一国平和主義はバカなのか !?
15年04月26日
No.1745
積極的平和主義とはいったい何なのか?、という声は多い。マスコミに登場するコメンテータなども、積極的平和主義がどういうものであるか、具体的に説明する者はほとんどいない。ある言葉や概念を理解する場合、反対語を想起すると分かる場合が多い。積極的平和主義の反対語は、“消極的平和主義”ということになるが、この言葉を使った有力な見解や論者は見当たらない。
積極的平和主義についていえば、平和学において使う論者はいるが、安倍首相の“積極的平和主義”とは明らかに異なる概念である。しかし、安倍首相やその仲間が、あえて積極的平和主義という言葉を使い、集団的自衛権の行使容認や安全保障法制の見直しを“積極的”に始めた理由は、私には良く分かる。安倍首相が頭に描いている積極的平和主義の反対語は、一国平和主義という言葉なのである
一国平和主義という論を展開した政治家や学者は、いなかった。一国平和主義という言葉は、憲法9条の平和主義・憲法9条に忠実な安全保障論 = 具体的にいえば、専守防衛論 ─ これに反対する政治家たちが、これを“一国平和主義”と呼んだのである。それは、現実を無視したユートピア的な平和論として、“一国平和ボケ”などと揶揄され、侮蔑的な政治用語として使われたのである。
日本国憲法を制定する国会で、当時の吉田首相が「憲法9条は、自衛のための戦争も否定しております」と答弁したのは有名だが、その後の国会議論の中で、専守防衛論がわが国の安全保障政策の基本となった。私がよくいうことだが、昭和40年頃までの予算委員会の四分の一の議論は、憲法9条の下におけるわが国の安全保障の在り方に費やされてきたといっても、過言ではない。そうした中で、“専守防衛論”に基づくわが国の安全保障政策が形作られてきたのである。
自民党を含め、概ねの政党が合意してきた専守防衛論は、あくまでも憲法9条を忠実に理解し、かつ、それがもっとも賢明な防衛政策であるという信念に基づいで作り上げられてきたものである。そこには、戦争というものに対する深い洞察があった。その信念とは、国民をもっとも不幸にするのは戦争であり、その戦争が起こる最大の原因は、他国に対して戦争=武力行使にある、というものである。
こうした信念・考え方は、果たして間違っているのだろうか。果たして、ユートピア的なのであろうか。私は、そう思わないのである。わが国の憲法9条のような憲法を持たず、政府が必要と判断すれば戦争や武力行使が行える国々の行動を見ていれば、それが賢明でないと理解できる筈だ。その典型がアメリカであったが、そのアメリカにおいても、現に変化の動きが出ているではないか。
安倍首相が唱えている積極的平和主義は、これまで自民党を含めて、多くの政党が議論して作り上げてきた専守防衛論を、明らかに踏み出している。国際平和支援法案(仮称)は、戦争の一方の当事国を後方から支援し、戦争に加担することを恒久法にするというシロモノである。これは、憲法9条や専守防衛論から明らかに逸脱している。
率直にいえば、世界でもっとも強力な戦力を持つアメリカの尻馬に乗って、戦争に加担するということなのである。強いアメリカの後での戦いであるから、危険は少ないだろう。しかし、どのような形態であれ、戦争に加担する行為は絶対にやってはならないのだ。わが国には、ロクなことをもたらさない ─ それが、憲法9条の考えである。
一国平和主義者・一国平和ボケと揶揄されようが、憲法9条の理想は正しいし、専守防衛に徹したこれまでのわが国の防衛政策と実績は、評価されている。これを継承し、発展させることが重要なのである。しかし、安倍首相とその仲間は、これを一国平和主義・一国平和ボケと侮蔑し、積極的“平和”主義というマヤカシの言葉を用いて変更しようとしているのである。国民は、騙されてはならないのだ。
今日は、このくらいにしておこう。それでは、また。