Happy Monday と小正月
07年01月15日
No.306
1月15日は、1999年まで成人の日で休日だった。成人の日はハッピーマンデー制度導入に伴い、2000年から1月第2月曜日(その年の1月8日から14日までのうち月曜日に該当する日)に変更された。そのため元々の1月15日には絶対にやってこなくなってしまった。成人の日をハッピーマンデーとしたことは、当初からすこぶる評判が悪かった。小正月というものがなくなってしまったからである。
成人の日などということを知らなかった子供のころから、私たちの生まれた地方では1月15日は小正月といわれ、15~16日は小正月休みだった。東京の商家などでは薮入りといわれ、奉公人が実家に帰えれる日であったと聞く。昔の商家は大晦日ギリギリまで仕事をし、正月2日は初荷・初売りだった。正月はゆっくりと休むことなどできなかったのだろう。成人の日が祝日として定められたのは、1948年公布・施行された国民の祝日に関する法律で、「おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます」ことを趣旨としている。この日が小正月であり、かつて元服の儀が小正月に行われていたことによるともいわれている。
小正月というのは全国的にあったようである。そしてそれぞれの地方には小正月の伝統的な行事があった。私たちの地方では、14日の夜は鳥追いとほんやら洞(かまくらのこと)、15日はどんど焼き(賽の神ともいう)といってそれぞれの家の古いしめ縄やだるまやお札(おふだ――紙幣のことではない)などを塔のように積み上げ、火をつけて燃やした。どんど焼きに行くと子供には甘酒や飴やお菓子などが振舞われた。14日夜には年取り料理があった。大晦日の年取り魚は新巻鮭であったが、小正月の年取り魚は塩鱒などちょっと格下の魚だった。
このような小正月の伝統行事が各地であったのである。かなり前からわが国でも七曜(しちよう――私たちがいま使っている日、月・・・・金、土曜日のこと)が定着していたが、1月15日が成人の日で休みだったためにかろうじて小正月の雰囲気は残り、伝統的な行事なども行うこともできた。それがハッピーマンデーとなったため完全におかしくなってしまったのである。ハッピーマンデーが初めて実施された2000年1月は自社さ政権の時代であった。社会党の先生からも成人の日をハッピーマンデーとすることは困りますねぇーといわれたことを記憶している。ハッピーマンデーでなければ、今日1月15日が成人の日で休日だから今年は3連休ということになる。そうすると本来の小正月にちかくなる。
要するに成人の日をハッピーマンデーとするとき、第2月曜日とするか第3月曜日とするかという問題なのである。今年は元日が日曜日であったので第2月曜日がいちばん早く来る年だった。だから正月の三が日休んで4、5日の2日間働いて、また6~8日の3日間休むということになった。第2月曜日がいちばん遅く来るケースは元日が火曜日の場合だ。この場合は12~14日が3連休となる。一方第3月曜日をハッピーマンデーとすると1月のいちばん早い3連休は13~15日、いちばん遅い3連休は19~21日となる。どうもこちらの方が昔の小正月らしくなるような気がする。
小正月を大事にするどうかという問題でもある。そんなものはどうでもいいという人は第2月曜日派ということになろう。今年のようにいちばん早く3連休が来る場合、2日間有給休暇をとれば年末の休みと合わせて10日間ちかくの長期休暇をとることができる。これにはそれなりの魅力はある。一方第3月曜日をハッピーマンデーとすれば小正月気分になれるし、2月の建国記念日まで祝日はないのでちょうどその間の3連休ともなる。いまのところ建国記念日はハッピーマンデーにはならないので2月の3連休は必ずしもならないが、これは立法如何で変えることができる。
このように立法というのはなかなか難しいものなのだ。私はリゾート建設促進議員連盟の幹事長をやったくらいだから、国民の余暇問題には大いに関心がある。サマータイムもぜひ導入すべきと考えている。だからハッピーマンデー制度それ自体は大賛成であった。しかし、国民の祝日に関する法律を所管する委員会に所属していなかったので、成人の日を第2月曜日とするか第3月曜日とするかという議論には参加していなかったし、その問題意識も持っていなかった。
いま静かに落ち着いて考えてみると少なくとも現状では、成人の日に関しては第3月曜日をハッピーマンデーとする方がいいのではないかと考えている。天下国家がかかっているような問題ではないが、小正月というのは長い伝統があるような気がする。建国記念日がハッピーマンデーとならなかった理由と論者の顔ぶれはだいたい想像できるだろう。この辺にわが国の保守といわれる人の問題性があるのである。この前の憲法行脚の会で姜尚中東大教授が”グラスルーツ保守”という言葉を使っていた。グラスルーツ保守の人々の意見はきっと逆になるであろう。グラスルーツ保守ということはなかなか面白い概念だと思っている。これについては別の機会にぜひ述べたいと思っている。
それでは、また。