文化の日の思い出
14年11月03日
No.1701
今日は、国民の祝日「文化の日」である。白川勝彦法律事務所は、暦通りに勤務体制なので、私は一日中ぶらぶらとしていた。文化の日に因んだ“芸術性の高い”あるいは“面白い”ものをやっていないかと期待していたが、特にこれといった番組はやっていなかった。国民の祝日には、各局とも祝日に因んだ番組を何かやって欲しいといつも思っているが、あまりこれと言ったものを見たことがない。
私が小学生の頃、文化の日は大きな学校行事だったような気がする。文化の日に向けて作った習字や絵画を学校中に展示して、文化祭が催された。習字や絵画は自分と同じ小学生が作ったのだから、大した物がある訳じゃない。また新潟県の農村のような地域だったので、そんなに教育熱心な地でなかったので、観覧に多くの父兄が来てくれなかった。それでも学校中にいろいろな展示がされた。先生方の熱心さは本物だった。
とにかく文化の日に向かって私たちは何かを作らされた。私は習字も絵もあまり上手くなかったので、特にこれといった思い出はない。ただ小学生の4年生の頃だったと思うが、私の描いた花火の絵が次の年の夏休み帳の表紙となったことがある。しかし、わが家の両親や姉兄も同級生もあまり関心を示してくれなかった。少しガッカリした記憶がある。
中学校となると文化の日の行事はあることはあったが、小学校に比べるとあまり気迫が籠っていなかったような気がする。それは私だけの偏見なのだろうか。高等学校になると文化の日の行事の記憶すらない。私の記憶が欠落しているからなのだろうか。確かに高校生になると私は哲学的なものや科学的なものに大きな関心があり、習字や絵画あるいは音楽等にほとんど興味も関心もなかったのだ。
絵画に関心はなかったが、中学生の頃から私は映画を見るようになった。高校時代は、十日町市にあった3軒の映画館の映画は、毎週必ずほとんど観ていた。本当かと思う人が多いと思うが、これは本当のことである。その代わりわが家にはテレビがなかった。だから当時の封え切される日本映画は、ほとんど見た。一軒は洋画館であったので、話題の洋画もほとんど見た。映画雑誌もかなり読んでいた。
このようなことから私は映像人間になっていった。だから私はテレビが好きだし、厳しい目で見るのだ。芸術作品や芸能作品は言うに及ばず、ニュースや報道番組も私には同じなのだ。これから“文化に関すること”を気軽に述べようと思うが、たぶん映像に関することが多くなると思う。どうか気軽にお読み頂きたい。
今日はこのくらいにしておこう。それでは、また。