ダチョもない。
08年04月07日
No.764
昨日は朝早く家を出た。十日町地区白川勝彦後援会の会長を長年に亘りお務めいただいた樋口熊蔵氏の叙勲祝賀会に出席するためである。樋口会長は十日町市議会議長をはじめとする数々の公職を歴任され、昨年満88歳を迎えられ、高齢者叙勲として旭日双光章を受けられた。国会議員をはじめ十日町市のお歴々が多数出席し、まことに盛大な祝賀会であった。
私にとって十日町地区は文字通り地元であった。当時は十日町地区に6市町村あった。私はここで65%から70%の得票をいただいた。またそうしないと当選は覚束なかった。新潟県6区は歴史的にも経済的にも地理的にもその特性が著しく異なる二つの地区に別れ、十日町地区は全体の5分の1の人口しかなかった。いくら地元といってもその地域の65~70%の得票を得ることは決して楽なことではなかった。
しかし、決して楽でないことを成し遂げないと、私の当選は覚束なかった。この困難なことを成し遂げる中心でいろいろな苦労をしなければならないのが、後援会長の任務である。65~70%の得票をするため、やれることはどんな苦労をしてもやり遂げなければならなかった。樋口会長の口癖は、私たちの地域の方言で“ダチョもないことをいうな”であった。私は祝辞でそのことを紹介した。意味は地域の人はみんな知っているのだが、“ダチョ”というのを漢字で書くとどう書くのだろうかということになった。
そうしたら十日町新聞の山内正胤社長が電子辞書で“埒(らち)”だろうと教えてくれた。私たちの方言の[ダチョもない]は[埒もない]という意味で使われるのだ。埒(らち)が“ダチョ”になっても少しもおかしくない。十分に考えられる。時代劇をみていると「埒もない」とか「是非もない」と一番いったのは、信長であった。樋口会長は、十日町地区で65~70%の得票をしなければ白川を当選させることはできないのだから、“ダチョもないこといわないで頑張ろう”と同志に檄を飛ばして下さっていたのである。改めて長年のご支援に御礼を申し上げ、またご夫婦そろってのご長寿をお祈り申し上げます。
最近の国政をみていると“ダチョもないことをいう”政治家が多すぎる。言い訳をする政治家が多すぎる。ああいえばジョウユウの類の詭弁を弄する政治家が跳梁跋扈している。だから「これは“夢か現か幻か”」という政治状況になってしまうのである。政治にとって夢は大切である。しかし、相手にしなければならないのは現(うつつ)=現実である。切れば血の出るような厳しい現状認識だ。道路特定財源の暫定税率をめぐる攻防は、切れば血の出るような厳しい現実の中で行われている戦いなのである。
それでは、また。