童謡『里の秋』
09年10月11日
No.1314
秋の夜は何となくしんみりしている。寂しいという訳ではないが、さりとて喧躁は相応しくない。そんな時に童謡『里の秋』など聴くと余計しんみりしてしまう。この前、ラジオを聴いていたら『里の秋』が流れてきた ─ そのことを書こうしていたら、急用で書けなくなったのである。それで『里の秋』の歌詞掲載ページへのリンクを張っておいた(永田町徒然草No.1313)のだが、その頁では、曲も流れるようになっていたのである。音楽だけを除く技術は、私にはない(笑)。(webmaster注:midi音源はGoogle検索で発見可。但し、同曲の作曲者海沼實は1971年6月13日没なので、著作権は2021年まで有効。JASRAC Code No.036-0126-9)……
里の秋
静かな静かな 里の秋
お背戸に木の実の 落ちる夜は
ああ 母さんとただ二人
栗の実 煮てます いろりばた
この歌を学校の授業で習ったのか、それとも童謡なので自然と憶えたのかは確かでないが、何となく知っていた。父親と離れて暮らす子供が主人公である。子供が男の子なのか、女の子なのかは定かでない。どちらもあり得ると思うのだが、田舎暮らしの私には女の子に思われた。新潟県の田舎では、男の子は「母さん」などとあまり言わなかったからである。父親の不在は、かなり長期のようである。背戸とは、「1 裏の入り口。うらぐち。うらもん。2 家のうしろ」である【広辞苑】。
私が育った新潟県十日町市では、家の裏にはそれなりの木があった。関東平野のような防風のための林ではない。庭の木というほど立派でもなかった。しかし、とにかく家の周りには木があった。「お背戸に木の実の 落ちる夜は」の“木の実”が何であるかは定かではない。これが栗の実なら大したものである。栗の木はそんなに珍しくなかったが、栗の実は貴重であった。どんぐりのような食べられない実のなる木が多かった。それに栗の実はイガに入ったまま落ちるので、この歌の“落ちる木の実”ではないはずだ。
里の秋は、いつもいつも静かであった。ラジオがあるくらいで、これが点いていなければ家の中は静かだった。どこの家も家族が多かったが、この家は子供が一人か二人だったのではないか。お父さんは家にいない。私は何となく出稼ぎかなんかでお父さんが居ないのだと思っていた。私が育った頃、そういう家は多かった。私は昔から音楽は苦手であった。だからこの歌の歌詞も一番しか知らなかったのだ。仮に二番、三番の歌詞を聴いたとしても子供の私には、お父さんの長期不在の理由が戦争とは分からなかったであろう。
『里の秋』の故事来歴については、銀の櫂というwebサイトにも詳しく紹介されていた。外地引揚者を激励する歌だったことは、不明にも私は知らなかった。そうだとするとこの歌のように母子でお父さんの還りを待っていたにもかかわらず、結局は帰還されなかった家もかなりあったはずだ。そう思うとこの歌は、あまりにも悲し過ぎる。私は一番しか知らなくて良かったような気がする。「栗の実 煮てます いろりばた」の“いろりばた”は、当時どこの家いにもあった。現在では里の家でも、“いろりばた”はほとんどない。“いろり”は、いろいろな役割を果たしていた。ガス・電気レンジは便利だが、それだけのことである(笑)。
それでは、また。