金融機能のない国
12年10月07日
No.1531
10月に入り、漸く“体に堪える暑さ”からは解放された。しかし、稔りの秋の充実感は、あまりないように思う。それは、わが国のこれからに対する確かな見通しがないからではないか。わが国の経済が、良い方向に向かっているという実感がないからである。経済にも、肌感覚がある。それは、日々の仕事や暮らしの中で感じるものである。最近、誰と話しても、景気の良い話など殆どない。それがまた、経済を委縮させるのだ。
野田首相は、持続可能な社会保障を確保するために消費税を10%にするというが、日々の暮らしや経済(仕事)が持続可能なものでなければ、社会保障もへったくれもなかろう。わが国のあらゆる分野で、これからもこの仕事を続けることができるのか、という不安感が生まれている。デフレ経済は、そういう不安を掻き立てるものである。小泉首相の誕生からもう10年以上が経つが、政治は、デフレ克服のために何もしてこなかった。
デフレは、需要がないことに根本原因がある。経済の6割は個人消費といわれているが、個人消費は、収入がなければ生まれない。平成になってから20数年、個人の収入の基礎である労働環境が著しく変化した。低賃金が恒常化した。正規労働者が、極端に低下した。その根本原因は、新しい産業や企業が生まれていないからである。成長産業や成長企業を育てるのは、政治の仕事である。しかし、政治が成長産業や成長企業を育てるのは、極めて難しい。
成長産業や成長企業が生まれるのは、自由主義経済の下では、民間の経済人の叡智と努力に期待するしかない。政府が、ある産業を成長産業にしたいからといっても、そうなるものではない。経済人は、いろいろな動機から、必死になって新しい商売に挑戦しようとする。その商売の可能性に着目し、それを育てるために資金的な援助と社会的障害を排除するくらいしか、政治にできることはないのだ。
いまの政治や行政に、そのようなことが期待できるだろうか。殆どの人々は、「No」というだろう。私も、そうだと思う。発展した自由主義経済の下では、新しい成長産業や成長企業を政治や行政の力で作ることなど、できるものではない。新しい成長企業を見出し、これを育てるのも、民間の力に依拠せざるを得ない。資金的な援助は金融分野の仕事だが、現在のわが国の金融機能は、著しく低下している。
新しい成長企業と言っても、資本主義社会での起業には、すべてリスクがある。リスクのない起業など、およそあり得ない。リスクのあるものに投資すること ── それをわが国の行政に期待するなど、できる筈がない。わが国には、幸いにも、まだ莫大な資金がある。無いのは、その資金と成長企業を結び付けるシステムなのである。このシステムが構築できなければ、わが国の経済の成長は期待できない。いかなる困難があっても、これを作るのが、政治の責任なのである。
今日は、このくらいにしておこう。それでは、また。