具体的状況の具体的分析
13年08月31日
No.1603
数日前から、私は、シリア問題をじっと考えているのだが、なかなか情報が入ってこない。ニュース報道はひと通り触れはするが、私の問題意識に応えるものは、ほとんどない。アラブ中東問題で今いちばんホットなのは、エジプトとシリアだ。エジプトの動きはこの1ヶ月あまりのことだが、シリアの動きは、もう3年近くになる。私は、アサド大統領が生理的に嫌いなのだ。それは、わが国の右翼反動に、彼と似た風貌の人物が多いからである。
私の個人的感情は横においても、アサド政権がこの3年近くシリア国民に対して行ってきた暴挙を良しとする者は、ほとんどいないと思う。アラブのほとんどの独裁者が
もちろん、その真偽を明らかにするのがいちばん大切だが、もし、シリア軍隊が化学兵器をシリア国民に対して使用したとするならば、どのような行動が正しいのであろうか。それが、いま問われているのである。暴政にも、いろいろある。その国だけで行われているのならば内政問題であり、それに介入するのは内政干渉だという考えもある。しかし、それはあまりにも優等生的見解に過ぎない。
オバマ大統領が苦悩しているのは、アメリカという国のあり方なのであろう。私は、その苦悩を理解できる。オバマ米大統領はアメリカの軍産複合体の軍門に下ったという意見も一部にはあるが、私は、今回の問題をそれほど単純に捉えられない。アメリカの大統領として、化学兵器を使った国家に対していかなる行動をとるかは、アメリカ国家のあり方の問題である。イラク戦争の失敗が大きな障碍になっているのは確かであるが、オバマ大統領は、その轍を踏まないよう、十分覚悟している筈である。
だからこそ、今回のシリア情勢を注意深くフォローしているのである。具体的状況の中での、具体的な分析が重要なのだ。私がいちばん懸念しているのは、オバマ大統領が「限定的な攻撃に留める」と言っている点だ。それは、極めて至難の業だ。今回のシリア問題は、国際政治のこれからを占うものになるのではないか。また、国際連合のあり方をも、問うものになるだろう。
今日は、このくらいにしておこう。それでは、また。