謹賀新年
07年01月01日
No.292
年末になって国内外でドサクサがあったが、それでも新しい年がきた。まずは謹んで新年のご挨拶を申し上げます。私は新年などといった区切りをどちらかというと大切にする方である。それなのに結婚記念日を大事にしないといつも家内に怒られる:lol:。
謹んで私の年賀状をお届けする。年末、私はこの年賀状を約2000枚ちかく書いた。宛名も全部手書きし、ひと言ずつ必ず添えた。大変なようだがそれはそんなにたいしたことではない。大変だったのは、差し出す人を決めることだった。ゴッタになった1万点以上の資料を見ながら、ダブりや変更事項を確認することが大作業であった。差し出す人の郵便番号を調べなければならないのも結構あった。この作業をした1週間は、1日に3時間くらいしか寝ていない。さすがにちょっと疲れた。
朱色の版画について、必ず聴かれるのでちょっと述べる。「雲は、龍に従う」と読む。龍は空想上の動物である。私たちは絵でしか見ることができない。龍の絵には必ずといっていいほど雲が描かれている。だから多くの人は、天空の雲の中を飛翔する龍をイメージする。雲のある天空しか龍は飛翔できないと錯覚する人もでてくる。しかし、そうではない。雲があろうがなかろうが、龍は天空に向かって飛翔する。そうすると龍の周りに自然と雲が生ずるのである。
「虎嘯(うそぶ)いて風烈しく(はげしく――白川注:正しくは二すいに列と書きます。私のワープロにはありませんでした。)、龍興(おこ)りて雲を致(いた)す」。 王褒の「聖主の賢臣を得るの頌」にあると諸橋轍次の『中国古典名言事典にあった。「虎がうそぶくと竹林に風が起こり、龍が興ると雲が湧いてくる。すべて同類は相呼応する。名君があれば良臣が出てくる」と諸橋轍次は解説している。私の解釈とはちょっと違うようである。三木首相は「龍先(ま)ず起つ、雲自(おの)ずから生ず」と色紙に書いていた。横綱土俵入りの「雲竜型」もここからきているという。いずれにせよ私の好きな言葉である。
国内の政治に限っていえば事態は最悪であり、私たちの陣営の状況は絶望的である。確かにこの夏には参議院選挙があるし、安倍内閣もヨタヨタしてきた。こちらは頑張れば何とかなると思う。だが小泉前首相によって詐取された、衆議院で3分の2を超える化け物のような自公政権はあと2年半は安泰である。自公政権にはもう恥じも外聞もない。まったく何をするか判らない。敵を甘く見てはならない。しかし、龍はまず起たなければならない。小さな龍だが、私はまず起つ。私はこのサイトを通じて訴える。今年もアクセスの程よろしくお願い申し上げます。また私たちの輪を広げていってもらいたいと切望します。
それでは、また。