所変われば品変わる。
08年11月05日
No.981
今日というか現在、アメリカ大統領選が行われている。「所変われば品変わる」というが、長い間選挙に携わってきた者にとっては羨ましいことばかりである。バラク・オバマ候補が落選することはまずないと思うが、“想定内”とか“織り込み済”だといって簡単に済まさせない方がよい。
政治は、バーチャルなものではない。生身の人間がいろいろな想いを込めて行う“想像を絶する膨大な行為の集積”である。一つひとつの行為には、苦しみがあり、涙があり、笑いがあり、共感があり、連帯があり、希望がある。その結果、一人の男が大統領になる。その男は、世界最大の軍事力の指揮権をもち、政治や経済や文化で大きな影響力をもつ国のリーダーとなる。一人の“カリスマ”の誕生である。「民主体制の大統領や首相は、民主的手続で選出されたカリスマなのである」と私は永田町徒然草No.935で述べた。
最近のわが国の首相には、このカリスマ性がない。それは自公“合体”体制が安直に首相を選出するからである。安倍、福田、麻生の3首相の選出は、あまりにも安直であった。ハッキリ言って手抜きであった。手抜き工事のマンションは偽装建築と呼ばれた。偽装の首相は、早晩メッキが剥がれる。麻生首相はしきりにカリスマたらんと演じているが、麻生首相のダサいカリスマ性に騙される者はあまりいない。
この安直な首相の選出には、創価学会の影響があるのではないだろうか? 創価学会に長い間君臨している池田大作氏が、創価学会内でカリスマであることは事実である。その選出過程が問題にされることなどなかった。創価学会・公明党にはトップの選出方法など“どうでも好い”ことなのだろう。創価学会は宗教団体であるから“どうでも好い”で済まされるが、公明党は政党である。その代表者の選出は“どうでも好い”ことではない。自公“合体”体制のトップの選出は、“どうでも好い”では済まされない筈だ。
自公“合体”体制は、麻生首相を安直に選出しただけではない。自民党総裁選を思い切り利用して総選挙に雪崩れ込もうと画策したのである。マスコミは見事にこれに乗った。自公“合体”体制はかつてのどの政権よりもマスコミを掌握していることが特質である。だから10月26日総選挙は十分にあり得ることだったのである。しかし、多くの国民はおかしいと思った。“10月26日総選挙はおかしい”と先鞭を切ったのは、この永田町徒然草であった。微妙な段階においてハッキリと意見・方向・道筋を示すことは、政治においては非常に意味のあることなのだ。
選挙の開票速報が入り始めた。オバマ候補の当選は“想定内”だが、アメリカ大統領選についての私の感想は結果が判明してから書くことにする(2008年10時00分)。
それでは、また。