温故の年賀状
06年12月24日
No.286
今年もあと1週間となった。次の日曜日はもう大晦日である。私はこの土日に年賀状を書こうと決めていた。いまのその作業をしているところである。長い間政治家をやっていたのだから、名簿などは揃っているだろうと思っている人が多いと想像する。しかし、衆議院議員は選挙区の人に年賀状を出すことは禁じられている。だから年賀状を出す名簿などはないのだ。だから意外に大仕事となったのである。
今回の年賀状は、白川勝彦として個人的に出すものである。選挙でお世話になった人とは長い間の付き合いがある。友人といえば友人だ。しかし、当時の後援会名簿に基づいて出したら、ある程度の絞りをかけたとしても大変な数になってしまう。私はもう選挙に出るつもりもないのでそれはしない積りである。名簿の中には私の個人的友人も一緒に入っている。個人的な友人であっても、友人であるので選挙のお願いもした。また友人であるために一生懸命応援をしてくれた。事務所のスタッフから見れば、いい支援者という風に見えてそういう観点から名簿に登載されている。
またこの3回の選挙はいずれも落選であったので、名簿などは整理されていない。落城とはそういうものである。名簿やその資料は大事なので紛失はしていないが、現物がそのまま保管されている。大変な量である。それらを一つひとつ見ながら選んで宛名書きをするのである。中にはそれぞれの選挙に寄せられた長い手紙もある。そういうのを読んでいると当時のことが思い出されて、作業はなかなかはかどらない。しかし、それは大事なことだと思って急がないことにした。この2日間でとても終りそうはない。それでいいと思っている。
年賀状を出すのは実に久しぶりのことである。その理由は先に述べたとおりだ。元来、私は年賀状に凝る方であった。版画など彫り、それなりに見映えのする年賀状を作って、友人たちに出していた。政治活動を始めてから年賀状を出すのが禁止されるまでは、それこそ数万枚近く出した。こうなるともう選挙運動そのものであり、親しい友人に出す年賀状とは質的に違う。このころから親しい友人に個人的に年賀状を出すことがなくなってしまった。もう20数年ものブランクがある。
選挙の応援してくれる人とは、友人付合いをしなければ本当の応援をしてもらえない。また真の友人は私の選挙を一生懸命応援してくれた。だから両者は混然一体となりどうしてもダブってしまうのである。これを無理して分ける必要はないのかもしれない。しかし、何らかの線を引かなければいままでと一緒になってしまう。私も困るが年賀状をもらった方も困るであろう。”すわ選挙か”と勘違いする人も出てきかねない(笑)。それではどこで線を引くかというとこれがなかなか難しい。明確な基準などある筈がない。フィーリングで決めるしかないと思っている。政治家とはつくづく因果な”商売”である。
私の年賀状書きは、仕事と忘年会の合間を縫っておそらく年末近くまでかかるだろう。温故という意味で私は納得している。人間60歳を過ぎると訪ねなければならない古(いにしえ)も多くなってくる。それにしても名刺などをもらったときに、後でみて参考になることをできるだけ書いておかないと、一体どういう人でどこであったのか思い出せないことが多い。生きていく以上これからも多くの人に出会うと思うが、これからはこのことを心がけていこうと思っている。
それでは、また。