危機にハシャぐ政治家
09年04月28日
No.1154
豚インフルエンザでアソウとマスゾエがやけにハシャいでいる。先のテポドン発射の時も、多くの政治家が元気づいていた。私はこういう政治家があまり好きでない。信用しない。私は危機管理とか治安維持に無関心だからではない。いや普通の政治家以上の経験と関心をもっているつもりである。だから何か起こるとそれに便乗して“安心安全”などと殊更(ことさら)には元気づく(ハシャぐ)政治家を信用しないのだ。政治の要諦は、“治にいて乱を忘れず”だ。彼らはその逆なのである。
私は若い時、国土政務次官を拝命した。国土庁でいちばん勉強したのは大規模地震に対する対策だった。関東に大地震が起きた場合、当時の国土庁があったビルに中央防災会議の事務局が置かれる仕組みであった。その事務局長を務めるのが国土政務次官なのである。“盲腸”などと揶揄されていた他の省庁の政務次官とはかなり違うのだ。このとき私は災害対策と防災について徹底的に勉強した。
平成8年に国家公安委員長を拝命した。日本の治安を守る警察を監理する責任者である。私は警察の問題点とあり方を徹底的に考えた。警察関係者は治安を守るのは自分たちしかいないと考えている。しかし、私の考えは少し違っていた。国民の理解と協力なくして治安を守ったり、犯罪捜査などできないと私は考えた。多くの国民は“治安の良い社会”を望んでいるのだ。だから良き治安をつくるために国民の理解と協力は得られると私は考えた。日本の治安関係者の多くは、ここが理解できないのだ。治安関係者は、国民をまったく信頼していない。治安を守るのは、自分たちしかいないと思っている。ここに勘違いと思い上がりがある。
治安が大きく乱れたり重大な危機が発生した場合、その責任者は不安に慄く国民を安心させることがまず大切なのである。どっしりと構えていることが重要なのだ。先のテポドン発射の際、己の生命の危機を感じた国民など果たして本当にいたのだろうか。それなのにアソウをはじめ多くの人々が度派手に騒いだ。あんなことで大騒ぎしなければならないとするならば、わが国はいつも大騒ぎしていなければならない。なぜならわが国に核爆弾を積んで飛んでくるミサイルそのものは、現に存在しているからである。
そのようなミサイルが物理的に存在しているとしても、現実に飛んでこないように努力するのが国の役割であり、外交と防衛の仕事である。テポドンなど問題にならないミサイルは現に存在しているのだが、私たちは大騒ぎをしなくとも生活できるのである。そのためにあらゆる努力をするのが、政治家の仕事である。私たちの先輩の努力で、日本国民は少なくとも恐ろしいミサイルが飛んでくるなどと慄くことなく日々暮らしているのである。しかし、“治にいて乱を忘れず”だ。それば本当の政治家である。
それでは、また。