神、怒る。民、… ?
14年09月27日
No.1695
木曽の御嶽山が噴火した。多くの人が、大きな被害に遭われたようである。御嶽山は、信仰の山である。嘗ての私の選挙区からはそんなに遠くないので、御嶽講が数多くあって、私の支持者の中にも、熱心な信者が多くおられた。噴火直後の映像を見ていると、神が怒っているのだと私は思った。最近の安倍首相とその仲間が行っている政治の在り様に、私の怒りは心頭に発している。この世に神がいるならば、天罰を与えて欲しいと願っていたところだ。
彼らは“日本を取り戻す”などとほざいているが、彼らが現にやっていることは、“日本をぶち壊し”ているのだ。彼らが取り戻そうという日本とは、一体何なのであろうか。私がイメージしている日本は、昭和30年ころから平成10年ころのわが国のことである。この40年間の日本は、日本国憲法が定着し、自由闊達な雰囲気があらゆる分野で高まり、その結果として経済は成長し、国民生活が向上していった時代。一億総中流社会という気持ちが、多くの人々にあった。
この時代の、政治の基本的価値観と政策課題を政治的に分析すると、“リベラル”といって良いのだろう。その政治勢力の中心にいたのは、自民党であった。当時の自民党は、己がその中心にいることに自信をもっていたし、誇りももっていた。安倍首相も当時の自民党にいたが、当選一回のペイペイだった。当時の自民党は、公明党との連立など毛頭考えてもいなかった。要するに、安倍首相とその仲間(公明党を含む)は、当時の自民党の中心にいなかった人物ばかりなのだ。
現在の自民党と嘗ての自民党は、名前は同じでも、その本質は全く別物なのだ。公明党と連立している現在の自民党は、その本質において、自民党と公明党(創価学会)が合体している政党なのだ。公明党(創価学会)に事実上支配されている自民党がどのようなものであるかは、彼らが現に行っていることをみれば、大よその実態は分かるだろう。嘗ての自民党と同じだと考えるのだけは、安易で危険だ。
以上のことを前提にして、最近の日本政治の現実を見てみよう。地球儀俯瞰外交などといって、安倍首相は暇さえあれば外国に行っているが、これほど虚ろな首脳外交を私は嘗て見たことがない。中国と韓国との関係がうまくいかない外交なんて、外交と言える代物ではない。安倍首相も流石にこれは不味いと思って盛んに首脳会談を模索しているが、その姿は非常に見苦しい。日中、日韓の関係をこれほど悪化させた原因は、安倍首相の歴史観にあるのだから。
永田町徒然草No.1693「政治の限界を知ること」で、私はオバマ米大統領のイスラム国壊滅作戦の問題性を指摘したが、安倍首相はニューヨークにおいて、これに全面的に協力すると表明した。わが国は、これまではイスラム原理主義の標的にされなかったが、これからは、その可能性も覚悟しなければならない。“テロとの戦争”と安易にいうが、問題はそんなに単純ではない。テロの原因と背景を、全体的に洞察しなければならないのだ。
国内問題についていえば、日本経済の停滞と財政の悪化だ。国民を豊かにすることが安倍首相の最大の課題だと本人は言うが、安倍首相の思想と考え方では、日本経済がうまくいく筈がない。国民に、あらゆる分野の自由闊達な活動を保障し、その活動を促してはじめて、経済は活発化する。その結果として、国民生活が豊かになるのだ。国民の自由を次から次となくしておいて、「私が頑張りますから任せておいて下さい」なんて、根本が間違っている。私がアベノミクスなるものを最初から信用してないのは、こういう考えからである。
発達した市場経済社会では、政府が経済に深く関与して成功することなど、そもそも論理矛盾なのである。わが国の優秀な官僚が、わが国の経済成長に寄与したこなど、ほんの少しの例外がある程度のものでしかない。最近では、わが国の官僚も劣化した。優秀でない官僚などに予算を与えても、ロクなことをしない。借金の山を作るだけだ。消費税を10%にしても、借金の山が増えこそすれ、減ることはない。「カエサルの物は、カエサルに返せ」なのだ。
今日は、このくらいにしておこう。それでは、また。