貧乏の研究…!?
10年01月27日
No.1401
ハイチ大震災の被害状況が、次々と明らかになっている。死者は15万人と報道された。大規模な地震だったとは思うが、ハイチという国のあり方が被害を大きくしていることは、否定できないだろう。私は永田町徒然草No.1395「山より大きな猪は出ない」で、次のように述べた。
ハイチという国は経済的に貧しいだけではない。国家崩壊というレベルまで達している可能性のある貧しさなのだ。そういう国を大震災が直撃したのだから、その被害と困窮は、私たちの想像を絶するものがある。ハイチの悲惨な現状を見るとき、私たちは“国家とは何か”を考えさせられる筈である…。
ハイチは、中南米の国々でいちばん早く独立した国である。ハイチを訪れた際、私は独立博物館に行った。中南米でいちばん早く共和国となったという、“政治的な誇り"が非常に大きな国だと感じさせられた。政治家である私は、それ以来、ハイチという国に親近感をもつようになった。しかし、その時に見たポルトー・プランスの海のことが、ずっと気になっていた。ポルトー・プランスは“フランスの港”という意味であり、ハイチの首都の地名である。その港(海)は、かつて“カリブ海の真珠”といわれた。だが、私が見たポルトー・プランスの港(海)は、“ヘドロの海”だった。その現実は、政治と経済という問題をいつも私に突き付けてきた。
いま私は、多くの債務に苦しんでいる人たちの相談や依頼に与(あずか)っている。債務を整理するためには、その人の生活状況を詳しく聴かなければならない。多くの人々の生活状況は、今、驚くほど深刻である。まず、職に就くことがなかなか困難である。就職していても、その給料は非常に低い。いっぽう、住宅ローンや家賃は非常に高い。平成の“貧乏物語”の実情を毎日見ていると、わが国は大丈夫なのだろうかと憂えざるを得ない。
私たちの世代は、貧乏の中で育ってきた。貧乏そのものは、決して人々をダメにするものではない。しかし、貧乏にも質がある。いま深刻化しつつある“平成の貧乏”は、私たちが体験した貧乏といささか違っているようだ。どこが違うのか、私には未だ断言する力はない。貧乏を徹底的に突き詰めていくところに、本当の“成長戦略”があるような気がしてならない。民衆革命で誕生した政権も、まだまだ貧乏の研究が足らないようである。
今日はこのくらいにしておこう。それでは、また。