じたのが、温首相がまだ滞在していた4月13日に国民投票法案と米軍再編特別措置法案を衆議院で可決したことだった。いくら内政不干渉といっても真に日中友好を考えているのならば、このふたつの法案を温首相がわが国に滞在しているときにわざわざ可決することはないであろう。日本人が世界に誇る細やかなホスピタリティに悖(もと)るものといわれても仕方ないであろう。要するに自民党や安倍首相には、「アジアの国々や民族に対する尊敬と畏敬の念が欠けてい」るのである。「尊敬と畏敬に念」があれば、当然のこととして相手側に対する“配慮”も生まれてくる筈である。中国が安倍首相のこうした思想や傾向を見逃す筈はない。

最後に問題にしたいのは、温首相と池田大作創価学会名誉会長との会談であった。私はこの情報を3月12日中川秀直自民党幹事長と北側一雄公明党幹事長の訪中直後に把握していた。この会談は少なくとも中国側が積極的に望んだものではなかった。中国側にはその必要性もなかったし、その利益もなかった。だとしたら、これは誰が望んだのであろうか。池田氏と創価学会と公明党には明らかに利益があった。だから、この人たちが仕掛けたのだろう。テレビでこの会談の様子をみただけだが、池田氏は“庶民の代表”という言葉を何度も使っていた。自民党や公明党の幹事長を使い走りに使う人がどうして“庶民の代表”なのだろうか。日中友好という大きな国益までも自己のために使う人や組織に、多くの日本人は嫌悪感をもった筈である。自民党は、こういう“我侭(わがまま)”に手を貸すほど情けない党になってしまった重要な証左である。このことを肝に銘じておこう。

それでは、また明日。

  • 07年04月15日 01時04分AM 掲載
  • 分類: 3.国際政治・外交

白川勝彦OFFICE   白川勝彦へメール送信 ]

Valid XHTML 1.0 TransitionalValid CSS!Level A conformance icon, W3C-WAI Web Content Accessibility Guidelines 1.0

Copyright©K.Shirakawa Office 1999-2016 - Web pages Created by DIGIHOUND L.L.C. All Rights Reserved ©1999-2016
Powered by Nucleus CMS. Page designed by James Koster.Ported to Nucleus by Joel Pan. Re-design and adjusted by DIGIHOUND L.L.C. © 2006-2016