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矛盾の話とリベラル

13年02月17日

No.1555

小学校の高学年か中学生の頃、誰もが“矛盾”の意味を先生から習ったことがあると思う。例の、あの話だ。

昔の中国の「楚」という国に、盾と矛を売り歩く者が居た。
その人が自分の盾を褒めて言うには、
「この盾の堅いことと言ったら、貫き通せる物など無いくらいだ。」と。
また、自分の矛を褒めて言うには、
「この矛の鋭いことと言ったら、貫き通せない物は無いくらいだ。」と。
そこで、ある見物人は言った。
「それなら、あなたの矛で、あなたの盾を突いたらどうなりますか?」と。
その人は、見物人の質問に答えることができなかった。

この話があまりにもよく出来ているので、ほとんど一発で、矛盾という言葉の意味をを憶えてしまう。私もそうだった。そして、いろんなところで、矛盾という言葉を使ってきた。それはそれで良いのだが、例え話の盾と矛で、実際に闘いを行ったらどうなるのか、という話は、誰も、教えて貰わなかったと思う。「貫き通せる物など無い盾」も、「貫き通せない物は無い矛」も、現実にはあり得ない。従って、それらが激突することなどあり得ないことだから、先生方は、話題にしなかったのであろうか(笑)。

それはそれで良いのだが、世の中には「貫き通せる物など無い盾」を望む者は、間違いなくいる。また、「貫き通せない物は無い矛」を望む者もいる。そのような物を望むこと自体に、罪はない。そして、そのような武器を手にした者がそれを使って闘うのは、あり得る話である。このような矛と盾の“決戦”ならば、想定できる、いちばんあり得るであろう結果は、「どちらも、その能書きに(たがわ)ず、激突した状態でそのまま停止する」というものであろう。

何を話したいかというと、実は、“リベラル”のことなのだ。自由を望む者は、間違いなくいる。同じように平等を望む者も、間違いなくいる。そのどちらも、間違っていない。だが、自由に物事をやらせれば、結果は、間違いなく平等ではなくなる。結果の平等を単純に求めれば、自由な競争を否定するしかなくなる。自由と平等という概念は、それ自体、必ずしも矛盾はしてはいない。しかし、「自由な社会を求めること」と「平等な社会を求めること」は、矛盾しているのである。

リベラルの政治思想は、「自由な社会を求めること」と同時に、「平等な社会を求めること」をも希求するのである。その意味では、リベラルの政治思想は、矛盾を内包している考えなのである。しかし、リベラルな政治家は、相対立する自由な社会と平等な社会に、同じように価値を見出し、それをどうやって実現するかを希求するのである。この、相対立する価値のどちらにも(かたよ)らずに実現する概念が、フランス革命では「博愛」とされたのだろう。

古典的な自由主義者からみても、社会主義者や社会民主主義者からみても、リベラルな政治家は、いつも批判や非難の対象になる。古典的自由主義は、自由な社会を理想とする。社会主義や社会民主主義は、平等な社会を理想とする。しかし、多くの国民が自由な社会と平等な社会を共に望むならば、そのどちらにも偏せずに、現実的な諸問題を、誰かが解決するしかない。そして、自由主義社会では、そのような役割を、誰かが果たしてきた。このような政治家は、かつてはオールド・リベラリストと呼ばれ、現代では、リベラルと呼ばれるている。

今日は、このくらいにしておこう。それでは、また。

  • 13年02月17日 04時23分PM 掲載
  • 分類: 1.徒然

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