1日遅れの正月
07年01月02日
No.293
やっと温故の年賀状書きが終った。今日の午前2時30分ちょうどであった。終ったというより用意していた葉書がなくなってしまったのだ。4日にならないと印刷所が開かない。朝イチで注文しても出来上がるのは午後になるだろう。それまでは年賀状書きはできない。私にもようやく正月が来た。ちょうど10日前から年賀状書きを始めた。この間、仕事とか忘年会がけっこうあった。それはちゃんとこなした。それ以外の時間は温故の年賀状書きに専念した。1日に3時間くらいしか寝なかった。ナポレオンにひけをとらない。
何でそんなに時間がかかったのかと訝(いぶか)る人が多いであろう。こう思ってもらえば理解は簡単である。年賀状をこれまでぜんぜん出していなかった者がこの40年間にたいへんお世話になった人、これからも友人として付き合ってゆきたいと思っている人に年賀状を出すとする。与えられた条件は、
- 1. 基礎とする名簿はない
- 2. コンピュータは使えない
- 3. 相談する友人はいない
- 4. 他人には手伝ってもらわない
- 5. 必ずひとことを添える
ことである。私の場合は基礎となる名簿はあるが13万件以上にもなるので多過ぎてないと同じことなのだ。
最初のうちはどこから手をつけていいのか分らなかった。ダブりもかなりあった。同じグループのものは全部いっしょに見ないとダブりをチェックすることができない。疲れると頭が呆然としてきてダブりもチェックすることも難しくなる。だいたいのチェックを終えて書き始めたのが1週間前からである。しかし、完全な台帳がないのでこの人はチェックしておいたかどうか確認するために行きつ戻りつする。単純な宛名書き作業とはゆかない。ある人の宛名を書いているとその関連でいろいろな人の名前や顔が浮かんでくる。そうするとその人がチェックされていたかどうかまた調べなければならなくなる。ざっといえばこういうことである。
まさか毎年こんなことをやっている訳にはいかない。だからいつも年賀状を出す人は基礎名簿をもっているのだろう。今回この作業をしたからこれをコンピュータに入力しておけば、来年はかなり楽になると思う。でも今回温故の年賀状を出すことにしてよかった。この仕事をしながらこれまでにお世話になった多くの方々の顔と名前を思い出すことができた。そしてその方々といっしょにやったり過ごしたことを懐かしく思い出した。去る者、日々に疎し。今回これをやっていなければ、私の記憶からも忘却する人がそれだけ必ず多くなってくるからである。
もうひとつ大事なことがあった。人との出会いは偶然も多いが、別れは偶然ではないことが多い。ハッピーな別れもあるがアンハッピーな別れも多い。わだかまりがなかな氷解しないこともけっこう多い。しかし、私は今回それを乗りこえることにした。たったひとつのアンハッピーなことにこだわりハッピーに過ごした多く歳月を放擲することは愚かなことだと思ったからである。しかも疎遠になっていた原因の大部分は私にあるからである。1枚の年賀状が新しい交誼をうむこともきっとあるだろう。ナポレオンのように3時間しか寝なかったのは、そう思ったからである。
ひとりの友を真の友にするという、
難事を克服した者や、
やさしい心の女性を妻にした者は、
歓びの声をともに挙げるのだ !
そうだ、この世界の中で
たとえ一つでも人の心をかち得た者は共に歓ぶのだ !
しかしこれらに失敗した人は
涙しつつこの同盟から去らねばならぬ。
[HOMEのキャッチフレーズ解題参照]
衆議院が年賀状を出すことを禁止したのをいいこと、私は真の友を得る努力をおろそかにしてきたような気がする。年賀状を出すことによって真の友が得られるとは思えないが、年賀状を出さないようではその努力をしているといえないであろう。人間とは忘れる動物である。都合の悪いことでも大切なことでも平等に、だ。「去る者、日々に疎し」は、英語でいうと確か out ob eye,out of mind だったような気がする(手元に辞書がないので自信がない)。都合の悪いことはサラリと忘れないと私たちはストレスでおかしくなってしまうが、大切なことは決して忘れないというほど人間は器用ではない。しかも out of mind だからおそろしい。新年早々だというのに、頭がちょっと朦朧(もうろう)としている。今日はこれくらいにして眠ることにする。
それでは、また。