覚醒した政治意識を
16年01月01日
No.1804
背景 : 平成28(2016)年元旦の初日の出 (*上の画像にマウスオンで本文拡大。クリックで年賀状拡大画像表示)
新しい年が、また来た。今年はどんな年になるかと思うと、楽しくなる。お互いさま、生きていて良かったと思えるような年にしたいものである。今年は意外に、困難と立ち向かわなければ年だと思う。あまり楽観的な条件はない ─ 否、むしろ悲観的な条件の方が多いように思われるのだ。それを乗り越えていかなければならないのだ。だから、今年も万事にわたり「雲は龍に従う」の気概で毎日を過ごそうと、決意している。
政治的には、今年の7月に行われる参議院選挙で、安倍政治にストップをかけることである。安倍首相は、次から次と
その至難の業を成し遂げる
昨年問題となったのは、憲法前文と9条が定める平和主義であった。しかし、今年国民に問われるのは、平和主義と並んで憲法の基本とされる国民主権と個人的人権の尊重である。平和主義・国民主権・個人的人権の尊重は、日本国憲法の三大原則である。「今度の参議院選挙で誰を選ぶか」… 正に、国民主権そのものの内実が問われる選挙となるであろう。
個人的人権の尊重の各種規定こそ、日本国憲法が自由主義を宣言している、具体的内容なのである。自由主義の各種規定は、極めて厳格に解釈されなければならない。公共の秩序や公共の福祉などという権力者の都合で勝手に制限を付けられたのでは、明治憲法の人権規定と同じレベルになってしまう。国民の自由の権利は絶対であり、これに制限を付けることなど、基本的にしてはならないのである。
憲法25条の「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」や憲法27および28条の労働基本権と団結権に関する規定は、日本国憲法の“リベラル性”を特徴付ける、先駆的な規定である。格差問題が世界的に課題となっているが、わが国では、これらの規定でこれまで、格差問題をそれなりに解決をしてきたのである。新自由主義的風潮の中で、わが国では許されなかったことがまかり通ってしまうようになったことが問題なのである。
新年早々、七面倒くさいことを書いてしまった。しかし、七面倒くさいでは済まされないことなのだ。しかも、憲法は七面倒くさい言葉を使わずに、わが国が目指すべきところを、美しい言葉で宣言しているのだ。この憲法を、まず読もう。そうすれば、ほとんどの国民は、この憲法を守らなければならないと思うであろう。
この憲法こそ、焼け野原に
今日は、このくらいにしておこう。本年もよろしく。それでは、また。