島根県津和野
06年12月25日
No.286
「<前をかなり略しました――白川>さて、森鴎外のお話を読んでいていまから40年前に訪ねた、鴎外が少年時代をすごした島根県津和野の町並みを思い浮かべていました。静かな山に囲まれた、山間の小さな町ですが、とてもすばらしい印象でした。鴎外の少年時代の旧居、鴎外の墓所の東光寺、お墓から見る青野山の山容。鴎外のお墓には鴎外とは書かれていなくて、本名の森林太郎とだけかかれている質素なお墓に彼の人間性を感じました。
また、津和野には、江戸から明治に活躍をした西周(にしあまね)という教育者が育ったところでもありました。こういうひとたちが育った津和野という町を今は観光客が押し寄せる町になりましたが、私の行った40年前は津和野どこ?というところでした。人間が育つということは環境が大事なのだと今でも思います。山口県の萩という町がありますが、ここも、吉田松陰など明治の夜明けの人たちが育ったところですが、萩の海岸で海を見ていると、遠くかなたの大陸を思って日本はこのままでいいわけがないと考えたのだろうとも思われました。
ところで、私は白川さんのふるさと十日町を数回訪れておりますが、白川さんの「なぜ我が故郷はこんなに貧しいのか」という政治の原点を今でも考えることがあります。盆地の十日町は、かつては冬は陸の孤島と化したところだということも分かりました。一昨年の震災の爪あとを昨年5月に見たときには本当に逃げ場のないところなのだなと思いました。六日町とほくほく線でつながり雪に閉ざされることはなくなりましたが、私が昨年伺ったときにびっくりしたのは、魚沼丘陵をはさんであまりにも気候が違うことでした。
六日町は桜が満開なのに、十日町は桜の木にはつぼみどころか木の芽がようやくでてきたところ。事務所の隣の雪がようやくなくなったけれども、近くの広場にはまだ雪が山積みという過酷な環境。白川さんが故郷に思う街づくりは市民みんなが思っていたことだろうと思いました。人間を育てるのは、産まれてきて青年時代をすごした環境が大きく左右するということをいいたかったのです。白川さんの同志のI・TさんやH・Fには、私たち都会に住む人間にはない人を慈しむ心がありますもの。すばらしい方々と知り合いになれて本当に感謝しています。それでは、サイトの更新楽しみに読ませていただきます。頑張ってください。M・H」
2001年7月の参議院選挙のときから一生懸命に応援をしてくれたM・Hさんからのメールである。人間は環境から大きな影響を受けて成長する。しかし、自分が育った環境の特色や差異を客観的に認識することは難しいものである。都会で生まれ育ったM・Hさんの言を借りて私が生まれたところを紹介させていただいた。環境と同じくらい大きな影響を与えるのが、「時代」であると私は思っている。私は自分のことを戦後第一期生といってきた。物心ついたころはまだ貧しい時代だったが、子供の目から見る大人の世界にはこれからは良くなるという希望と皆んなでそうしよう連帯感があった。
現在の「時代」は、子供たちにはどう映っているのだろうか。大臣や国会議員がやらせやいじめや談合をやっている。自分たちでこういうことを平気でやっていて子供たちに厳しいことをやれといってもダメだと思う。自公政権の数の力で教育基本法は改正されたが、その効果を期待することはほとんど無理である。小泉首相がよく口にした「信なくば立たず」とは、こういうことをやっていては国民も子供もついてこないというときに使う例えなのである。安倍首相はこういうことが分っているのだろうか?
それでは、また。