サミットへの素朴な疑念
08年07月06日
No. 861
洞爺湖サミットは、そもそも環境サミットとして出発した筈だ。ところが課題が次々と拡散し、また参加者も増えるようである。サミット開催日が近付くにつれ、ニュース報道番組はサミット関連一色になるだろう。洞爺湖サミットの中心的課題は環境だ。昨夜テレビ朝日は、『地球危機』のタイトルで地球温暖化・CO2・気候変動・食糧危機などについて2時間45分にわたって放映していた。古舘伊知郎がメインキャスターだった。
面白い貴重な映像はみれた。地球が大変な危機にあることは分かったが、だからどうするのだという点はいまいち理解できなかった。鳴り物入りの洞爺湖サミットの主催者がそもそも迷走しているのであるから、仕方ないといえば仕方ないか(笑)。サミットは、ひとつのことをシッカリと決めることができれば合格点なのであろう。サミットとはそういうものである。サミットに出席する首脳で世界全体のことを決めれるとすれば、そもそも問題ではないのか。世界全体のことを決める能力と権限をもっているのは、やはり国際連合(UN)である。
サミットは、そもそも政治的な協議会である。ある問題を政治的に協議することは意味もあるし、効果があることもある。政治決断を要する問題こそ、サミットの出番である。今回のCO2削減・地球温暖化対策を主たるテーマとするサミットで、政治決断を要する問題がある。そのひとつは、バイオ燃料の問題だと私は思っている。世界の政治にとって最大の問題は、人口増と食糧問題である。食糧生産が人口増についていけないことは、政治家なら誰でも知っている。いや知っていなければならないことだ。
人間や家畜の食糧(飼料)を自動車に食べさせれば、人間や家畜の食糧(飼料)が不足し価格が上昇することなど単純なことである。そのことを知らない政治家がサミットと称して集まって世界の食糧問題を協議するとは、笑止千万である。政治漫画に過ぎない。福田首相は、人間や家畜の食糧(飼料)とならない植物からバイオ燃料を作ることを提唱している。こういうのを“あさって(明後日)のことを言う”というのだ。わが国がそのような植物からバイオ燃料を作る技術を開発することは素晴らしいことだが、そんなことはその技術を開発してからいえば良いのだ。いまは人間の食糧や家畜の飼料となるモノから、自動車のエサ(燃料)を生産することを政治的に止めさせることだと私は思う。
昨夜の『地球危機』をみていると、CO2削減・地球温暖化対策は一刻の猶予できないと古舘伊知郎が例によって悲壮感をもって訴えていた。NHKは、毎日“明日のエコでは間に合わない”と流している。もし本当にそうなのだとしたならば、2050年のCO2排出量を50%削減するという目標を立てるのだろうか。現状を凍結することがまず重要なのではないか。その上で、2050年までの削減目標を実現していくために、5年単位の目標値を決めていくことが普通の手順ではないのか。この普通の手順を踏まないところが、CO2問題・地球温暖化対策に対して何となく胡散臭い感じをもつ所以である。
トウモロコシからバイオエタノールを生産することを積極的に助成しているアメリカが、CO2削減の目標値を作ることに難色を示しているという。中国やインドなどの発展途上国が参加しなければ、目標値を作ることに反対だといっているのだ。“隗より始めよ”という言葉は、アメリカにないのであろうか。京都議定書からアメリカは早々と離脱した。それが京都議定書の迫力をなくした。世界最大のCO²排出国であるアメリカを説得できないようでは、日本はアメリカの友人などと認められないでないであろう。友人とは良いことにも辛いことにも付き合うものである。
それでは、また。