初めての“母の日の花”
08年05月11日
No.803
今日は“母の日”である。私の実母は、昭和52年に70歳で亡くなった。私は母が40歳の時に産まれた。家内の母は、病気がちだが健在である。義母は亡夫の選挙でずいぶん苦労したようである。私の選挙でも迷惑をかけてしまった。母の日に花を贈ることにした。私に初めてのことである。
“母の日”には赤いカーネーションを贈るのが慣わしのようだが、私は胡蝶蘭を贈ることにした。家内と結婚して27年になるが、これまで一度も母の日に花など贈ったことがなかった。お詫びを兼ねてちょっと張り込むことにしたのだ。国会議員だったころ、何かの役職に就くと胡蝶蘭を頂いた。政務次官に就任したときは数鉢、大臣に就任にしたときは20鉢近くも頂いた。これみよがしに沢山の胡蝶蘭を部屋に置いておくのは私の趣味でない。私は1鉢だけを残して親しい方々に譲った。母もその一人であった。母が非常に喜んだのを思い出したのだ。
母だけでなく私も胡蝶蘭は好きだった。私が部屋付の役職に就いたのは7回あった。最初のうちは就任の時に貰った胡蝶蘭があるのだが、1ヶ月ちょっとすると枯れてしまい部屋から消える。そうすると急に寂しくなる。胡蝶蘭は非常に存在感のある花だ。平成10年から2年間私は自民党団体総局長を務めたが、その時に茨城県大洋村の石津村長に2ケ月にひとつ贈ってもらうことをお願いした。大洋村は胡蝶蘭の日本一の生産地なのだ。石津村長は古い友人であった。ちょっと早い花を贈ってもらうと胡蝶蘭は2ヶ月もつ。
胡蝶蘭は確かに高いが、それだけの価値はある。だから私にとって初めての「母の日の花」として胡蝶蘭を贈ることにしたのだ。ところがこれを届けるのに苦労した。母の日でどこの花屋も配送が手一杯なのである。明日の月曜日が精一杯だというのだ。せっかく生れて初めて「母の日の花」を贈るのだから、母の日の翌日ではバツが悪い。何とか手を尽くして昨日届けることができた。母からさっそくお礼の電話があったが、会議中であるからといって早々に切った。慣れないことをやったので、照れくさかったのだ。
それでは、また。