楽足(その2)
09年02月09日
No.1078
知足とは、足ることを知るである。足りるとは、必要なものが在ることである。何を基準にして必要なものが在るというかは、意外に難しい。人間の欲望や願いは、えてして膨張していくからである。知足という場合、膨張していく欲望や願望に自ら規制していくという雰囲気が感じられる。何を基準にして規制していくか、それが問題である。
食欲などは、もっとも単純な願望である。足りなければ食欲は満たされないし、足りれば食欲は治まる。だが、これも食習慣に深く関係しているようだ。腹いっぱい食べなければ満足感を得られない人もいれば、腹八分目でも満足感を覚える人もいる。これは食慣習によるものだ。腹八分目の食事をある程度の期間つづけていると、八分目がその人のリミットになるようだ。なぜ腹八分目しか食べないのか。その理由はいろいろとあるであろう。貧しいために腹いっぱい食べられない場合もある。
胃の具合が悪いために腹いっぱい食べられない場合もある。胃弱という人は結構いる。それは良くない。食べることは健康の源だからである。私の場合、胃の調子はすこぶる良い。どんな物も美味しく食べられる。私は酒をほとんど飲まない。酒を美味しいとは思ったことはほとんどない。だから、酒を飲みたいと思わないのだ。甘い物もそんなに好きではない。ところが、食べる物はなんでも美味しく頂けるのである。私にとって、食べることは大きな楽しみなのである。
食することは、生きていくために必要なことであると同時に私にとって大きな楽しみであり、喜びなのである。私は特に贅沢な物を食べたいとは思わない。普通の物でも美味しく頂けるからである。幸いなことに食べたい物を食べるくらいの資力には恵まれている。こうなると腹八分目で満足するためには、何かが必要である。もっとも有効なことは、腹八分目が健康に良いことをハッキリと知ることしかない。
私の場合、腹八分目で満足するようにしないとどうしても太ってしまうのである。メタボリック症候群に陥ってしまうのだ。糖尿病の兆候はないが、高血圧体質である。着る洋服がなくなってしまう。体重70キロになったときの“爽快感”は、十二分に体験している。だから、私の場合腹八分目が絶対に良いのである。先週から腹八分目で満足するように努力しているが、腹八分目で満足することがなかなかできない。知足の境地にもまだ達していない。“楽足”の境地は、まだまだ先のことである。
それでは、また。