欧米とアジア
10年02月17日
No.1416
この数日、東京はやけに寒い。昨日は下着を一枚多く着、オーバーコートにマフラーを巻いて出かけた。さすがに、そこまで周到な服装をすれば大丈夫だった(笑)。このような気遣いをすることは、東京では珍しいことだ。この数年、愛用の少し厚手のレインコートでほとんど不都合はなかったのだ。
今年の冬の北半球は、どこも寒いようだ。しかし、冬季オリンピックが行われているバンクーバーだけは、暖冬のようである。連日オリンピックの様子が報道されているが、私はあまり興味がない。ただし、女子フィギュアスケートだけはぜひ観たいと思っている。浅田真央ちゃんには頑張ってもらいたい。こういうおじさんがいるのだから、オリンピックの選手には大変なプレッシャーがあるのだろう。
昨日のフィギュアスケート・ペアで、中国選手が金銀をとった。私は、いささか感無量であった。フィギュアスケートの歴史がどのくらいあるのか私は知らないが、欧米やロシアでは、かなり昔からあったのだろう。日本や中国でのフィギュアスケートの歴史は、そんなに古くはない。その日本や中国や韓国勢が、フィギュアスケートの世界で金銀を争っている。欧米やロシア勢から見たら、フィギュアスケートの分野でも成長・躍進するアジアなのであろう。
グローバル化とどんなに言われても、人種の壁はある。民族や文化の相違は依然として残る。アジアと欧米の違いはある。そして日本人は、世界全体から見たら間違いなくアジアの一員である。こうした顕在的もしくは潜在的意識が、私にはどうしてもある。こうした意識は、私が古い世代だからなのだろうか。若い世代の人々には、こうした意識はないのであろうか。いろいろなことを考えさせられるオリンピックである。
それでは、また。